この文章は高齢者住宅財団が発行する『財団ニュース』Vol.135, 2016年11月に寄稿させていただいたものです。PDFはこちら。
目次
「まちの居場所」が担う意味~岩手県大船渡市「居場所ハウス」の試みから~
1.被災地に開かれた居場所
2000年頃から、まちの居場所、コミュニティ・カフェ、地域の茶の間などと呼ばれる新たなかたちの場所(以下、これらの場所を総称して「まちの居場所」と呼ぶ)が、時には専門家を抜きにして、地域住民を中心とする人々の手によって同時多発的に開かれてきた(注1)。「まちの居場所」が開かれ初めて既に15年以上が経過しているが、ますます多様なかたちの「まちの居場所」が開かれており、もはや時代の1つの流れを形作っていると言っても過言ではない。
近年では、「まちの居場所」には介護予防、生活支援、孤立防止などの効果があることが広く認識されるようになり、「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続ける」(注2)ことを実現するための1つの柱として注目されている。例えば、2015年に施行された「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)でサービスの1つとして盛り込まれた「通いの場」は、「まちの居場所」をモデルにしたものである(注3)。
「まちの居場所」に注目が集まっている現在、改めて「まちの居場所」はどのような意味を持ち得るのかを、「ハネウェル居場所ハウス」(以下、居場所ハウス)の活動を通して考えていきたい。
「居場所ハウス」は東日本大震災の被災地である岩手県大船渡市末崎(まっさき)町(注4)に開かれた場所である。ワシントンDCの非営利法人「Ibasho」の提案がきっかけとなり、最初のワークショップから1年以上の準備期間を経て、2013年6月13日にオープンした(表1)。建物は米国ハネウェル社の社会貢献活動部門「ハネウェル・ホームタウン・ソリューションズ」からの災害復興基金を受け、陸前高田市気仙町の古民家を移築・再生したものである(写真1, 2)。
「居場所ハウス」は、ワシントンDCの非営利法人「Ibasho」が掲げる次の8理念に基づいて運営している。
- 高齢者が知恵と経験を活かすこと(Elder Wisdom)
- 「ふつう」を実現すること(Normalcy)
- 地域の人たちがオーナーになること(Community Ownership)
- 地域の文化や伝統の魅力を発見すること(Culturally Appropriate)
- 様々な経歴・能力をもつ人たちが力を発揮できること(De-marginalization)
- あらゆる世代がつながりながら学び合うこと(Multi-generational)
- ずっと続いていくこと(Resilience)
- 完全を求めないこと(Embracing Imperfection)
この8理念が描くのは、面倒をみてもらう存在だと見なされる傾向にある高齢者が、何歳になっても役割を担いながら地域に住み続け、世代を越えた関係を築いていくことが可能な社会であり、「居場所ハウス」はそれを具現化するための「施設ではない場所」づくりの試みである。
写真1
写真2
表1 居場所ハウス略年表
- 2011年3月11日:東日本大震災
- 2011年3月17日:「Ibasho」代表のEK氏がワシントンDCで行ったレクチャーで被災地支援について言及
- 2011年3月22日:世界各国の被災地支援を行う国際NGO「Operation USA」が「Ibasho」にコンタクト
- 2012年1月12日:9ヶ月の協議を経て「Ibasho」の提案が「Operation USA」のプロジェクトとして認可
- 2012年2月13日:「Ibasho」、「Operation USA」のメンバーらが、大船渡市の社会福祉法人の受け入れでプロジェクトの候補地として大船渡市・陸前高田市を訪問
- 2012年5月14日:最初のワークショップを開催。以降、2013年5月8日までの間に計6回のワークショップを開催
- 2012年9月15日:NPO法人・居場所創造プロジェクト、設立総会を開催。運営する場所の名称が「居場所ハウス」に決定
- 2012年10月16日:地域説明会を開催
