『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所が実現する価値を問う:伊藤穰一、ジェフ・ハウ『9プリンシプルズ』を読んで

MITメディアラボ(MIT Media Lab:米国マサチューセッツ工科大学(MIT)建築・計画スクール内に設置された研究所)の伊藤穰一氏、ジェフ・ハウ氏の著書、『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』(早川書房 2017年)を読みました。
技術(ムーアの法則)、通信(インターネット)という2つの革命があわさりもたらされる未来を生きるための方法と、次の9つの原理(プリンシプルズ/Principles)としてまとめたもの。

  1. 権威より創発(Emergence over Authority)
  2. プッシュよりプル(Pull over Push)
  3. 地図よりコンパス(Compasses over Maps)
  4. 安全よりリスク(Risk over Safety)
  5. 従うより不服従(Disobedience over Compliance)
  6. 理論より実践(Practice over Theory)
  7. 能力より多様性(Diversity over Ability)
  8. 強さより回復力(Resilience over Strength)
  9. モノよりシステム(Systems over Objects)

*原理の英語は、『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』の原著、『Whiplash: How to Survive Our Faster Future』より。


本書を読んで思い浮かんだのは、コミュニティ・カフェ、地域の茶の間など、従来の施設ではない新たなかたちの場所である「まちの居場所」のこと。

「まちの居場所」は2000年頃から各地に同時多発的に開かれるようになってきた場所。生活支援、介護、子育て、震災復興、地域で働くこと、退職後の地域での暮らし、貧困といった切実な、けれども従来の施設・制度の枠組みでは十分に対応できない課題に直面した人々が、自分たちの手で課題を乗り越えるために開かれているという特徴があります。

大学院生の時、3つの「まちの居場所」に出会いました。「ひがしまち街角広場」、「親と子の談話室・とぽす」、「ふれあいリビング・下新庄さくら園」です。
「ひがしまち街角広場」は大阪府千里ニュータウンの近隣センターの空き店舗を活用して2001年9月にオープンし、オープンから約17年にわたって住民がボランティアでスタッフとなり運営が継続されてきた場所。「親と子の談話室・とぽす」は1987年4月、東京都江戸川区にオープンした個人経営のお店。30年にわたって思春期の子ども、不登校の子ども、心の病を抱える人、主婦など多くの人々にとっての居場所になってきた場所。「ふれあいリビング・下新庄さくら園」は、大阪府が府営住宅で進めている「ふれあいリビング整備事業」の第一号として2000年5月、下新庄鉄筋住宅(現在は市営下新庄4丁目住宅)に開かれた場所。

「ひがしまち街角広場」初代代表のAさん、「親と子の談話室・とぽす」を主宰するSさん、「ふれあいリビング・下新庄さくら園」初代運営委員長のWさんは次のように話されています。

「「街角」オープンする時に、行政はすごい心配したんですよね。何にも決まらないから。私はまず場所をオープンしましょう。オープンしてやっていく中で、色んなことのニーズが出てくるから、そのニーズに合わせて動きましょう。でないと、人の意見を聞くなんてね、リサーチしても、それではごく一部分しか出てこないわけでしょ。だから、やってみた中で色んなことがね、その場に合うものが生まれてくるはずだから、そうしましょうと言ったんだけど」
*「ひがしまち街角広場」のAさんの2005年2月19日の言葉

「場所づくりしたところで、こちらの押し付けがあったらだめなんですよね。だから、はっきり言えば来る人がつくっていく、来る人のニーズに合ったものをつくっていく」
*「ひがしまち街角広場」のAさんの2005年2月19日の言葉

「ここは喫茶店なので人との出会いがその流れをつくっていっているんですよ。人との出会いがつくっていってるので、「ちょっと待って」とは絶対私は言えない。「そういう要求ならそれもやりましょうね」っていうかたちで、だんだん渦巻きが広くなっちゃうって言うかな。もちろん、中心は子どもっていうことは常に頭にあるんですけど。・・・・・・。だから人がここを動かしていって、変容させていって。しかも悪く変容させていくんじゃなくて、いいように変えていってくれてると思ってます」
*「親と子の談話室・とぽす」のSさんの2005年2月19日の言葉

「自分が自由に発言できる、意識的に障がいを取り払ってコミュニケーションをする場っていう、そのスタンスだけが変わらなければいいなと思いますね。〔私が〕ご飯が作れなくなったら、ご飯は出さなくてもいいしね。お茶ぐらいは飲めるような場所っていうかたちでもいいしね。だから人と人が出会う場所、そのために、これだけは守って欲しいというね、それだけは守れればいいかなと思ってる」
*「親と子の談話室・とぽす」のSさんの2016年3月10日の言葉

