イギリスでは1946年にニュータウン法が制定され、ニュータウン建設が進められました。3つの時期に分類されるイギリスのニュータウンのうち、セントラル・ランカシャー(Central Lancashire)は第3期のニュータウンの1つ。ニュータウン指定は1970年3月26日で、イギリスのニュータウンの中で最大規模のニュータウンです。
セントラル・ランカシャーは、マンチェスターの北西38kmに位置。ニュータウンの指定地域は14,267ha。ニュータウン指定時の人口は235,300人で、1986年までに321,500人、2001年までに420,000人とすることが計画されました*1)。イギリスのニュータウンの中でも、規模の大きなミルトン・キーンズの指定面積が8,870ha*2)、千里ニュータウンの開発面積が1,160haであるのと比べると、セントラル・ランカシャーの規模の大きさが伺えます。
セントラル・ランカシャーはこのように非常に規模の大きなニュータウンですが、現実的には、プレストン(Preston)、レイランド(Leyland)、チョーリー(Chorley)の3つの自治体の再生、及び、開発プログラムであり、ニュータウン指定からわずか15年後の1985年12月31日に解散したセントラル・ランカシャー開発公社(Central Lancashire Development Corporation)は、ニュータウン開発公社(New Town Development Corporation)というより都市開発公社(Urban Development Corporation)に近いものだった。セントラル・ランカシャーは、それ自体がニュータウンとして認識されることが意図されていなかったと指摘されています。しかし、2008年からプレストン、レイランド、チョーリーの3つの自治体は共同で地域計画に取り組み始めています*3)。
2025年3月にセントラル・ランカシャーの中心部であるプレストンを訪れる機会がありましたので、町の様子をご紹介します。
プレストン駅
マンチェスター・ピカデリー駅(Manchester Piccadilly Station)からプレストン駅(Preston Station)まで約35分で到着。途中、チョーリー駅(Chorley Station)、レイランド駅(Leyland Station)駅を通過しましたが、プレストン駅とチョーリー駅は、直線距離でも約12.5kmも離れており、セントラル・ランカシャーの大きさが伺えます。
プレストン駅は大きな駅で、現在の駅は1880年に建設、1903年と1913年に拡張されたものです*4)。
フィッシャーゲート
これまで訪れたイギリスのニュータウンでは、駅前に、幹線道路に囲まれたタウンセンターがあり、店舗、公共施設などが集まっているのを見かけました。
それに対して、プレストン駅は、駅前を東西に走るフィッシャーゲート(Fishergat)と、フィッシャーゲートから北西に走るフライアゲート(Friargate)という2つの通りの周り、そして、2つの通りが交わるマーケット・プレイス(Market Pl)という広場の周りに店舗、公共施設などが集まっています。
幹線道路に囲まれたタウンセンターでなく、通りの両側に店舗が集まるプレストンは、これまで訪れたイギリスのニュータウンと印象が異なります。
プレストン駅から、フィッシャーゲートを東に歩きます。
フィッシャーゲートは歩道の幅が広くとられており、ベンチが多数置かれています。通りの両側には店舗が並んでおり、飲食店の前には屋外席。歩いている途中、教会をリノベーションしたレストラン(Bistrot Pierre)も見かけました。
訪れたのは平日のお昼過ぎでしたが、子連れの人、若い人、高齢者など、さまざまな年代の人を見かけました。
マーケット・プレイス
フィッシャーゲートを東に歩くとマーケット・プレイス(Market Pl)という広場へ。広場の西にあるハリス・ミュージアム&アート・ギャラリー(Harris Museum and Art Gallery)は新古典主義の建物。建物は、プレストン出身の建築家で、市議会議員であるジェームズ・ヒバート(James Hibbert)の設計で、1882年に工事が着工されました*5)。
マーケット・プレイスの周りには、市庁舎、裁判所などの行政機関のほか、マーケット、映画館、ホール(Preston Guild Hall)などが集まっています。
フライアゲート
マーケット・プレイスから北西に延びるフライアゲート(Friargate)と呼ばれる通りがあります。フライアゲートは歩行者天国になっており、両側には店舗が並んでいます。
フライアゲートの坂を下っていくと、A59という大きな通りへ。フライアゲートとA59は平面交差となっていました。
A59を渡るとフライアゲートは上り坂となっています。フライアゲートは、A59を渡った部分も歩行者天国になっており、先ほどと同じく、両側には店舗が並んでいます。
ランカシャー大学
A59を渡って、フライアゲートを北西に350mほど歩いていくと、ランカシャー大学のキャンパスへ。ただし、大学のキャンパスに校門はなく、町の中に校舎が点在しているな印象を受けます。
フィッシャーゲート、フライアゲートには若い人の姿を多数見かけましたが、その中にはランカシャー大学の学生もいると思います。
ウィンクリー・スクエア
フィッシャーゲートの南側は、南北に細長い短冊状の街区が並んでいるエリアがあります。
このエリアのチャペル・ストリート(Chapel Street)の東側に、ウィンクリー・スクエア(Winckley Square)という長方形の広場。
斜面になっている土地に作られた芝生の広場で、ベンチに座っている人、散策している人など、多くの人を見かけました。
アヴェンハム・パーク
ウィンクリー・スクエアを越えて、チャペル・ストリート(Chapel Street)を南に歩くと、ヴェンハム・パーク(Avenham Park)へ。リブル川(River Ribble)の北側にもうけられた大きな公園です。
リブル川の南側は自然保護区になっているようです。
