『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ひがしまち街角広場の運営終了に向けて

先日、千里ニュータウン新千里東町のコミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」を訪問しました。商店街の空き店舗を活用して開かれたコミュニティ・カフェのパイオニア的な場所です。

いつ訪れても多くの人が訪れており、スタッフの方に聞いたところ平均すると30人、多い日では50人、60人もいるとのこと(*来訪者数は100円のコーヒーの飲物の売上で計算しているため、1日に2〜3回訪問したり、1回で2〜3杯飲物を注文したりする人は重複してカウント)。

オープンは2001年9月30日であり、既に18年以上の運営が続けられています。
運営時間は月〜土の週6日、11〜16時で、提供されているのはコーヒー、紅茶、生姜湯、カルピスなどの飲物だけ。プログラムは全く行われていません。それにも関わらず、日々、これだけの人々が日々訪れ続けている。
やって来られた方の様子を見ていると、次のようなことに気づかされます。

  • 1人で入って来る人も、2〜3人で入って来る人もいる
  • 女性だけでなく、男性もいる
  • 自分たちのグループだけで話すのではなく、居合わせた人やスタッフと話をする人も多い(通常のカフェでは見られない「テーブル越しの会話」が頻繁に発生する)
  • コーヒーを飲み終えサッと帰る人もいれば、何時間も過ごす人もいる
  • 閉店間際に入って来る人もいる(もうすぐ閉店やから飲物はいいと遠慮する来訪者に対して、大丈夫と閉店間際でも飲物を提供するスタッフのやり取りも見られる)
  • 例えば、「雨が降ってきたから、寄らずに帰るわ」と、中に入らないがスタッフの顔だけ見て帰る人もいる

「ひがしまち街角広場」は100円の飲物の売上だけで、空き店舗を借りる家賃、水道光熱費、食材費など全ての経費を賄っており、補助金も一切受けていません。
スタッフが全員ボランティアであるため、100円の飲物の売上だけでよいという理由はありますが、(お金を受け取らないため)緩やかな主客の関係のもと、スタッフの方々も地域の人に出会える機会、暮らしに張りをもたらす機会とされています。プログラムを提供したり、食事を提供したりするわけでないため、スタッフにも負担がかからない。

18年以上の運営が継続されているということは、「ひがしまち街角広場」の運営は「持続可能」な仕組みになっていると言ってよいと思います。

このような「ひがしまち街角広場」ですが、近隣センター(商店街)の移転・建替により、空き店舗がなくなるという事態により、早ければ1年半後(遅くても2年半後)には運営を終了することが決まっています。

当初、新築される地区センター(集会所)に「ひがしまち街角広場」を継承するようなカフェが作れたらいいという話が出されていました。しかし、移転・建替の事業が進むにつれて、カフェを開く話だけが一人歩きしてしまい、「ひがしまち街角広場」を継承するという部分が抜け落ちてしまうことになりました。現在、カフェのスタッフが募集されていますが、「ひがしまち街角広場」に声がかかることはなく、「ひがしまち街角広場」とは全く別のかたちでのカフェになりそうです。

だからと言って、新築される近隣センターには入居できない(もし入居できるとしても家賃が上昇する)、さらに、新千里東町には集合住宅と行政やオーソライズされた自治会などの組織が管理する施設しかなく、(他の街のように)空き家、空き店舗など自由に使える場所を見つけることができない(街が「私」の領域と「公共」の領域に二分され過ぎており、「私がパブリックなものを生み出す」という領域が生まれる余地がない)という状況があるため、「ひがしまち街角広場」独自で場所を確保することも難しいのが現実。
以上のような状況から、運営を終了することが計画されています。

「ひがしまち街角広場」のスタッフの方々は、運営を終了すると、いつも来ている人の行き場がなくなってしまうことを懸念されています。ただし、運営終了はまだ先のことだと実感を持っていない人も多いため、早い段階で「○○年○○月○○日で運営を終了します」とアナウンスし、代わりになる場所を見つける努力を始めていく必要がある、とのこと。

お世話になった「ひがしまち街角広場」に対して何をお返しできるかと思いますが、今思いつくのは、これまで「ひがしまち街角広場」が生み出してきた価値をきちんと記録しておくことと、新たな場所(代わりになる場所)に関して参考になる情報やアイディアを提供することです。


交通アクセスの良さから、近年、千里ニュータウンは人気のあるベッドタウンとなっており、再開発により多くの分譲マンションが建設され、街の風景が一変しました。それに伴い、30〜40代を中心とする若い世代も多く転入しており、人口構成も一変しました。今の時代、人口が増加する街というのは恵まれているのかもしれませんが、街の変化が急激過ぎて、これまでの歴史が消えていきつつある。ジェントリフィケーションの1つのかたちということになるのかもしれません。