『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウンの「まちの居場所」をめぐる「有益な強いアマチュア」と「柔軟で強い専門家」

山形浩生氏は、ジェイン・ジェイコブスについての文章「ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは」を公開されています。

山形氏はこの中で、専門家に対するジェイコブスの優位性は、アマチュアとしてのアプローチにあったと指摘されています。

「専門家はまず自分の領域から始める。そしてそこでは片付かない問題に出会ったら、それを広げてハイブリッド領域、または「学際」領域を作ってアプローチしようとする。
でも、世の中の組み合わせは無数に考えられる。どんな学際領域が有効かも、見極めるには一苦労だ。そこに強い方法論があれば、シカゴ派経済学が社会問題から夫婦関係やら子供の名前にまで合理性分析を適用したような成果もあり得る。でもそうでなければ、学際研究は往々にして、群盲象をなでるだけの状態からなかなか抜け出せなくなる。
それに対して、ジェイコブズはアマチュアとして全体から入り、既存分野の区切りなどおかまいなしに自分の見つけた問題をバシャバシャ切り出し、ついでにそれに気がつけない専門家たちを罵倒して回った。」
*山形浩生「ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは」・『ジェイン・ジェイコブス1916-2006(別冊『環』22)』藤原書店 2016年

山形氏の指摘で重要なのは、この文章のタイトル「ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは」にもある通り、ジェイコブスが才能を発揮できたのは、時代的なタイミングの面が大きく、専門家の支援を受けられたからだという指摘。

「有益なアマチュアと、自分の分野の変化を目指す(できれば新世代の)専門家の共闘関係のようなものが、おそらくは重要なんだとぼくは思っている。アマチュアは、大枠は出せる。何か新しい見方や動きの先鞭はつけられる。でも、それを精緻化して発展させるのは、専門家の仕事だろう。」
*山形浩生「ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは」・『ジェイン・ジェイコブス1916-2006(別冊『環』22)』藤原書店 2016年

「有益な強いアマチュアを育てるには、柔軟で強い専門家を育てることが重要ということになる。そしておそらく――クルーグマンが言うように――柔軟で強い専門家は、その分野の外の有益で強いアマチュアの成果に恩恵を受ける。この両者の共闘関係と適切な相互作用をいかにして作り出すかが課題となる。」
*山形浩生「ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは」・『ジェイン・ジェイコブス1916-2006(別冊『環』22)』藤原書店 2016年


「おそらく、今後ジェイコブズ的な強いアマチュアが活躍できる/すべき場面は増えるはずだ。」
山形氏はこのように指摘しています。この指摘から思い出されるのが、2000年頃から地域の人々によって各地に開かれている「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ、地域の茶の間など)。山形氏の文章を読んで、「まちの居場所」の先駆的な場所の1つ、「ひがしまち街角広場」の初代代表Aさんのことを思い浮かべました。

「ひがしまち街角広場」は千里ニュータウン・新千里東町近隣センターの空き店舗を活用して開かれている場所。建設省(現在の国土交通省)の「歩いて暮らせる街づくり事業」、それを受けた豊中市の社会実験として2001年9月30日にオープン。半年間の社会実験期間終了後は、行政からの補助を受けない自主運営として継続されています。

日々の運営は地域の女性がボランティアによって担われています。「ひがしまち街角広場」ではコーヒー、紅茶などの飲物が「お気持ち料」100円で提供されているだけであり、4月の竹の子祭り、10月の周年記念行事、そして、月1回の歌声喫茶を除いてプログラムは行われていません。このような形で運営されている背景には、Aさんの次のような考えがあります。

「ニュータウンの中には、みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はありませんでした。そういう場所が欲しいなと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです。」

ニュータウンとは学校、病院、集会所、店舗など種々の施設が計画的に配置された町ですが、種々の施設を寄せ集めただけでは「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」という、地域での暮らしの基本となる場所は実現されなかったということです。

立派な施設を整えれば町は成立すると考えていた専門家に対して、それでは豊かな暮らしは実現されないと考えたAさんら地域の人々。「ひがしまち街角広場」は「強いアマチュア」の活躍によって生まれ、運営されている場所だと言えます。

