『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

居場所ハウスで交流歓迎会を開催しました

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2016年4月16日(土)、「居場所ハウス」の周囲等に高台移転された方々/される方々(自力再建、防災集団移転、災害公営住宅へ入居の方々)との交流歓迎会を開催しました。
高台移転によって新たな土地での暮らしをスタートさせる方々に対して、「居場所ハウス」がどのような役割を果たせるのかを考えた時、まずは高台移転された方々/される方々に、「居場所ハウス」がどのような場所なのか? どのようなメンバーが集まっているか? を知ってもらう必要がある。このような考えで企画した行事です。

この日は第3土曜で、毎月恒例となった朝市も同時開催(9〜12時)。2014年10月25日(土)にスタートし毎月1〜2回継続してきた朝市も、この日で20回目となりました。前日は暴風でテントの天幕を張れなかったため、朝6時半頃からテントを張ったメンバーもいたと聞きました。
交流歓迎会では、煮しめ、うどん、くるみ餅などを昼食に振る舞いました。調理は「おたすけ隊」、婦人会、老人クラブ、食改(食生活改善推進員)のメンバーらが担当。前日から「ふるさとセンター」調理室で下準備をし、当日も朝早くに集合して調理をされました。
この日の交流歓迎会・朝市を行うにあたっては、「居場所ハウス」のメンバー、「おたすけ隊」、婦人会、老人クラブ、食改、そして、末崎町外からはカリタス・ジャパンの方、大船渡市役所に派遣職員として来られている方など、多くの方々(約50人ほど)の協力がありました。多くの方々が地域を良くするために集まったこと。これは、「居場所ハウス」が生み出した財産だと思います。

10時から交流歓迎会がスタート。
初めに司会者から、東日本大震災がきっかけで「居場所ハウス」が生まれたという話があり、東日本大震災で犠牲になられた方、今なお仮設住宅での暮らしを余儀なくされている方、そして、熊本地震で被災された方への黙祷をささげました。
続いて「居場所ハウス」の運営主体であるNPO法人居場所創造プロジェクト理事長、末崎地区公民館長、として、「居場所ハウス」のある末崎町平地区の公民館長からの挨拶。末崎地区公民館長からは、住みやすい町というのは病院などが近くにある町なのではなく、良い人間関係が築かれている町であること、今日の行事は良い人間関係を築くための第一歩だという言葉をいただきました。
平地区公民館長からは、平地区の状況についての話がありました。震災前、平地区は約180世帯だったのが現在は220世帯に増加したこと、そして防災集団移転が完了すると236世帯になること。加えて、来月からは55世帯の県営災害公営住宅への入居が始まり、合計で約290世帯になること。末崎町内で100世帯を越えるのは中野(155世帯)、碁石(119世帯)、小河原(100世帯)の3地区だけであり、他の地区は50世帯。これに比べて平地区は非常に大規模であり、平の良さをどう継承するかが地区の課題になるという話がありました。

挨拶の後、「ローブロー」によるライブ、音楽療法士の立花理砂さんによる歌と体操のサロンが行われ、11時20分頃から歓迎の餅つき。高台移転してこられた方、カリタス・ジャパンの方に加えて、遊びに来ていた中学生の女の子が参加する場面も。そして、慣れた手つきで手合わせをする女性の姿。つきあがったお餅は、くるみ餅として振る舞いました。
12時半過ぎから午後のプログラムがスタート。予定にはありませんでしたが、末崎町出身の勇款(さすけ)さんが来てくださり日本舞踊を披露してくださいました。そして、「ローブロー」のライブ。「ローブロー」のメンバーの1人、菅原さんは末崎町平地区出身。もう1人のメンバー、里見さんは母方の実家が末崎町碁石地区にあるということで、お2人とも末崎町に縁のある方。NHKみんなのうたに選出された「家に帰ろう」を耳にされた方がいるかもしれません。

13時半、「ローブロー」のライブが終わり、残っていたメンバーで(ローブローの方にも手伝っていただき)、後片付けを行いました。
この日は晴天にも恵まれ、高台移転の方々約50名と、朝市の買物客など、多くの方々にお越しいただくことができました。


この日の交流歓迎会・朝市では熊本地震への義援金のための募金箱を設置しました。
デジタル公民館まっさきのメンバーで、「居場所ハウス」にも何度も足を運んでくださったKさんの赴任先であり、「居場所ハウス」設立を提案したワシントンDCの「Ibasho」代表Kさんの実家があるなど、「居場所ハウス」は熊本とつながりがあります。

東日本大震災以降、日本では被災地=東北という考えが主流を占めていたのだと思います。それが今回、熊本地震が起こったことで、東北だけが被災地とは見なされなくなった… もちろん東北の復興もまだまだ道半ば。大船渡市末崎町に限っても、高台移転はまだ完了しておらず、まだ仮設住宅での暮らしを余儀なくされている方々がいます。学校のグラウンドはまだ子どもたちが使える状態ではなく、津波で浸水した土地はどうなるかも目処が立っていません。防潮堤のこともあります。
しかし、今回熊本地震があったことで、東北だけが被災地とは見なされなくなった。それゆえ、「居場所ハウス」にも、活動が自分たちの地域の復興にどう寄与できるかと同時に、「居場所ハウス」での経験を他の地域にどう伝えていくかという役割も求められるようになったのだと考えています。「居場所ハウス」が復興の唯一の形だとはもちろん思いませんが、それでも「居場所ハウス」は何を実現できたのか? 運営においてどのような課題があるのか? などは他の地域においても有意味な情報になる可能性がある。(被災地支援と言われている活動に比べると遠回りかもしれませんが)「居場所ハウス」の経験をきちんと情報発信していくことが大切だと考えています。

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