『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

「まちの居場所」と「当事者」の時代

千里ニュータウンの新千里東町では、近隣センターの「ひがしまち街角広場」、府営住宅集会所の「3・3ひろば」、新千里文化センターの「コラボひろば」が開かれています。このような場所(まちの居場所、コミュニティ・カフェ)は、2000年頃から、各地に開かれています。
アメリカのグリーンベルトという郊外住宅地にもニューディール・カフェ(New Deal Café)という「ひがしまち街角広場」にそっくりな場所があったことを思えば、もしかすると、こうした動きな日本だけに限らないのかもしれません。

商店街の空き店舗を使ったり、空き家を使ったり、学校の空き教室を使ったり…
外観や運営方法、運営体制は様々ですが、「まちの居場所」に共通するのは建築計画・都市計画の専門家や研究者の計画通りにできているのではなく、地域に住む人々が、地域に欲しいと思う場所を自ら開いて、運営していること。誰かが作った場所の「利用者」から、場所を作りあげることに関わる「当事者」へ。こう考えると、建築計画の分野では、既に当事者の時代(この表現は使っていなかったとしても)は始まっていたのだと思います。

ここで問われているのは、「建築計画の研究者は、地域でどんな役割を果たすのか?」ということ。この数年、学会等の場でも議論してきた内容です。

最近、佐々木俊尚氏の『「当事者」の時代』(光文社新書 2012年)を読みました。この本の中にはいくつもの重要なキーワードがありますが、その1つが〈マイノリティ憑依〉。

佐々木氏は以下のように、マスメディアは、マイノリティの声を代弁するように振る舞うことで、自らは当事者の立場に立つことを避けてきたのではないかと問題提起を行っています。

マスメディアが代弁しているのは、この日本社会を構成しているマジョリティの日本人ではない。幻想の〈庶民〉である。地に足着けて文句も言わず、国家や正義を声高に議論せず、権力や資本主義に酷い目にあわされながらも、それでも地道に自分の生活を送っていくような、そういう無辜の庶民。
そしてその幻想の〈庶民〉を、マスメディアはマイノリティである市民運動の〈市民〉によって代弁させてきた。
市民運動を担う人たちは、戦後の総中流社会においては、社会の周縁部に存在する人たちだった。第二章でも書いたように、市民団体がNGO(非政府団体)として権力との協力関係を保つようになり、インサイダー化してくるのは九〇年代後半以降である。戦後の日本社会では、市民運動は圧倒的多数のマジョリティのなかで孤立したマイノリティでしかなかった。インサイダーでもなく、かといって完全なアウトサイダーでもなく、社会とその外側の周縁部にポジションを取り、その立ち位置から権力のあり方を鋭く批判する人たちだったのである。
そして、この周縁部にいる〈市民〉が〈庶民〉を代弁してきたのだとすれば、〈庶民〉は周縁部の外側、完全なる社会のアウトサイダーにいる者でなければならない。
それは〈異邦人としての庶民〉という新たな存在なのだろうか——第二章で私はそう疑問を書いた。

そう、ここで円環はつながったのだ。
この〈異邦人としての庶民〉。
この不可解な存在の登場は、一九七〇年の〈マイノリティ憑依〉へのパラダイムシフトと、見事なまでに重なり合っている。
*佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書 2012年


自分自身の問題——つまりは、当事者としての意識。その当事者の意識を決して生み出さない〈マイノリティ憑依〉というパラダイム。ただひたすら、エンターテインメント化された免罪符として機能してきただけの〈マイノリティ憑依〉ジャーナリズム。
これこそが、日本の一九七〇年代以降のマスメディアとジャーナリズムの最大の病弊である。とはいえ幸運なことに、この病弊は右肩上がりの経済成長という対症療法によってうまく包み隠され、その病変が露わにならないですんでいたのだ。
*佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書 2012年

メディアについて書かれた文章ですが、マイノリティの声を代弁するというのは建築計画にも通ずるところがあるのではないか? 本を読み、そんなことを考えていました。

公共施設を計画するための知見を提供すること。これは建築計画が担ってきた重要な役割です。
公共施設というのは、例えば、学校、児童館、老人ホーム(特養)、あるいは、病院、美術館・博物館などがあげられますが、これらが誰を対象にしているのかを考えると、あることに気づかされます。

