『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

場所を消費する研究、育てる研究とは

昨年、ILC Japan(国際長寿センター日本)で、大船渡「居場所ハウス」についての研究をさせていただきました(プロダクティブ・エイジング実現に向けた「まちの居場所」の役割と可能性~岩手県大船渡市「居場所ハウス」の取り組みから~)。

今年度も引き続き研究をさせていただく予定です。今年度は「居場所ハウス」に加えて、10年ほど前からお付き合いをさせていただいている東京都の「親と子の談話室・とぽす」、大阪府千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」を再度、調査させていただきます。そして新たに、新潟市の地域包括ケア推進モデルハウスとして運営されている「実家の茶の間・紫竹」を調査させていただく予定です。

このような場所(まちの居場所)を運営する方に話を伺うと、共通点が多いことに気づきます。2000年頃から、どこか共通する理念をもった方々によって「まちの居場所」が同時多発的に開かれているというのは、1つの時代を表しているのだと感じます。
「まちの居場所」は、最近は介護予防の分野でも注目され初めています。制度に組み込まれ、補助金がつくようになれば、これからますます広がっていくと思います。施設から地域の場所へという大きな流れが生まれている現時点において、先駆者たちは何を大切にして、「まちの居場所」を開いてこられたのかを改めて振り返っておきたいと考えています。

「親と子の談話室・とぽす」も「ひがしまち街角広場」も制度化の動きと格闘してこられた側面があるように感じています。格闘と言っても、それは行政と敵対しているという意味ではありません。逆に、行政とべったりしているわけでもありません。行政と対等な関係を築きながら、自分たちが大切にしていることを実現しようと試行錯誤してこられた(このようにして運営されている「まちの居場所」は多いと思います)。

繰り返しになりますが、だからこそ、何を大切にしてこられたのか? それはどうすれば継承できるのか? 今年度の研究ではこのことを考える機会としたいと考えています。

地域の人々にとって「まちの居場所」は、自分たちの地域にあるかけがえのない1つの場所。でも、研究者にとっては研究対象とする複数の「まちの居場所」の中の1つ。
このことを自覚した上で、そうであても、研究者も場所を育てるためのプロセスの中に加わることができないかという(贅沢な?)ことを考えています。
(以下、個人的な意見ですが)これまでは調査対象を消費することで成立する研究も行われてきたと思われます。消費的、あるいは、焼き畑的な調査というのは、興味深い対象を見つけて調査し、それを論文にする。論文にするためのネタがなくなれば、また新たな調査対象を見つける。そして、調査対象には結果が還元されることはない。

日本で最初の大規模ニュータウンである千里ニュータウンでは多くの調査がされたけれど、調査に協力しても地域は何も変わらなかったという話を聞いたことがあります。また、東日本大震災の被災地では調査公害の問題が指摘されていました。仮設住宅の方からは、アンケート調査に回答したけれど、結果を教えてもらったことはないという話を聞いたこともあります。そうであっても論文としては成立してしまうのが事実(もちろん、そうではない研究もたくさん行われていると思います)。

上に書いた通り、研究者にとって研究対象とする場所は複数の「まちの居場所」の中の1つであるとしても、研究という行為を「公共的な」営みとし続けるためにも、場所を育てることに関わる研究の可能性を思い描いてしまいます。場所を育てることに寄与するまではいかずとも、少しでも地域において意味ある役割を担うことはできないかと。

こうした行為が、客観性や中立性が求められる研究なのか? という指摘はあると思います。しかし、表面的なことを一般化するのでは「まちの居場所」の先駆者たちの思いを継承できないとすれば、研究というもののあり方も変えていく必要があるのではないかと考えています。