- 2012年10月24日:地鎮祭を開催
- 2013年3月8日:NPO法人・居場所創造プロジェクトが設立
- 2013年5月15日:鍵引き渡し
- 2013年6月13日:オープニングセレモニーを開催
- 2013年6月29日:最初の運営会議(定例会)を開催
- 2013年7月1日:この日より、週5日をパートで、週1日をボランティアで運営
- 2013年10月1日:この日より、ボランティアで毎日運営する
- 2013年11月24日:「居場所感謝祭」を開催
- 2014年1月13日:この日より、週3日をパートで、週3日をボランティアで運営
- 2014年7月13日:「一周年記念感謝祭」を開催
- 2014年8月24日:「居場所農園」での作業を始める
- 2014年10月25日:最初の朝市を開催
- 2015年1月末日:屋外にキッチンの建設を始める
- 2015年5月3日:この日に開催された「鯉のぼり祭り」にあわせて、屋外のキッチンを活用した食堂の運営を開始
- 2015年6月14日:「二周年記念感謝祭」を開催
- 2016年4月16日:高台移転者との交流歓迎会を開催
- 2016年6月18日:「三周年記念感謝祭」を開催
2.居場所ハウスの運営
「居場所ハウス」は木曜を除く週6日、10時~16時までカフェの運営を行っている。地域にある公民館や集会所は、普段は鍵が閉まっており、会議や教室などの目的がある時にだけ利用する場所である。それに対して「居場所ハウス」は運営時間内であれば自由に出入りできるという違いがある。11時半~13時半は食堂を運営しており、事前の予約なしで昼食を注文することができる(表2)。
日によっては生け花教室、歌声喫茶、同級会などのグループ活動が行われたり、ひな祭り、鯉のぼり、七夕、盆踊り(写真3)、クリスマスなどの季節の行事が行われたりする。これらの活動はオープン時点は計画されていなかったものばかり。運営に関わる人々の話し合いや試行錯誤を通して、活動内容は徐々に膨らんできたのである。
当初、カフェとしてスタートした「居場所ハウス」の運営のあり方を大きく変えたのが朝市と食堂である。「居場所ハウス」は地区公民館、診療所、保育園、小学校、中学校などが集まる末崎町の中央地区に位置し、周囲には災害公営住宅と防災集団移転による戸建て住宅、合わせて約100戸が建設されている(写真4)。けれども周囲には店舗や飲食店がほとんどない。こうした地域の状況と、オープン以来補助金を受け運営している「居場所ハウス」の財政的な基盤を確立するために、2014年10月から毎月の朝市を(写真5)、2015年5月から自分たちで屋外に建設したキッチン(写真6)を活用した食堂の運営をスタートさせた。
来訪者の中心は末崎町の高齢者だが、放課後や休校日には子どもたちが遊びに立ち寄ったり(写真7)、行事に子どもが父母・祖父母と一緒に参加したりすることもある。オープンから2016年8月末までの来訪者は延べ約20,600人、1日平均にすると約21人になる(図1)。
日々の運営を担うのは、末崎町の住民を中心として新たに設立されたNPO法人・居場所創造プロジェクトのメンバー。世間的には高齢者と見なされる世代の人々が中心である。オープン当初から運営についての情報を交換したり、議論したりするための定例会を毎月欠かさず開いており、毎回10~15人のメンバーが参加している(写真8)。
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
図1 来訪者数の推移
写真8
表2 居場所ハウス基本情報(2016年9月現在)
- オープン:2013年6月13日(木)
- 住所 :岩手県大船渡市末崎町字平林54-1
- 運営日時
- カフェ:10時~16時(事前の予約で21時まで貸し切り利用可)
- 食堂:11時半〜13時半
- 定休日:木曜
- メニュー
- カフェ:コーヒー、ハーブティ、ゆずティー、かき氷など(緑茶・麦茶は無料で提供)
- 昼食:うどん、そば、カレーライス、焼き鳥丼、中華飯、週替わりランチなど(事前の予約は不要)
- 運営主体 :NPO法人・居場所創造プロジェクト
- NPO法人設立:2013年3月8日(金)
- 運営体制
- 月・火・金曜:4人のパートが2人ずつ交代で当番を担当
- 水・土・日曜:ボランティアが当番を担当
