『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

地域住民の主体性を問うこと

少し前のことになりますが、ある団体が運営するコミュニティの場所の見学に行きました。団体のスタッフは、もう少し地域住民に主体的に活動してもらうようにするのが課題になると話されていました。
地域住民の主体性について、大船渡の「居場所ハウス」、千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」では話題になることはありません。理由は、地域住民で運営している場所だからという単純なことだと思います。
地域住民で運営している場所では、(見学した団体のスタッフが理想としているような)地域住民が主体となって運営するという状態が成立していますし、そうしないと運営できません。もちろん、地域住民の中での場所への関わりの濃淡はありますが…

団体のスタッフがお世話をしてくれるから、地域住民はそれに甘えてしまう。そのような状態に対して、団体のスタッフは、もっと地域住民に主体的になって欲しいと願う。こう考えると、団体のスタッフ=お世話する側、地域住民=お世話される側という関係が、地域住民が主体となって活動することを妨げている側面はあると思います。

そうは言っても、これからの時代、NPO法人、社会福祉法人、あるいは、公的な機関など、外部の団体が地域住民の活動をサポートすることも重要になってきます。
この時、地域にとって外部団体が関わる場合には、お世話をする側/お世話される側という関係をいかに崩していけるかが求められます。

まず、地域住民は外部の団体のスタッフがお世話してくれることに依存しないことが大切。

一方、外部の団体は、自分たちの団体のやり方を押しつけないことが大切。例えば、外部の団体のスタッフが鍵を管理していて、地域住民は自分たちの判断では時間外利用ができない場所と、地域住民が鍵を管理していて、自分たちの責任でいつでも出入りできる場所を考えると、些細なことに思われるかもしれませんが、誰が鍵を管理しているかにより場所の性格は大きく変わってきます。以前ご紹介した通り、「居場所ハウス」では休館日の木曜日にも人の出入りがあり、色々なことが起こっています。
また、外部の団体には、仕事だから(きちんとしないと思って)とついつい過剰に手を出すのを控えて、あえて手も口も出さず何もしないこともきちんと仕事として評価していく(仕事を怠けてるとは見なさない)という雰囲気を作っていくことも大切なのだろうと思います。
あえて手も口も出さないというのは、ここで書くほど簡単なことではないですが、具体的な場所があれば、(手も口も出さないが)見守るとか、一緒に楽しむとか、色々な関わり方はあると思います。

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*写真は「居場所ハウス」の干し柿作りの様子。休館日の木曜日に何人かが集まり、干し柿作りをされました。