『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ハットフィールド:イギリス初期のニュータウン

イギリスでは1946年にニュータウン法が制定され、ニュータウン建設が進められていくことになります。

ハットフィールド(Hatfield)はあまり耳にしない街の名前ですが、初期のニュータウンの1つ。1948年にニュータウンに指定されています。
25,000人を計画人口とし、2,340エーカー(9.5㎢)がニュータウンのために割り当てられました。その後、人口は計画人口を上回り、2001年までに27,833人に増加しています*1)。

ハットフィールドはロンドンの北に位置し、レッチワースウェリン・ガーデンシティという2つのガーデンシティ(田園都市)、最初のニュータウンであるスティヴネイジと同じ、ハートフォードシャー(Hertfordshire)州にあります。
特にウェリン・ガーデンシティとは関わりが深く、ハットフィールドはウェリン・ガーデンシティのすぐ南に位置し(ハットフィールドとウェリン・ガーデンシティの鉄道駅は隣り合っている)、ウェリン・ハットフィールド(Welwyn Hatfield)という行政区を構成しています。
ウェリン・ガーデンシティはエベネザー・ハワードの理念に基づき、1920年からガーデンシティ(田園都市)として開発が始まりましたが、1948年、ハットフィールドと同じ年にニュータウンに改めて指定されています。

ニュータウン開発のためにハットフィールド開発公社(Hatfield Development Corporation)。開発公社は、鉄道駅の東側にあったオールド・ハットフィールド(Old Hatfield)とは反対側に、新たなタウンセンターを建設することを決定しました。オールド・ハットフィールドには拡張するスペースがなく、また、オールド・ハットフィールドが持つ親密な村の特徴はニュータウンの規模にはそぐわないというのがその理由です。
そのため、ニュータウンは主に鉄道駅・線路の西側に開発されることになりました。ハットフィールドでは、通過交通がショートカットしづらく、ニュータウン内の移動をスムーズにするような道路パターンが計画されています。1950年代の近代建築、開発当初にデザインされた木々やオープンスペースなど、ハットフィールドでは今でもニュータウンの特徴をよく残しているとされています*2)。

2010年5月にハットフィールドを訪れる機会がありましたので、街の様子をご紹介します。


ハットフィールドの北部にある住区「The Ryde」「Birchwood」の様子。緩やかに弧を描いた道路の両側に、庭のある戸建住宅、連続住宅が並んでいます。特に「The Ryde」の住宅はかなりゆったり建てられており、木々も大きく育っています。

「Birchwood」では、森の中を歩いているような感じがする緑道が通っていました。

駅の北側には、窓枠が青・赤に塗られた正方形の建物が隣り合って建っています。周りには小さな店舗がいくつかあります。

駅は東側向かって開かれています。駅の西側にはオフィスがありますが、駅のすぐ裏としては人通りもあまりなく、少し殺風景な感じがしました。

駅の東側のすぐ正面は、ニュータウン開発前からあるオールド・ハットフィールド(Old Hatfield)があります。上に書いた通り、ニュータウンとして開発されなかったエリアです。駅の近くにはハットフィールド・アームズ(Hatfield Arms)というパブ。古い建物が両側に並ぶ坂道を登っていけば、St Etheldreda’s Churchという大きな教会もあります。
上に書いた通り、オールド・ハットフィールドが開発されなかったのはニュータウン開発のための十分なスペースがなかったことが大きな理由ですが、それでも昔からある古い街並みがきちんと残されていることには驚かされました。

ハットフィールド駅から、ロンドンのキングス・クロス(King’s Cross)駅まで約25分。乗車賃は7.90ポンド(約890円)でした。


(更新:2018年11月2日)