- 構造 :木造平屋
- 敷地面積:966㎡
- 延床面積:115.15㎡
3.「居場所ハウス」が担う3つの役割
2016年9月10日、「居場所ハウス」で地域住民が主催するお茶会が開かれた。最近開かれたこのお茶会を議論のきっかけとしながら、「居場所ハウス」が担っている3つの意味をみていきたい。その意味とは、①暮らしの文化の継承、②自分なりの役割、③所属ではない緩やかな関係の3つである。
①暮らしの文化の継承
この日のお茶会は「菊のお茶会」と名づけられた。「居場所ハウス」の和室は重陽の節句にちなんだしつらえがなされ、即席の茶室となった(写真9)。季節の行事を行う場合、プレハブではなく、古民家を移築・再生した空間がいきてくる。「菊のお茶会」はひな祭り、七夕に次ぐ今年3度目のお茶会であり、参加者にとっては時々の季節を感じながら、お茶の文化に触れることができる機会となった。
先に紹介した通り、「居場所ハウス」ではオープン以来、ひな祭り、鯉のぼり、七夕、盆踊り、クリスマスなどの季節の行事を行ってきた。これらの行事は、かつては地域や各家庭で行われていたものだが、少子化や東日本大震災などの影響で次第に行われなくなりつつある。こうした行事を継承するのも、地域の人々が集まる「居場所ハウス」が担える役割の1つである。
「居場所ハウス」であげている鯉のぼりは、子どもが独立したため何十年も使っていなかった鯉のぼりを、地域の何人かの方から寄贈されたものである(写真10)。
ひな祭りには高田人形と呼ばれる土人形を、地域の方から借りて展示している。高田人形は、現在の高齢の方が子どもだった頃は身近なものであったが、今では保存する家庭も少なく、さらに東日本大震災で多くが失われたという貴重なもの。土人形を貸してくださった女性からは「妹と喧嘩しないように、姉妹で同じものを毎年1体ずつ買ってもらった」という話を、別の女性からは「ひな祭りの時、子どもたちは自分の土人形を持って1軒の家に集まった。子どもたちはそこで共に寝起きし、一緒に学校に通った」という今では行われなくなった風習についての貴重な話を聞かせていただくことができた(写真11)。
自分の家ではあげなくなったけれど、ぜひ「居場所ハウス」であげてやって欲しいと鯉のぼりをもって来てくださる方がいたり、昔のひな祭りの思い出を生き生きと語ってくださる方がいたりするように、暮らしの文化は、自分がどんな暮らしをしてきたのか、何を大切に継承してきたのかという個々人の歴史と密接に結びついている。
「居場所ハウス」で暮らしの文化に触れることができるのは季節の行事の時だけではない。ひっつみ汁、小豆ばっと、結婚式の披露宴で出される「おぢづき」などの郷土食が食堂のメニューになることもある。日々の運営の中で、郷土食を作ったり、季節の素材を用いた干し柿(写真12)、凍み大根を作ったり、クルミの殻むきを行ったりすることもある。手作りのがんづき、漬物などの差し入れが行われることもある。食にまつわることだけでなく、地域のお祭りで身につけるものの縫い方を高齢の方から教わっていた人もいた。
「居場所ハウス」から教えられるのは、暮らしの文化とは博物館の中に保存されているものでないということである。現在、文化と見なされ、保存や継承の必要性が言われているものも、かつては日々の暮らしに密接に結びついていたもの。日々の暮らしの積み重ねが文化を形成してきたのだとすれば、地域の人々が日々の暮らしを共にできる場所は、文化の継承を下支えしていると言える。
写真9
写真10
写真11
写真12
②自分なりの役割
「菊の茶会」の主催者は、お茶の先生をしている地域の方である。参加者の中にも、現在お茶を習っている、あるいは、以前習っていたという方がいた。こうした行事を行う度に、地域には様々な特技・趣味をもつ人がいることに気づかされる。
「居場所ハウス」ではこれまでに郷土食作り、草履作り、踊り、着物の着付け、子どもを対象とする物づくり教室(写真13)など様々な教室を開催してきた。多くの場合、講師は地域の高齢の方である。「居場所ハウス」は講師となる人々にとっては、自分の特技や趣味をいかして地域の人々と関わる機会を、同時に、地域の人々にとっては、自分の住む地域にはどのような特技や趣味をもつ人がいるかを認識できる機会を作り出している。
