『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

地域における助け合いの拠点「実家の茶の間・紫竹」から教わったこと

2024年6月24日、新潟市の「実家の茶の間・紫竹」を訪問しました。「実家の茶の間・紫竹」は、新潟市最初の「地域包括ケア推進モデルハウス」として、2014年10月18日にオープン。任意団体「実家の茶の間」と新潟市の協働事業として、空き家を活用して運営されてきた場所です。「実家の茶の間・紫竹」は、

  • 地域における助け合いのためには、他者と親密になることでなく、他者との適切な距離感(矩を越えない距離感)が大切になること
  • 居場所は、このような距離感が心地良いことを身をもって経験するためのものであること

という意味で、地域における助け合いの拠点の新たなモデルを示しています。目指されているのは「『助けて!!』と言える自分をつくる、『助けて!!』と言い合える地域をつくる」こと。

この日訪問して感じたことをまとめた文章を、さわやか福祉財団が発行する冊子『さぁ、言おう』(2024年8月)に掲載していただきました。
視察や調査は、相手に負担をおかけしてしまうもの。どうすれば視察や調査をさせていただいた場所にお返しできるのかといつも考えます。なかなか実践できていませんが、このようなことを考えながら書いた文章が、思いがけずさわやか福祉財団の方に読んでいただく機会があり、『さぁ、言おう』に掲載していただくことになりました。よろしければご覧ください(PDFファイルはこちらでご覧いただけます)。

「実家の茶の間・紫竹」終了プログラム②
地域における助け合いの拠点「実家の茶の間・紫竹」から教わったこと

6月24日、「実家の茶の間・紫竹」を訪問しました。これまでに何度か訪問の機会がありましたが、そのたびに新たな気づきをいただいてきました。

◆「助ける」ことと「助け合う」こと
「ここにはサービスの利用者はひとりもいない。いるのは”場”の利用者だけ」
「実家の茶の間・紫竹」(以下、「紫竹」)で大切にされている言葉ですが、今年6月に訪問したときに目にしたのも、まさにこの言葉通りの光景でした。昼食の配膳を手伝う、お知らせを掲示する、昼食の食材を買い出しに行くなど、それぞれにできることで運営に関わっている方々。当番は台所以外ではエプロンを外すため、茶の間で過ごしている方々の中でどなたが当番なのか、お聞きするまで分かりませんでした。
「自分はもう歳だけど、ここでは必要としてもらえる。自分はここで成長したし、他の人もそうだと思う」。月に何度か当番を担当されている方から、このような話をうかがいました。何歳になっても誰かに頼りにされている、誰かの役に立てている、という手応えを持てること。何歳になっても成長できたと思えること。人が尊厳を持って生きるとは、このようなことなのだと気づかされました。
今、さまざまな場面で「地域における助け合い」の必要性が議論されています。しかしその議論は、暗に”助ける側”と想定される人だけによってなされている可能性はないか。弱い立場の人をどう助けるかという議論になっている可能性はないか。もしそうであれば、それは助けるための議論であって、助け合いのための議論ではない。弱い立場の人を助けることが重要なのは言うまでもありませんが、助けることと助け合うことは違うことを、紫竹の光景は表しています。
助け合いとは、自分が相手を助けると同時に、自分が相手から助けてもらうこと、そのような可能性を想像できること。そのためには、自分から「助けて」と言えることが大切になる。だから、地域における助け合いの拠点として開かれた紫竹では、「『助けて!!』と言える自分をつくる、『助けて!!』と言い合える地域をつくる」(「実家の茶の間・紫竹」終了に際してのプログラム予定〈本誌6月号21ページ参照〉)ことが目的として掲げられているのです。

◆矩を越えない距離感
自分から「助けて」と言うのは、実は簡単ではない。だからこそ、紫竹ではこれが目的として掲げられているのですが、では、どういう状況であれば自分から「助けて」と言えるようになるのか。紫竹が示しているのは、相手との適度な距離感が大切にされるからというもの。このような距離感を、紫竹代表の河田珪子さんは「矩を越えない距離感」と表現されています。
助け合いとは、相手との距離を縮めて仲間になることで実現される、と捉えられることが多いかもしれません。もちろん、このような助け合いも大事。けれども、「地域における」という部分に焦点を当てるなら、矩を越えない距離感こそが大切である。このような考えの背景には、河田さんらによる30年以上に及ぶ助け合いの取り組みがあります。河田さんは、1991年に立ち上げた会員制の有償助け合い活動「まごころへルプ」について、次のように話されています。
「みんな、近所の人に来てもらいたくないんです。交通費がかかってもいい、どんな遠くからでもいい、全然知らない人に来てもらいたい、というのがすごく多くて。でもそれでは(地域における)助け合いにつながっていかないので、まず私の家に来てもらいました。代表者の私が傷つかずに助けてもらえる仕組みであれば、広がっていくのが早いだろうと思って」
地域における助け合いとして想定されるものには、調理や掃除など家の中に入ってもらわないとできないことが多い。でも、同じ地域の人に片付いていない部屋のことなどを見られ、地域に噂として広められるのは困る。だから、遠くから知らない人に来てもらいたい。プライバシーを侵さない、他に満らさないといった距離感が大切にされなければ地域における助け合いは実現されない、ということです。
このことを理解すれば、紫竹に掲示されている「その場にいない人の話はしない」「プライバシーを聞き出さない」という約束事も違った形で見えてきます。相手と仲間になることを目的とするならば、これらの約束事はよそよそしいものに見えるかもしれません。しかし紫竹では、仲間になることでなく、矩を越えない距離感を大切にする関係を築くことが目指されている。このような関係は、かつての地域に存在したと言われる濃密で抑圧的なものでない。重要なのは、紫竹は「昔に戻れ」と主張しているのでなく、新たな形の関係を築くことが目指されていることです。90年代に河田さんが創設し新潟市内に広がった「地域の茶の間」の「地域」には、「社会性のある茶の間」という意味が込められていますが、紫竹でお会いした方は、「社会性というのは他者との距離感のことで、紫竹は多様な距離感を持つ他者との関係を、それぞれがつくり直していく場所だと思う」と話されていました。

