まちの居場所を施設化する視線
2000年頃から各地に「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ、まちの縁側、ふれあいの居場所など)が同時多発的に開かれるようになってきました。「まちの居場所」は不登校、遊び場の不足、育児をする親の孤立、虐待、貧困、退職後の...
2000年頃から各地に「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ、まちの縁側、ふれあいの居場所など)が同時多発的に開かれるようになってきました。「まちの居場所」は不登校、遊び場の不足、育児をする親の孤立、虐待、貧困、退職後の...
千里ニュータウンで採用された計画手法として、必ず名前が出てくるのがラドバーン方式による歩車分離です。ラドバーン(Radburn)とは、都市住宅会社(City Housing Corporation:CHC)が、ニューヨー...
今年2月、立命館大学にて「まちの居場所シンポジウム−カタストロフィ後の回復力と可塑性−」が開催されました。このシンポジウムで、千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」を紹介させていただきました。 「まちの居場所」を運営し...
千里ニュータウンの新千里東町では、近隣センターの「ひがしまち街角広場」、府営住宅集会所の「3・3ひろば」、新千里文化センターの「コラボひろば」が開かれています。このような場所(まちの居場所、コミュニティ・カフェ)は、20...
今年最後の投稿として、最近読んだ本・雑誌の中で気になった言葉を書いておきたいと思います。 鷲田清一: 生活というのは、ないものを新たにつくることが大事なのではないし、新たにプロデュースすることが必要なわけではないんです。...
最近読んだ本の話を。 詩人の長田弘氏の『アウシュヴィッツへの旅』です。このような文章が書かれています。 目のまえのなんでもないアンダルシアのごくありふれた村が、目のなかで、瞬くまに「嘆きのアンダルシア」の「ほろびかけた村...
再び、映画『精神』について。 先日紹介したとおり、『精神』は、外来の精神科診療所「こらーる岡山」を舞台としている。 舞台となった「こらーる岡山」は、1997年に山本昌知医師を中心として開かれた場所で、牛乳配達や食事サービ...
日本では、親が子どもに対して「お前はうちの子ではない。○○から拾って来た子だ」と言う習わしがあるようです。 竹内徹氏の『お前はうちの子ではない、橋の下から拾って来た子だ』(星和書店,1999年)は、この言い習わしについて...
千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」のように、地域の人たちが開き、運営している場所を見るたびに、建築計画学の専門家の役割って一体何だろうかと考えてしまいます。このようなことを考えながら読んでいた本の中で、次のような文...
アメリカ合衆国の社会学者のウィリアム・ホワイトによる『ストリート・コーナーソサエティ』(有斐閣, 2000年)を読みました。 ボストンのノースエンド(Nort End)における「街かどのギャング団」を対象としたフィールド...