ただし、このことは教室に限るわけではない。「居場所ハウス」の運営自体が、地域の人々が自分の得意なこと、できることを持ち寄ることで成立しているのである。
仕事の経験をいかして花・植木の手入れをしたり、大工仕事をしたり、料理したりする人もいる。パソコンを使ってチラシ作りや会計を担当する人もいる。農作業、朝市のテント張り、薪ストーブのための薪割りをする人もいる。
日々のカフェ、食堂の運営当番はパート、ボランティアが担当しているが、当番は昼食時は調理で忙しい時がある。そういう時には食べ終えた食器を洗ったり(写真14)、食事を運ぶのを手伝ったりする来訪者もいる。自分で作ったお菓子や漬物、収穫した野菜や果物などをお裾分けしてくれる人もいる。自分には何もできないからと砂糖や小麦粉などを持って来てくださる高齢の女性もいた。
ここで大切なことは、「居場所ハウス」における人々の関係は、サービスする側/される側という固定されたものでないということである。しかし、このことは地域の人々みなが同じ役割を担うという意味ではない。
地域の人々の「居場所ハウス」への関わり方は様々であり、人によって得意なこと、できることも当然異なる。みなが同じ役割を担うわけではないが、そうであるにも関わらず、サービスする側/される側という固定された関係を作らないことを大切にしているという意味である。
このことは日々の運営を担当している当番にもあてはまる。「居場所ハウス」において、当番は一方的にサービスを提供する店員ではない。時間があれば他の人と一緒にテーブルに座ってお茶を飲んだり、話をしたりしながら過ごす地域の一員なのである(写真15)。
何歳になっても、自分は誰かの役に立っている、誰かに影響を与えているという実感を持てることの重要性は変わらない。だからこそ、自分が何らかの役割を担えることは喜びにつながるのであり、相手から感謝される場合もある。しかしそれが一方通行になりサービスする側/される側の関係が固定化されてしまえば、相手から役割を奪ってしまうことにもなる。悪意からでなく善意に基づいた振る舞いが相手の役割を奪う可能性があるからこそ、人々の関係を固定化しないよう意識しておくことが必要である。
写真13
写真14
写真15
③所属ではない緩やかな関係
「菊の茶会」を主催した方は、「お茶は流派が違っても基本は同じ。「居場所ハウス」では流派を問わないお茶会を開くのはどうかと考えている。このような機会がないと、せっかくお茶を覚えても忘れてしまうから」と話されていた。この言葉には、「居場所ハウス」が地域から期待されている役割が現れている。地域にはお茶を教えたり、習ったりしている人々がいる。そのような人々はお茶という共通点はあっても、流派が違ったり、活動場所がなかったりするため、まとまって1つの組織に所属し活動しているわけではない。「居場所ハウス」は、お茶という共通点を通して緩やかにつながっている人々が顔を合わせたり、集まったりできる場所になることが期待されていると言える。
「居場所ハウス」では、これと共通する集まりが開かれたことがある。仮設住宅の婦人部のメンバーが、仮設住宅が閉鎖された後に開いた同窓会、同じ会社に勤めていた人々によるOG会、中学校の同級会などである。「居場所ハウス」は、同じ仮設住宅に住んでいた、同じ職場に勤めていた、同じ中学校に通っていたという共通点はあるが、現在は同じ組織に所属し活動しているわけではない人々が久しぶりに集まるために利用された。
現在、「居場所ハウス」で毎月行われている生け花教室、歌声喫茶も、以前から地域にあった組織の活動ではない。生け花教室はパートの1人が生花の経験者であったことがきっかけで、「居場所ハウス」主催の活動としてスタートした。スタートから約半年が経過した頃、参加者同士が自分たちで講師への謝礼、会場使用料を払ってでも継続したいと話し合い、有志が主催する活動として継続されることになったものである。歌声喫茶は、「居場所ハウス」により多くの人に来てもらえる機会を作ろうとメンバーの1人が提案したことがきっかけである。メンバーの呼びかけに集まった人々が話し合いを行い、有志が主催する活動として始められた。生け花教室、歌声喫茶は、地域の組織として存在するのではなく、「居場所ハウス」において共通の趣味をもつ人々が立ち上げた、出入り自由な緩やかな集まりになっている。