◆究極の居心地 助け合いのために、なぜ居場所が必要なのか
地域における助け合いが大切だとしても、それが一人歩きしてしまえば、人は「役に立つかどうか」という有用性で判断されてしまうおそれがあります。これに対して紫竹では、「人は、いるだけで尊いのだ」というさらに深いところが追求されています。これを実現する場所のあり方を表すのが、河田さんによる「大勢の中で、何もしなくても、一人でいても孤独感を味わうことがない”場”(究極の居心地の場)」という表現です。「ここは、大勢の中で一人でいられるのがいい」と話されていた方もいます。
河田さんからも以前、次のような話をうかがいました。
「奥様が亡くなられて一人になった方が、みんなが話してるときにテーブルにうつぶせになってるんですよ。その姿を見て、普通なら一人で孤独な姿と思うでしょ。『具合悪いですか?』って、そっと傍に座って聞いたんですね。そうしたら『いやぁ、このにぎやかなのを自分は楽しんでるんだ』って。子どもの頃、自分の家がこんなだったって。いっぱい親戚とか集まって、にぎやかで。『だから、みんなの話し声とかを味わってるんだ』っておっしゃったの。」
究極の居心地を実現するために、紫竹では約束事の掲示、玄関、テーブル配置、訪れた人への対応、当番の気配りなど、数多くの配慮がなされています。これら一つひとつの配慮は、「まごころヘルプ」から30年以上にわたって「現場から学ぶ、人から学ぶ」というプロセスを通してつくりあげられてきたものです。紫竹を視察する方の中には、「ここは特別なことをしていない」という感想を持つ方もいるとのこと。しかし、それが「何もしていない」という意味なら、紫竹での数多くの配慮を見落としているように思います。
究極の居心地の追求は、地域における助け合いのために、なぜ紫竹という居場所が必要なのかという問いにも答えてくれているように思います。他者と関わることを強いられず、かといって、関わりが遮断されるわけでもないという「矩を越えない距離感」が大切にされる関わりは居心地がいい。このことを身をもって体験するために、紫竹という居場所に身を置くことが大切にされているのだと考えています。
紫竹のような場所を、どうすれば他の地域にも開くことができるのか。多くの人が知りたいであろうこの問いに対する答えを持ち合わせていませんが、一人ひとりの尊厳を大切にするという理念と、現場から学ぶ、人から学ぶという柔軟さ、大らかさ、そして、それによって理念をさらに豊かなものに育てていこうとするプロセスにヒントがあるように思います。
一人ひとりがそれぞれのやり方で、紫竹から教わったことを描いていくこと。その重ね合わせによって、紫竹を立体的なものとして描くことができれば、今年10月に運営を終了する紫竹の思いが、どこかで継承されるのに寄与できるかもしれない。この寄稿が、ささやかでもその一つのピースになればと願っています。

  • 参考文献:河田珪子(2016)『河田方式「地域の茶の間」ガイドブック』博進堂

「実家の茶の間・紫竹」からは、アメリカの社会学者、リチャード・セネットによる親密性の専制の議論が思い起こされます。

「親密さとはひとつの限られた視野であり、人間関係によせる期待である。それは人間の経験を局所に限ることであり、そこで直接的な生活環境に近いものが至上のものとなる。・・・・・・。親密な付き合いの障害となるものを取り除こうとして人々が捜し求めているのは熱烈な種類の社交性であるが、この期待は行為によって裏切られる。人々が近づけば近づくほど、人々の関係はより社交性の乏しい、より苦痛な、より兄弟殺し的なものになるのである」

「都市は・・・・・・、他の人々を人間として知らねばという強迫的な衝動なしに人々と一緒になることが意味のあるものになるフォーラムでなければならない。」
※リチャード・セネット(北山克彦 高階悟訳)(1991)『公共性の喪失』晶文社

「実家の茶の間・紫竹」は、地域における助け合いだけでなく、現在の地域において、公的(パブリック)なものはどのように成立し得るのかという意味においても、1つのモデルを示していると考えています。