2018年7月1日(日)、新千里北町の車止め街歩きツアーが開催されました。
ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)ではこれまでにも車止め街歩きツアーを行ってきましたが、今回は吹田市立博物館で開催中の特別展「ニュータウン誕生~千里&多摩ニュータウンに見る都市計画と人々~」の関連行事「千里ニュータウン現地見学会(豊中編)」としての開催です。
この日の車止め街歩きツアーの参加者は、取材、スタッフを含めて22人。
13:30から車止め街歩きツアーがスタート。最初に千里文化センター・コラボでレクチャー。ディスカバー千里の共同代表から、今日のツアーでは次の2点を伝えたいという話がありました。
- ニュータウンにも歴史があること。ニュータウンは単に古くなっただけではない。
- ニュータウンのそれぞれの住区ごとに個性があること。団地が建ち並ぶというイメージを持たれることがあるが、それぞれの住区はその時々で工夫がなされて開発された。
この後、スライドを使いながら次のような説明が行われました。
- ニュータウン開発前の千里丘陵
- 田園都市(ガーデンシティ)、近隣住区論、世界のニュータウン
- 新千里北町から千里ニュータウン開発のあり方が大きく変わった
- 新千里北町における歩車分離の仕組み
- 車止めの概要、車止め調査から明らかになったこと
- 住民が参加した車止めペイント祭り
説明では、特に、新千里北町で採用された歩車分離について詳しい説明がされました。
千里ニュータウンは1962年、吹田市の佐竹台から入居が開始。新千里北町は、千里ニュータウンでは7番目、1966年から入居が始まった住区です。新千里北町で導入されたのが、住区全体で歩車分離を実現すること。
新千里北町より前に開発された住区でも歩車分離の考え方は導入されていましたが、住区全体としてではなく、戸建住宅地や集合住宅団地内などのブロック内で「クルドサック(袋小路)」という手法が用いられていました。「クルドサック(袋小路)」は住宅の前を通過交通が侵入しないようにするための手法ですが、道路形状が複雑でわかりにくなる傾向があり、ゴミ収集車などもUターンしにくいというデメリットがありました。
住区全体で歩車分離を実現することが考えられた新千里北町では、2つの道路体系が採用されました。1つは、近隣センター、小学校、幼稚園など主要施設を結ぶ歩行者専用道路の幹線。もう1つは、戸建て住宅地内の「ループ状道路」とそれらを結ぶ歩行者専用道路です。
「ループ状道路」は、Uターンしにくかった「クルドサック(袋小路)」のデメリットを解消するために採用されたもの。戸建住宅地内に「コ」の字型の車道を通すことでUターンを不要にすると同時に、主として「コ」の字の角にあたる部分同士を歩行者専用道路で結ぶことで歩車分離を実現しました。しかし、これだと「コ」の字の部分を走る車が歩行者専用道路に誤侵入する可能性があります。そこで、歩行者専用道路の出入口に車止めが配置されることとなりました。
14:20頃、千里文化センター・コラボをスタート。住区をめぐる歩行者専用道路、戸建て住宅のループ型道路を歩きながら、カメ、ウマ、リスなどの動物型、○▽□などの幾何学型の車止めがどこに置かれているかを確認。
幾何学型は戸建住宅地内に設置されており、特に▽の車止めの先は階段・下り坂になっていること、動物型の車止めは歩行者専用道路の入口や、戸建住宅地内の公園の隣に設置されていることなど、車止めの配置にはいくつかのルールがあることの説明もありました。
15:40頃、キリンの車止めのあるつつじ公園に到着。この日は非常に暑い日だったため休憩の時間としました。
キリンの前で記念撮影をした後、後半がスタート。
新千里北町は日本で初めて「新住宅市街地開発法」(新住法)に基づいて開発された街です。新千里北町より前に開発された住区では「一団地の住宅経営」に基づいた開発が行われていましたが、新千里北町以降は「新住宅市街地開発法」に基づいた開発へと切り替えられました。この「新住宅市街地開発法」は大阪府が国に働きかけて生まれた法律です。
大阪府職員として千里ニュータウン開発に携わった方は、この経緯を次のように振り返っています。
開発の法的拠り所ですが、最初は「一団地の住宅経営」という枠の中で事業を行っていました。しかし途中で、「新住宅市街地開発法」〔新住法〕に切り替えました。というのは、「一団地の住宅経営」は300~500戸くらいの団地を作るのが建前で、1,000~2,000戸というのは無理だったんですね。そこで西側の住区は新住事業という法律でやっていきました。法律を変えるということは、用地買収を拒否する方に対しても、ぜひ協力していただくという法的な裏付けをもっていました。
※ディスカバー千里「開発者に聞く:千里ニュータウンの回顧」のページより
新千里北町近隣センターの近くに、「新住宅市街地開発法」の適用を表す標識が今も残されています。ツアーではこの標識を訪れ、新千里北町が日本の都市計画の歴史において重要な意味を持っていることの説明がありました。
ひじり公園の北側の歩行者専用道路には、アシカの車止めがあります。実はアシカの車止めは、かつては幼稚園近くの「ひらど橋」の所に設置されていましたが、道路工事の際に取り外されてしまいました。
そして、ひじり公園の北側の歩行者専用道路には別の車止めがありました。この車止めは水道管工事の際に邪魔になり、取り外されてしまいました。ところが、住民から車止めを残して欲しいという声があがり、保管されていたアシカの車止めがここに移設。通常、車止めは歩行者専用道路の中央に設置されていますが、車イスでも通れるようにと考えられ、アシカは歩行者専用道路の中央からずらして移設されたということです。
16:40頃、千里文化センター・コラボに到着。参加された方々との質疑応答、意見交換が行われました。車止めについてはツアー中に話がされたため、ここでは主にニュータウン全体についての質疑応答、意見交換が行われました。
- 新千里北町の戸建て住宅地は100坪の面積がある。良好な住宅地が維持されているが、これを今後も維持するのは難しいのではないか。100坪分の固定資産税を払い続けることは難しいのではないか。
- 新千里北町の戸建て住宅地には、住宅だけしかなく、女性が家の近くで働くための子ワーキング・スペース、子どもを預ける場所や、日々の暮らしを楽しむためのお店や場所はない。新千里北町の戸建て住宅地は面積も広く、静かで緑豊かという意味で良好な住宅地であるが、現在の暮らしにおいて求められる場所が欠けているように思う。
- 今後の社会においては、ニュータウンという概念自体を変えていく必要があるのではないか。例えば同じく大阪府にある泉北ニュータウンでは、「脱ニュータウン」をコンセプトとして様々な活動が行われている。
予定の時間を過ぎてしまいましたが、16:50頃、この日のツアーは終了しました。