『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ふれあいリビング・下新庄さくら園から仕事とボランティアを考える

先日、ご紹介した「下新庄さくら園」(大阪市東淀川区, 2000年5月15日オープン)で聞いた話からは、暮らしについて、仕事について色々と考えさせられました。

「下新庄さくら園」は大阪府「ふれあいリビング」整備事業の第一号としてオープン。市営下新庄4丁目住宅の敷地内に開かれています。
かつて中層5階建ての10棟からなる府営下新庄鉄筋住宅だった団地も、2棟の高層棟へと建て替わり、若い世代も入居しているとのこと。ただ、以前から団地に住んでいた高齢の世代と、若い世代とでは団地での暮らしについての意識が違うとのこと。
団地の管理についても、高齢の世代はなるべくお金をかけないように自分たちでしようとするが、若い世代はお金を払ってでも外部のサービスを利用したいと考えると。若い世代は共働きの人が多いので、それもやむを得ないかもしれない。
「下新庄さくら園」のボランティアの中心は以前から団地に住んでいた高齢の世代。若い世代にも手伝ってもらいたいけど、若い世代はみな仕事をしてるから。このような話を伺いました。

このような課題を抱えている地域は多いと思いますが、お金を稼ぐための仕事とボランティアという対立を乗り越えなければ、この課題は解決されないと感じます。
以前から団地に住んでいた高齢世代の女性は、専業主婦が多く、お金を稼ぐという意味での仕事はしてこなかったかもしれませんが、若い頃から団地の自治会、学校のPTAなど地域を運営する仕事に携わってこられました。男女差別だと批判される状態かもしれませんが、男性たちが地域を留守にしている間、女性たちは地域を運営する仕事を担ってきたことは忘れてはならないと思います。そして、こうして築いてきた関係が「下新庄さくら園」の運営にもつながっている。
現在は男女平等の観点から女性の「社会」進出が進められていますが(これは否定すべきことではありませんが)、ここでいう「社会」の中に身近な地域は含まれていないように思います。お金を稼ぐ仕事の領域への進出が進む反面、地域を運営するという仕事からの退去が起きているのではないか。もちろん、若い世代の男性が地域に戻ってきているわけでもない。
男女の平等が実現したのは大きな前進。しかし、それによって地域を運営する仕事を担う人がいなくなりつつある。だから、団地の管理など地域を運営する仕事が、お金を払って購入するサービスとされる。だとすれば、何らかの手当をする必要があるのかもしれません。もちろん、それはボランティアへの参加を促すことによって解決することはありません。

ポイントは、暮らしのベースを支えるのはお金ではない、という可能性を考えてみることではないかと思います。お金が全く不要と言うわけではありませんが、お金自体は着ることも、食べることもできないし、家にもならない。お金はあくまでも衣食住を得るための媒介です。
もしも、地域における関係性を媒介することで衣食住が手に入るなら、その分、お金の稼ぎは少なくても暮らしは成立すると言えるのではないか。
例えば、家事や日曜大工などちょっとしたお手伝いをしあう、地域の大人が子どもたちに勉強を教える寺子屋を開く、地域の植木の手入れを外注するのではなく自分たちでやる、お互いに暮らしを見守り合うなど、暮らしのベースになる部分は地域における関係性において手に入れることは不可能ではありません。
逆に言うと現在は(特に都市部では)、衣食住を全てお金で手に入れようとするから、金が必要になり、それによって地域における関係性はますます希薄になって、ますますお金が必要になる… という悪循環に陥っているのではないか。
そうした社会において、お金を稼ぐことの正反対の活動と見なされているボランティアという行為が、(直接お金を稼ぐことにはつながらないとしても)衣食住を得るための媒介として成立するという仕組みを意識的に作る必要があるかもしれません。

地域における関係性を媒介として衣食住を手に入れるというのは、非常に煩わしいこと。こうした煩わしさを捨てて、人々は都市に憧れたという歴史があったことも忘れてはなりません。だから、少しは煩わしさを減らすような仕組みにする必要がありそうです。
「下新庄さくら園」のような「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ)や、地域通貨/時間通貨と呼ばれているものの可能性は、このあたりにあるのかなと思います。
そしてこれは、「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ)の運営や団地の管理という話にとどまらず、人口減少に伴いお金の流れも減少していくであろう社会において、なお豊かに暮らすための方法を見つけることにもつながっていきます。