「だから、それもひとつの「ふれあい」をやりながらしていってる、幅がどんどん広がってる感じで、それはいいことだなと思って。こっちから何かしなくてもね、受けながら受けながらやっていったら、なんぼでもあると思うよ」
*「ふれあいリビング・下新庄さくら園」のWさんの2005年10月27日の言葉

「私が思ってることは「2人、大将はいらん」ということ。だから、あの子に「喫茶」を任せる。私は口出ししない。2人が口出しするとね、迷うでしょ。やっぱり見方、聞き方、取り方、やり方、同じ講習受けても違うから。それは長続きする方法かもわからへんと思う。私ずっとそんなんですから、「よきにはからえ」いう感じだから。だから任せてしまうっていう感じ」
*「ふれあいリビング・下新庄さくら園」のWさんの2005年10月27日の言葉

3人の言葉は折に触れて思い起こしていますが、これらの言葉は本書の9つの原理に通じていることがわかります。9つの原理からは、ここに紹介した3つの場所の他にも、これまで出会った多くの場所のことが思い起こされます。

本書では随所で、計画は無効だという指摘がなされています。例えば、次のような指摘です。

「・・・・・・、世界は変わりつつあり、資源や情報をため込んで、すべてをコントロールし、すべてを計画し、メッセージや命令を中心から周縁にプッシュするかわりに、イノベーションはいまや周縁で起こるようになっている。資源は必要に応じてプルされる。世界は「ストック」から「フロー」に移りつつある。」
*「プッシュよりプル」の章より

「・・・・・・、出発するときにどこへ行くのか何もわからず出発しろと言うんじゃない。でも、目的地への道はまっすぐではないと理解すれば、事前に計画した道に沿って無理に進む場合より、もっと素早く効率的に到着できるということではある。地図よりコンパスを重視すれば、別の道を探究したり、回り道を有効に使ったり、予想外の宝物を見つけたりできるようになる。」
*「地図よりコンパス」の章より

「理論より実践ということは、加速する未来では変化が新しい常態となるので、実際にやって即興するのに比べ、待って計画するほうが高い費用がかかるということを認識するということだ。古き遅き日々なら、計画は──ほとんどどんな活動でもそうだけれど、特に資本投資を必要とするもの──金銭的なトラブルと社会的な後ろ指を指されかねない失敗を避けるのに、不可欠なステップだった。でもネットワーク時代では、主導的な企業は失敗を受け入れ、奨励さえしている。いまや新しい靴のラインから自前のコンサルティング事業など各種のものの立ち上げは、価格面でも大きく下がり、ビジネスは「失敗」を安上がりな学習機会として受け入れるのがごく普通になっている。」
*「理論より実践」の章より

「もちろん、これはどれもイノベーターやその組織が決して将来計画を立てるなとか、潜在的なトラブルのもとを予想したりするなとか言っているわけじゃない。単にある時点で必ず失敗は起こるし、最も機能的なシステムが急速に再生できるというのを認めているだけだ。鍵は、失敗に抵抗する費用が失敗を受け入れるより高くなるときにそれを認識し、組織が成長しても回復力を維持するということだ。」
*「強さより回復力」の章より

「デザインはまた、物質的および非物質的なモノのデザインから、システムのデザインへと進化し、さらに複雑で適応形のシステムデザインへと進歩した。この発展は、デザイナーの役割を変えつつある。かれらはもはや中央の計画者ではなく、自分が作業をするシステムの参加者だ。これは根本的なシフトだ──そしてこれは新しい価値観を必要とする。」
*「モノよりシステム」の章より

これらの指摘から、建築計画は何を学ぶことができるのか。それは従来の建築計画が想定してきた計画者と利用者という二分、つまり、専門家がきちんと計画し、それを専門家ではない人々(非専門家)が計画通りに利用するというコンセプトを乗り越えるということだと考えています。

「まちの居場所」は従来の施設ではない新たなかたちの場所。そして、いくつかの言葉を紹介したように「ひがしまち街角広場」、「親と子の談話室・とぽす」、「ふれあいリビング・下新庄さくら園」は既に本書の9つの原理に相当するものを実現してきたとも言えます。けれども、「まちの居場所」に対しては、常に次のような問いかけがなされてきました。

  • 「まちの居場所」は計画できるのか?
  • 「まちの居場所」における(建築計画の)専門家の役割は?
  • 「まちの居場所」における人々は利用者なのか?
  • 「まちの居場所」制度化(施設化)によって広げることができるのか?
  • 「まちの居場所」もまた、「まちの居場所」という新たなかたちのビルディング(施設)ではないのか?

