多摩ニュータウンの近隣センターの空き店舗を活用して運営されているコミュニティ・レストラン/コミュニティ・カフェ「福祉亭」。
同じように千里ニュータウンの近隣センターの空き店舗を活用して運営されているコミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」。もう10年以上前になりますが「ひがしまち街角広場」の方々と一緒に「福祉亭」を訪問させていただきました。
そして、先月、「福祉亭」を訪問した際、「ひがしまち街角広場」の近況報告として、『「まちの居場所」の継承にむけて』(長寿社会開発センター・国際長寿センター, 2017)という研究レポートを差し上げました。
「福祉亭」理事長のTさんが、レポートを読んでくださったようで感想をブログ「福祉亭日記」(2017年7月2日)に書いてくださっています。
「居場所の報告集は、そんな日々の強力なエール」との言葉。読まれることのないレポートもある中で、「まちの居場所」の実践をされている方に読んでいただけたことはありがたいことと感謝しています。
「まちの居場所」は来訪者の人数(とそれに伴う収入の多さ)だけによって価値が決まるわけではない。けれども、運営を継続するためにはある程度の収入(つまり、ある程度の人が継続的に訪れること)が必要。
Tさんが「福祉亭日記」で指摘されているように、これを乗り越えるのかがわからないというのが、このレポートの課題の1つ。
自身が運営に関わってきた「まちの居場所」、調査・見学させていただいた「まちの居場所」、どこを訪れてもこの部分を課題にされているところが多い。こうした状況において、運営を継続するためには組織の体制を整えなければならない、ボランティアでは運営は長続きしないというのはよくある指摘。
けれども、「ひがしまち街角広場」(2001年〜)や、大阪府によるふれあいリビング整備事業の第一号としてオープンした「下新庄さくら園」(2000年〜)は、任意団体で、しかも、ボランティアで15年以上の運営が継続されている。「福祉亭」(2002年〜)は組織としてはNPO法人ですが、運営の中心はボランティア。
ボランティアでは運営は長続きしないという場合、長続きとは何年を想定しているのかわかりませんが、ボランティアで15年以上運営が継続されている場所もある。もちろん、日々の運営の現場においては、外から見てるだけではわからない課題もあると思います。理念だけでは運営できないという現実もあると思います。
そうであるにも関わらず、運営が継続されているのは何故か? 日々運営の現場における力はどこから湧いてくるのか? Tさんの表現を借りれば、「照る日もあれば、曇る日もある」時に「微かな光を目指して進む」力はどこから湧いてくるのか? あるいは、理念(価値)と現実とをどうやって折り合いをつけながら運営されているか? ここにこそまず注目すべきではないか。
この(曖昧とした)部分に対して何らかのお手伝いをすることができればと思って書いたレポート。だから、「居場所の報告集は、そんな日々の強力なエール」という言葉は有難い言葉だと思います。もちろん、このことは客観性、一般性が求められる研究という側面では不純な動機かもしれません。こうした迷いも、上で書いたレポートの課題につながっていると思います。