『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

次の人への贈り物としての調査

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「居酒屋ハウス」。

これは「居場所ハウス」に届いた郵便の宛名部分を撮影したもの。でも、「居場所ハウス」が「居酒屋ハウス」に改名したわけではありません。
ある大学から届いたアンケート調査を依頼する封筒に貼られていた宛名です。調査を依頼するのであれば、せめて宛名が正しいかどうか確認する余裕はなかったのかと思います。
これは嫌味で書いているわけではありません。今回の出来事は、自身が調査というものに携わる者として、色々なことを考えさせられました。

「居場所ハウス」にも時々、アンケート調査を含めて、視察や調査の依頼がありますが、それ以上に、仮設住宅に対する調査は多いようです。
調査する者にとっては1度きりでも、調査を受ける仮設住宅の方にとっては同じようなことを何度も何度も質問されることになる。しかも、調査の窓口になった市役所の担当部署や、仮設住宅支援員に対してすら調査結果の報告がないこともあると聞きます。

内田樹氏の「卒論の書き方」という素敵な文章があります。
学術研究は「他者への贈り物」だという内田樹氏は、「「学術論文を書く」ときの心構えは、みなさんがふだん生活しているときに「たいせつなひとに、自分のことをいつまでもきちんと記憶してもらいたくて贈る贈り物」を選ぶときの基準とまったく同じです」と書いておられます。
内田樹「卒論の書き方」・『内田樹の研究室』2010年8月3日

アンケート調査を依頼する時に宛先を間違えるとか、仮設住宅の方が何度も同じ質問に答えている可能性を考慮しないというのは、内田樹氏の言葉を借りれば、相手のことを「たいせつなひと」だと思っていないということ。
素朴過ぎるかもしれませんが、調査をする一人ひとりが、対象に対して敬意を持つなら、調査公害という状況は少しは改善されるでしょうか。

調査とは、印象論だけで語られがちなこと、あるいは、日々の生活において何気なく見過ごしてしまいそうなことを、データとともに、根拠を示しながら丁寧に語っていくためのものであり、それはいつの時代においても重要なことだと考えています。
調査は目先の利益のためだけにするものではない。今すぐには有用でなくても、長い目で見れば社会のためになることも、同じように大切です。

回答者にとっては、今すぐ自身の利益にならない。それにも関わらず、調査に協力してもらえるのは、調査というものが(長い目で見れば)社会のためになるという信頼感があるからこそ。この意味で、調査とは公共性をもった行為。だから、学術論文の中身だけではなく、調査という行為自体も、次の人に対する「贈り物」とせねばならないのだと考えています。

いい加減な調査をした本人が不利益を被るなら自業自得ですが、それによって「もう二度と調査には協力したくない」というように、調査に対する信頼感が損なわれるとすれば、次の人がどんどん調査しにくくなってしまう。そのような焼き畑農業的な調査では、次の人への「贈り物」とはならない。

調査は公共性をもった行為だという信頼感を損なわないためにはどうするか? 今回の出来事では、色々なことを考えさせられました。