「ひがしまち街角広場」が開かれてから、新千里東町には「ひがしまち街角広場」をモデルとした、つまり「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」として、府営新千里東住宅の「3・3ひろば」、UR新千里東町団地の茶話会、千里文化センター・コラボの「コラボ交流カフェ(コラボひろば)」が開かれています。

さらに、「ひがしまち街角広場」のような「まちの居場所」は各地に同時多発的に開かれており、高齢化のさらなる進展への対応として注目が集まっています。そして、2015年に施行された「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)では「まちの居場所」をモデルにした「通いの場」がサービスの1つとして盛り込まれるなど、「強いアマチュア」が国の制度に影響するまでになっています。この背景には、上に書いた通り高齢化のさらなる進展と、従来の枠組ではそれに対応できないという問題意識を抱いた専門家(行政、研究者を含む)の存在があると言えます(※注)。

このように「まちの居場所」は各地に大きく広がっていきましたが、「ひがしまち街角広場」が運営している新千里東町近隣センターは、現在、移転・建替の計画が進められています。これにより、運営に活用していた空き店舗がなくなることになります。新千里東町の住宅は全て集合住宅であるため、集合住宅の住戸を運営に利用するのは難しい。そのため、近隣センターの移転・建替後も運営を継続するためには、新たに完成する近隣センターの店舗を借りるか、集会所を間借りするかのいずれかを選択する必要があります。ただし、空き店舗のような安価な家賃では新たな店舗を借りることができないため、前者を選べば経済的な負担が大きくなる。後者を選べば「ひがしまち街角広場」だけで集会所を使えないため、運営日・時間が限定され「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」という日常の場所ではなくなる恐れがあり、また、集会所ではコーヒー、紅茶などの飲物を販売できないという制約が生じる可能性もあります。

今こそ「強いアマチュアと専門家の共闘」が求められるはずですが、そうはなっていないのが現状。新千里東町近隣センターの移転・建替には次のような問題が絡み合っています。

  • 「ひがしまち街角広場」の実績や価値が十分に共有されておらず、建替えによって立派な施設を整えれば町は良くなると考えられている。
  • 新千里東町は全住戸は集合住宅。近年は出入口にゲートがつき住民以外は出入りできない分譲マンションへの建替えが進んでいるため、「ひがしまち街角広場」のような地域活動が利用できる場所が近隣センターしかない。
  • 千里ニュータウンはクラレンス・A・ペリーの近隣住区論の考えに基づいて計画されており、各住区の中心として日用品を販売する店舗、郵便局、集会所などがある近隣センターが配置された。新千里東町近隣センターを住区の周縁部に移転させることは、千里ニュータウンの骨格である近隣住区論を崩すことになる。そうであるならば、千里ニュータウンにおける近隣住区論の何が問題だったのか? どのような可能性があるのか? を公共の場で検証・議論する必要があるが、十分な検証・議論がなされていない。
  • 新千里東町には千里中央駅があり、大阪の都心に近いため、マンションを建設すれば購入者がいるという(21世紀においては恵まれた)情況であるが故に、20世紀型の再開発の考えがまだ通用している。ただし、これは都心に対する立地だけを重要視することで、千里ニュータウンをベッドタウンとしてしか見なしていないことであり、千里ニュータウンの個性を損なうものである。これに関連して、都心に通勤するのではなく、地域で働くという21世紀型の暮らしに対応できない再開発が行われてしまう。
  • 戦後のモダニズム建築である近隣センターの建物自体も価値があるが、それをリノベーションして新たな価値を生み出すという発想がない。
  • 千里ニュータウンは市民活動が盛んな地域だと言われているが、コラボ市民実行委員会、千里市民フォーラムという、本来は千里ニュータウン全体を見渡すべきグループがその役割を果たしていない。千里ニュータウンで生じている切実な課題に向き合おうという意識が希薄で、グループの参加者に閉じた「文化祭的な活動」になっている。「文化祭的な活動」というのは、一見盛んに見えても決められた枠組を乗り越えることはなく、一過性の活動とう意味。
  • 半世紀前のまち開きから地域に関わってきたのは専業主婦である女性だった。そこに、(現役時代は地域とは無関係に働いてきた)定年退職した男性が一斉に入ってきたため、それまで女性たちは地域をどのように良いものにしようと努力してきたかという歴史が上手く継承されていない。
  • 新千里東町で地域自治協議会が設立されたことで、地域住民が地域の運営に参加できる仕組みが生まれたと期待されたが、体制が整ったことでかえって、一部の人の考えが住民の総意として誤認されるようになった。地域の多様な考えを出す機会が失われてしまった。行政にも、地域自治協議会と関わることで、地域の全住民の意見を聞いているのだというアリバイを与えることになっている。
  • まち開き以来、千里ニュータウン全体に目配りをしてきた千里センターがなくなったことで、千里ニュータウン全体に目を配る主体が存在しなくなった。

