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第1回新千里北町 車止め街歩きツアーを開催しました

先日(2017年11月25日(土))、「ディスカバー千里」(千里ニュータウン研究・情報センター)主催の「第1回新千里北町 車止め街歩きツアー」を開催しました。
ツアーには千里ニュータウンにお住いの方、建築や都市計画の専門家や研究者の方、そして、子どもたちの合わせて20人(大人16人、小学生以下の子ども4人)に参加していただきました。

千里ニュータウンとして開発された12住区のうち、豊中市の新千里北町にだけリス、ゾウ、キリンなどの動物や、○▽□などの幾何学の形をした車止めが50個以上あります。「ディスカバー千里」では新千里北町の車止めに注目して、調査を続けてきました。調査を通して、車止めは千里ニュータウンの成り立ちと密接に結びついていることが明らかになってきました。
今回のツアーは、調査で明らかにしてきたことを紹介するために企画したものです。


9:30から車止め街歩きツアーがスタート。最初に千里文化センター・コラボの集会室にて千里ニュータウンの成り立ちと、新千里北町の車止めについてのレクチャーを行いました。

千里は日本で最初に開発された大規模ニュータウン。その中でも新千里北町は後半の最初に開発された住区となっています。千里の前半は「一団地の住宅経営」という団地を作るための法律に基づいて開発されましたが、新千里北町から始まる後半は「新住宅市街地開発法」(新住法)に切り替えての開発が行われることになりました。新千里北町は、日本で初めて「新住宅市街地開発法」が適用された歴史的な町です。
千里ニュータウンはエベネザー・ハワードによる田園都市の系譜にあり、クラレンス・A・ペリーの近隣住区論、そして、アメリカのラドバーンで採用された歩車分離の考え方が計画手法として採用されるなど、世界のニュータウンの流れの中にあります。ただし、海外の手法をそのまま採用するだけでなく、例えば、谷を車道にし、両側の丘を歩道橋で結ぶことによって歩車分離を実現するなど、千里丘陵の地形に合わせた開発が行われています。そして、車止めも独自の工夫の1つ。

レクチャーの後半では車止めについて、次のような紹介を行いました。

  • 新千里北町には車止めが50個以上ある
  • リス、ゾウ、キリンなどの動物型の車止めは、当時、公園などで使われていた既製品の遊具を使ったもの
  • ○▽□などの幾何学型の車止めは、新千里北町の車止めとしてデザインされたものだと考えられる
  • 新千里北町より前に開発された住区に見られるクルドサック(袋小路)は歩車分離のための1手法だが、クルドサックでは車が転回する必要がある。新千里北町では車の転回を避けながら歩車分離を実現するため、ループ状の道路が採用された。ただし、ループ状の道路では歩行者専用道路に車が誤進入する可能性があるので、歩行者専用道路の入口に車止めが設置されることになった。ループ状の道路により、戸建て住宅地を高密・効率的に開発することにもつながった
  • 車止めは単に車の誤進入を防ぐだけでなく、歩行者専用道路に高低差(階段・スロープ)があること、近くに公園があることなどのメッセージも伝えている
  • 車止めは上に座ったり、キリンの首やゾウの鼻を滑ったり、待ち合わせをしたりと、特に子どもたちにとっての遊び場にもなってきた
  • 大阪府企業局による開発が完了し、1972年に道路は大阪府から豊中市に移管された。しかし、車止めについての記録が残っていないため、既に道路工事などの際に撤去されてしまった車止めもあると思われる。住民からは、「ここにカバがあった」という思い出を聞くこともある。
  • 水道工事の際、動物型の車止めが撤去された。住民から、元に戻して欲しいという声が上がったため、(元にあった動物ではないが)アシカの車止めが再設置された場所がある
  • 車止めが住宅工事の前に設置されたことから、住宅工事の邪魔になるという苦情が出された。そこで、新千里北町以降の住区では一部を除いて、車止めは設置されなくなった
  • 長年の風雪に耐えてきた車止めの中には、塗装が剥がれかかったり、苔が生えたりしているものもある。現在、新千里北町の地域自治協議会では、いくつかの車止めの再塗装が検討されている

10:30頃、レクチャーを終え、実際に新千里北町を歩きました。先ほどのレクチャーの内容を確認しながら歩いて行きます。車止めの写真を撮影する人がいたり、車止めに座ったり、滑ったりする子どもがいたりと、楽しいツアーとなりました。
先日のツアーには実際に新千里北町の計画に携わった方の参加があり、当事者から開発秘話を話していただくこともできました。
新千里北町で採用された歩行者専用道路は海外の事例を参考にしたものだが、当時、日本には歩行者専用道路というものは存在しなかったため(フットパスのような短い歩行者用の道路しかなかったとのこと)、歩行者だけが通れる道/車が通れない道という認識を共有するのが大変だったとのこと。車止めはこうした試行錯誤の中から、お金をかけずに歩車分離を実現するために考え出されたものだという話でした。

予定より少し遅くなりましたが、12:30頃、千里文化センター・コラボに到着。参加された方に修了証を贈呈し、「第1回新千里北町 車止め街歩きツアー」を無事終えることができました。

先日のツアーには、ご紹介した通り20人の方に参加していただきました。参加者は住民、専門家、研究者と多様で、年代、性別も様々であったことが良かったことの1つです。

大人を対象とするツアーでは、子どもが飽きてしまう。これはよくある話ですが、先日のツアーでは車止めに触る、座る、キリンの首やゾウの鼻を滑る、あるいは、写真を撮るなど、子どもたちも最後まで楽しんでくれていたように見えました。
車止めが、子どもたちが親しみをもてる対象であり、同時に、(単なる遊具ではなく)千里ニュータウンの町の仕組みと密接に結びついたものでもある。これは車止めの大きな魅力です。

また、先日のツアーは主催者であるディスカバー千里にとっても次のような意義があったと考えています。「ディスカバー千里」には千里文化センター・コラボの市民実行委員だったメンバー、千里ニュータウンの観光冊子『ぶらり千里~魅力発見ガイドブック~』(豊中市市民協働部千里地域連携センター編, 2015年3月)の編集に関わったメンバーも参加しています。千里文化センター・コラボの事業として行われている活動への参加から、自分たちで活動を企画・実践したこと、メンバーだけで楽しむ内容ではなく、多様な人々にとっても意味ある内容であったこと。先日のツアーは千里文化センター・コラボからの住民活動の自立・独立の試みでもあります。
もちろんこれは千里文化センター・コラボと対立するものではなく(実際に先日のツアーは千里文化センター・コラボからのご協力もいただきました)、行政と自立した住民との対等な関係を模索するものであり、自立して地域活動に参加する人々を育てるという千里文化センター・コラボの目的にも合致するものだと考えています。