ランカシャー・アーカイブズ
プレストン駅の北西に、ランカシャー・アーカイブズ(Lancashire Archives)があります。建物の入口には、ランカシャー・アーカイブズ&ローカル・ヒストリー(Lancashire Archives and Local History)、ランカシャー証明書サービス(Lancashire Certificate Services)と書かれた掲示板。
ランカシャー・アーカイブズの建物はロの字の中庭を囲むように配置されており、1階部分はピロティになっています。
ランカシャー・アーカイブズは、この地域の900年間にわたるアーカイブが保管されており、印刷物、マイクロフィルム、デジタル化された音声データなどを閲覧することができます*6)。
興味深いのは、保管されているアーカイブには、セントラル・ランカシャー開発公社(Central Lancashire Development Corporation)による会議の議事録、年次報告書、図面、写真、契約書類、広報誌など、ニュータウン開発に関する資料も含まれていることです*7)。
ランカシャー・アーカイブズには展示スペースがあり、訪れた時には、「プレストン・カリビアン・カーニバルの50年」(50 years of Preston Caribbean Carnival)という企画展が開催されていました。
カリビアン・カーニバルは、カトリックの四旬節直前に行われる「謝肉祭(カーニバル)」を起源とするもので、植民地時代にカリブ海地域に伝わり、アフリカ系住民の文化やリズム、ダンスと融合して独自の進化を遂げたものと言われています。プレストン・カリビアン・カーニバルは、カリブ海地域の出身者によって、1974年に始められ、2024年に50年を迎えました。この企画展は、プレストン・カリビアン・カーニバルが、プレストンのヘリテージの一部(part of Preston’s heritage)になっているという思いから企画されたものです。
「物語の始まり・・・
プレストンには、世界中から集まったコミュニティの人々が暮らし、多様な文化を祝うイベントが年間を通じて開催されています。プレストンで最も古く、最大の多文化のイベントは、2024年に50周年を迎えるカリビアン・カーニバルです。
プレストンのカーニバルの起源はカリブ海の島々にあります。ヨーロッパの入植者は、カトリック教会における断食期間である四旬節の前夜を祝う祭りをこの地域に持ち込みました。四旬節の前には、断食期間中に食べられない料理を楽しむ宴が開かれていました。カーニバルという単語は、ラテン語で「肉との別れ」を意味する言葉に由来しています。
奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々は、祝祭に参加することを許されませんでした。奴隷制から解放された後、人々はアフリカの伝統とカリブ海の先住民の宗教的祭典、そしてカリブ海の島々の伝統を融合させました。カリブ海、アフリカ、ヨーロッパの伝統の融合が、カリビアン・カーニバルに独自のアイデンティティを与えました。これらの伝統は現在、プレストンのヘリテージの一部になっています。」
※「プレストン・カリビアン・カーニバルの50年」の展示パネルの翻訳
企画展では、プレストン・カリビアン・カーニバルが、展示パネル、写真、衣装などによって紹介されていました。
セントラル・ランカシャーのプレストンを歩いて感じたのは、町の歴史ということ。
例えば、マーケット・プレイスに面して建てられたハリス・ミュージアム&アート・ギャラリーは、約150年前の建物。ニュータウンの中心となる広場にこのような歴史的な建物があるのは、千里ニュータウンでは見られない光景です。千里ニュータウンでは、既存集落の建物がニュータウンに取り込んだ計画は行われませんでした*8)。プレストンを歩いて、イギリスのニュータウンは、ニュータウンとして開発される前の町の歴史を包含するように計画されていることを感じました。
その一方で、セントラル・ランカシャー開発公社の資料が保存されたり、「プレストン・カリビアン・カーニバルの50年」(50 years of Preston Caribbean Carnival)という企画展が開催されたりと、ニュータウンとしての開発、そして、ニュータウン開発後の暮らしもまた歴史として大切にされていること。
ニュータウンの開発は、既存の町の歴史の延長線上にあり、その開発や、そこでの暮らしもまた町の歴史の一部となっているということ。少し歩いただけの表面的な印象にすぎないかもしれませんが、プレストンを歩いてこのようなことを感じました。
■注
- 1)Town and Country Planning Association(TCPA)「Central Lancashire」のページ。
- 2)Town and Country Planning Association(TCPA)「Milton Keynes」のページ。
- 3)Town and Country Planning Association(TCPA)「Central Lancashire」のページ。
- 4)Wikipedia「Preston railway station」より。
- 5)Harris Museumの「Architecture of The Harris building」のページ。
- 6)Visit Preston「Lancashire Archives」のページ。
- 7)The National Archives「Central Lancashire Development Corporation records」のページより。
- 8)ただし、千里ニュータウンの中央には、ニュータウン開発から除外された上新田がある。また、ニュータウンとして開発された住区にも既存集落の農業用の溜池を公園の池にしたり、千里丘陵の植栽や地形を公園に取り込んだりというように、千里ニュータウンも完全にゼロから開発されたわけではない。





