このように新千里東町近隣センターの移転・建替には、「ひがしまち街角広場」の運営場所の確保という問題を越えて、20世紀に計画された千里ニュータウンという町が、21世紀においてどのように魅力的であり続けるかというビジョンの不在という大きな問題が現れています。「有益な強いアマチュア」が生み出した「ひがしまち街角広場」が投げかけた価値を、新千里東町において継承していけるような専門家(行政、研究者を含む)が不在だと言えます。

こうした状況において、最近、新千里東町で行われた2つの出来事が、「有益な強いアマチュア」と「柔軟で強い専門家」との共闘の萌芽的な動きになるのではないかと考えています。
1つは第八中学校で使われていなかった中庭を、ベンチのペンキ塗り替え、植栽によって蘇らせようとする「八中の中庭を蘇らせよう!」プロジェクト、もう1つは「ひがしまち街角広場」が主催する「春の竹林清掃&地域交流会」。前者は「ディスカバー千里」のコーディネートにより、中学校の教員・生徒、地域住民、ペンキと植物の専門家との協働により行われたもの。後者は「ひがしまち街角広場」が主催し、「千里竹の会」、「東丘ダディーズクラブ」、「ディスカバー千里」という地域団体によって行われたもの。両者にはいくつかの共通点があります。

  • 一過性のイベントではなく、中庭のペンキ塗り替え、竹林清掃という具体的な空間を対象とする環境改善の(地域をよいものにする)活動であること。
  • 子ども、その親世代、そして高齢者と多世代の住民の参加があったこと。
  • 住民に加えて、ペンキ、植物、竹林の専門家の協働がなされたこと。

思いつくまで書いてきましたが、この萌芽的な動きが千里ニュータウンにおいてどのような意味をもっているのかを見出し、議論し、共有していくこと。ここに専門家(行政、研究者を含む)の役割が問われています。
日本で最初の大規模ニュータウンである千里の現状に対して、一石を投じたいものです。


(※注)『地域づくりによる介護予防を推進するための手引き』(三菱総合研究所, 2015年3月)では「何故、介護予防のためには住民が主体となって運営する「通いの場」が必要なのか」という理由として「より多くの高齢者が介護予防に取組むため」、「持続的な介護予防の取組みとなるため」、「介護予防の取組を支える人のモチベーションを維持するため」の3つがあげられており、「住民運営の通いの場のコンセプト」として「①市町村の全域で、高齢者が容易に通える範囲に通いの場を住民主体で展開」、「②前期高齢者のみならず、後期高齢者や閉じこもり等何らかの支援を要する者の参加を促す」、「③住民自身の積極的な参加と運営による自律的な拡大を目指す」、「④後期高齢者・要支援者でも行えるレベルの体操などを実施」、「⑤体操などは週1回以上の実施を原則とする」の5つがあげられていますが、これらは、先駆的な「まちの居場所」が目指した価値に合致するのかは疑問があります。特に、先駆的な「まちの居場所」では日々の豊かな暮らしの実現を目指した結果として介護予防がもたらされると考えられているのに対して、「通いの場」では介護予防が目的とされているというように、「結果としての介護予防」と「目的としての介護予防」という点でズレがある点は見過ごしてはならないと考えています。