これらの議論を考える上で、本書で原理がどのように捉えられているかが重要だと感じます。原理は、ルールという硬直的なものでも、マニュアルでもなく、「世界の新しいオペレーティングシステム(OS)を使うにあたっての有益なヒント」であり、「新世界を形成し、そこで栄えるための青写真を提供するもの」とされています。

「われわれの使命は、みなさんに新しいツールを提供することだ──われわれはそれを原理と呼んでいる。というのも、もっと高速な未来の一つの特長は、「ルール」といった硬直的なものすべてを破壊してしまうことだからだ。」

「これらの原理は、世界の新しいオペレーティングシステム(OS)を使うにあたっての有益なヒントだと思ってほしい。この新しいOSは、過去数世紀に使ってきたものを少しバージョンアップしたようなものじゃない。新しいメジャーリリースだ。そしてまったく新しいOSはすべてそうだけれど、みんな慣れるまでに時間がかかる。ちがう論理にしたがって動くし、説明マニュアルもない。というのも、開発者たちがマニュアルを作ったとしても、それを手に入れる頃にはもう古くなってしまっているはずだから。」

「ここに挙げた原理は、その新世界を形成し、そこで栄えるための青写真を提供するものだ。」
*伊藤穰一 ジェフ・ハウ(山形浩生訳)『9プリンシプルズ--加速する未来で勝ち残るために』早川書房 2017年

また、本書の訳者である山形浩生氏の指摘も重要だと感じます。山形氏は「訳者あとがき」で、本書の9つの原理を「敢えて平たく泥臭く書き直してみると、こんなふうになるかもしれない」として、次のように表現しています。

  1. 自然発生的な動きを大事にしよう
  2. 自主性と柔軟性に任せてみよう
  3. 先のことはわからないから、おおざっぱな方向性で動こう
  4. ルールは変わるものだから、過度にしばられないようにしよう
  5. むしろ敢えてルールから外れてみることも重要
  6. あれこれ考えるより、まずやってみよう
  7. ピンポイントで総力戦やっても外れるから、取り組みもメンバーも多様性を持たせよう
  8. ガチガチに防御をかためるより回復力を重視しよう
  9. 単純な製品よりはもっと広い社会的な影響を考えよう

ただし、山形氏は「本書で取り上げられた技術や現象は実に刺激的」だが、「それがそうそう簡単に広まらないだろう、というあきらめにも似た認識も、常に持っている」とも指摘。その上で、本書の大きな論点は「おもしろがる能力」、「おもしろがるという目利き能力」を持つことにあるのではないかとしています。

「そして社会があるとき、非線形に一気に変わることもある以上、ぼくたちにできる最高のことは、そうした変化の可能性を常に考え、感じ続け、そしてできるならその可能性実現に自分も関わっていくことであるはずだ。社会の分断も、ビジョン──つまりは、どんな可能性を見いだし、何をおもしろいと思うのか──をどう伝えるかによって多少は解消できるはずではある。」

「けれど。その中で本書は、読者のみなさんがどこに新たな変化を見いだし、そして見いだすだけでなくそこに参加していくかについての、何かしらの指針を与えてくれるのではないかと期待したいところだ。そして、世界はまだまだおもしろいし、変わるし、変えられるし、そこに自分が多少なりとも貢献する余地があるという、本書に満ちあふれる確信を読者のみなさんが少しでも吸収してくれれば、著者たちの狙いは多少なりとも果たされるのではないか。」
*「訳者あとがき」より

9つの原理は「世界の新しいオペレーティングシステム(OS)を使うにあたっての有益なヒント」であり、「新世界を形成し、そこで栄えるための青写真を提供するもの」であること。そして、「おもしろがる能力」、「おもしろがるという目利き能力」を持つこと。改めて、なぜ「まちの居場所」が「おもしろい」のかという原点に戻る必要があるのかもしれません。そこからは、計画者/利用者を二分するというコンセプトを乗り越えるとは、計画の無効を指摘するのではない領域の問いが浮かびあがってきます。
「ひがしまち街角広場」のAさん、「親と子の談話室・とぽす」のSさん、「ふれあいリビング・下新庄さくら園」のWさんは、それぞれの場所を通してどのような価値を実現しようとされている/いたのか? どのような社会を思い描かれている/いたのか? そして、3人/3つの場所に出会った者には何を継承できるのか? その社会の実現にどう関与できるのか? を問うことです。
これらの問いには、それは研究なのか? という問いが常についてまわりますが、これに対しては、今の社会において研究という行為がもつ意味は何かを問う必要がある、と考えるべきなのかもしれません。


参考