学校や児童館は子どものための、老人ホームはお年寄りのための場所。他にも色々な施設がありますが、大人(成人)のための公共施設というものはあるのだろうか? ということです。
もちろん、病院や美術館・博物館は大人(成人)も訪れますが、病院は病気になった時のため、美術館・博物館も(少なくとも日本では)日常的な場所ではない。そう考えると、大人(成人)の周辺の年代である子どもやお年寄り、あるいは、大人(成人)の日常生活から一時的に、望んで離れる人のための美術館・博物館、望まずに離れる人のための病院というように、建築計画は大人(成人)の周辺にいる人々(≒マイノリティ)を対象にしてきたのではないか。
このような人々を対象者とする公共施設計画の知見を得るというプロセスにおいて、結果として、建築計画はマイノリティの声を代弁する立場をとる傾向を有していたのではないか? この背景には、マジョリティとしての大人(成人)は○○○○だ、という想定が可能だった時代背景もあったと思います。

それでは、多くの大人(成人)が日常の多くの時間を過ごす場所に対して、建築計画はどう関わってきたのか?
例えば、オフィス計画は建築計画の重要な分野だと思いますが、オフィス計画に関して得られた知見は、より良い暮らしを実現するための、公共的な知見として十分に蓄積されてきたのか?

以上のことは戦後日本という時代背景があればこその話で、多様な働き方、暮らし方が生まれている現在においては、既に、マジョリティとしての大人(成人)という像を描くことは不可能なのかもしれません。話を単純化し過ぎだという批判もあるかもしれませんし、これまでの建築計画を否定するわけでもありません。

話が逸れてしまいました。

まちの居場所について。

近年、建築計画においても「まちの居場所」に関する多くの研究がなされていますが、研究者がどういうスタンスでそこに関わるのかが問われていますが、マイノリティの声を代弁することに帰結するようなスタンスの研究は今後成り立たなくなるのではないか? 研究者自身も「まちの居場所」を成立させる1人の当事者であるということ。

私があなたに「当事者であれ」と求めることはできない。なぜならそれは傍観者としての要求であるからだ。
だから私にできることは、私自身が本書で論考してきたことを実践し、私自身が当事者であることを求めていくということしかない。
そしてそれはおそらく、マスメディアの記者たちにも同じ課題が用意されている。
そしてさらに、それはソーシャルメディアに参加する人たちにもやはり同じ課題が用意されている。
そう、あなたはあなたでやるしかないのだ。
これは堂々めぐりのパラドックスにも聞こえる。しかしこの壁を乗り越えていかない限り、その先の道は用意されない。しかしその壁を乗り越える人は限られているし、乗り越えない人や乗り越えられない人に対して、誰も手を差し伸べることはできない。
なぜなら、誰にも他者に対して道筋を用意することはできないからだ。自分自身で当事者としての道を切り開ける者にのみ、道は拓かれる。
だからこれは、あらたな格差の世界の幕開けを示唆している。当事者であることを維持しつづけようとする人たちと、当事者であることを放棄して〈マイノリティ憑依〉を延々とくり返しつづける人たちと。
この分断がいったい何を生み出すのかは、まだわからない。
しかし一方で、インターネットのソーシャルメディアは人々を否応なく当事者化していく。参加する者を第三者の立場に居座らせることを許さず、すべての人々を言及の対象にしてしまい、あらゆる存在をメディア空間の中へと巻き込んでいってしまうからだ。
そのようなソーシャルメディアの当事者は、〈マイノリティ憑依〉のパラダイムをどこかで突破する可能性も秘めている。なぜなら〈マイノリティ憑依〉をしている人たちは第三者の視点を獲得しているように見えても、しかし決して第三者にはなれないという事実をソーシャルメディアは可視化するからだ。
*佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書 2012年

研究者が当事者であるか/当事者でないかというところに溝があるのではなく、研究者も既に何らかのかたちで当事者であることを思えば、それを意識するか/意識しないかというところに溝があるのだと思います。言うは易し行うは難しですが、『「当事者」の時代』を読み、この思いを強くしました。
研究者は、その地域に住んでいるわけでもないという意味で特殊で曖昧な存在だと思いますが、そういう特殊で曖昧な存在が何故、地域に関わることができているのか、ということを意識し、記述するというところから道は開けてくるような気がしています。