以上でみてきた集まりに共通するのは、組織への所属というかたちにとらわれない緩やかな関係だという点である。そして、こうした関係は日々の運営においても築かれている。末崎町は長い年月にわたって住み続けている人が多く、生まれた時から、結婚した時からずっと住み続けている人や、父母、兄弟姉妹が末崎町に住んでいる人も多い。けれども、当然ながら全住民が顔見知りというわけではない。他の地域から越してきた人や、何十年も別の土地で暮らしていて、退職後に末崎町に戻って来た人もいる。このような人々が「居場所ハウス」で居合わせた人と少しずつ顔見知りになっていくこともある。「居場所ハウス」が日常的に地域の人々が出入りする場所だからこそ築かれていくこうした関係は、最も緩やかな形の関係である。
人は地域において他者との多様な関係を築いている。老人クラブや婦人会、漁協といった組織に共に所属している人もいる。同じ学校に通学していた人、同じ職場に勤めていた人もいる。趣味を同じくする人もいれば、近所に住んでいる人もいる。こうした多様な関係は、組織への所属という形に限定されるものではない。だから、何らかの組織に所属することでしか利用できない場所だけでは、人々の関係は非常に限定されたものにならざるを得ない。地域には「居場所ハウス」のように、緩やかな関係にある人々が顔を合わせたり、集まったりできる場所も必要なのである。
4.自分が何者であるかを確認できる場所
暮らし文化を継承していくこと、自分なりの役割を担えること、所属ではない緩やかな関係を築いていけること。「居場所ハウス」がもつこれらの意味は、そこに居る人々に、自分が何者であるかという手応えを与えてくれるものだと言える。即ち、自分が何者であるかは、今までどのように暮らしてきたかという時間の流れにおいて、何らかの役割を担うという他者への働きかけにおいて、緩やかな広がりのある関係において感じられることなのである。
歳を重ねると様々な悩みが出てきたり、身体が思うように動かなくなったりするのは当然のこと。そうであっても、一人ひとりはそれぞれの歴史、役割、関係をもつという意味においてかけがえのない存在。みなでこうした認識を共有できるようになることが、一人ひとりの個人としての尊厳を大切することにつながっていく。これが、「居場所ハウス」をはじめとする「まちの居場所」が担い得る最も大きな意味だと考えている。
「まちの居場所」は、確かに介護予防、生活支援、孤立防止などの効果がある。けれども、個人としての尊厳を大切にするという意識が失われ、介護予防、生活支援、孤立防止などためのサービスを一方的に提供する場所になったとすれば、高齢者はまた面倒をみてもらう存在として扱われてしまう。このような状態は、草の根の動きとして先駆者たちが「まちの居場所」に賭けた可能性とは大きく異なる。もちろん、「Ibasho」の8理念が描くあり方でもない。介護予防、生活支援、孤立防止などは、個人としての尊厳が大切にされる結果としてもたらされる効果なのである。この順序を忘れてはならない。
「都会は、少年がそこを歩くだけで、一生なにをやって過ごしたいかを教えてくれる場所だ」(注5)。20世紀を代表する建築家の1人、ルイス・カーンの至言である。この表現を借りて次のように言うことは可能だろうか。「高齢者がそこに居るだけで、一生なにをやって過ごしてきたかを教えてくれる場所」が身近にあったとしたら、その人の暮らしは何歳になっても豊かであり続けるはずである。
注・参考文献
(注1)日本建築学会編『まちの居場所』東洋書店 2010年
(注2)厚生労働省「地域包括ケアシステム」のウェブサイトより。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/
(注3)さわやか福祉財団編『居場所・サロンづくり』全国社会福祉協議会 2016年
(注4)末崎町は大船渡市に10ある町の1つ。ワカメ養殖発祥の地であり、漁業が盛んである。2015年9月30日時点の人口は4,334人と、市内10町の中で4番目に多い。東日本大震災では津波の被害を受け、65人の死者・行方不明者があった。震災後、町内の5ヵ所に計313戸の仮設住宅が建設。2016年8月2日時点でも建設戸数の約2割にあたる67戸が入居している。
(注5)邦訳は、若林恵「都会と少年」・『WIRED』Vol.24 2016年8月9日 より。