『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

個々にやって来て、多様なかたちで過ごせる場所

千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」を訪問しました。新千里東町の近隣センターの空き店舗を活用して運営されている場所です。

一緒に訪問していた方と話していたのですが、来訪者が、他の来訪者やスタッフとテーブルを越えて話をしているのは「ひがしまち街角広場」らしい光景ではないか。千里ニュータウンの他の住区で運営されている、あるコミュニティ・カフェでは、こういう光景は見られないという話をしていました。

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写真は、お昼前の「ひがしまち街角広場」の様子です。左側のテーブルの女性、中央のテーブルの女性、右側のテーブルの男性は別々にやって来て、それぞれのテーブルで過ごされていましたが、写真を撮影した時には左側のテーブルの女性はスタッフと話をし、中央のテーブルの女性は後ろを振り返り、男性と話をしていました。

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この日の午後からは、近くの幼稚園に子どもをプレ入園させている母親たちがやって来ました。母親たちの人数は8人。8人の母親に対して、スタッフが話をしている光景も見られましたが、このくらいの人数になるとどうしても自分たちのグループで過ごしているという感じになります。
もちろん、グループで過ごすことは悪いことではありません。このように若い世代の人の姿が見られることからは、「ひがしまち街角広場」は決して高齢者だけが訪れる場所でないことがわかります。

この日は11時頃から13時半頃まで「ひがしまち街角広場」に滞在していました。2時間半の間に「ひがしまち街角広場」にお茶を飲みにやってきたのは17人(若い世代の女性8人を含めて)。そして、若い世代の8人を除けば、みな別々に1人ずつ来ていたことに気づきました。
グループで過ごせる場所はもちろん大切です。しかし、そのような場所ばかりでは地域での人間関係は広がっていかないのかもしれません。
1人で気が向いた時にふらっと立ち寄り、会話に参加することを強いられることなく1人で過ごすことができる。けれども、話をしようと思えば居合わせた人やスタッフと話をすることができる。このような多様なかたちで過ごすことのできる場所の存在が、地域において人々が緩やかな関係を築いていくことにつながっていくのだと思います。