かつて千里ニュータウンの近隣センターには銭湯がありました。当時、住戸内に風呂場がない集合住宅があったため、近隣センターはお風呂に入りに行く場所という意味でも、日々の生活には欠かせない場所でした。
新千里東町の近隣センター。かつて、この場所に銭湯がありました。このマンションが建設されたのは1987年8月。その1年前の1986年まで銭湯があったと聞きました。
もう何年も前になりますが、近隣センターで運営しているコミュニティカフェ「ひがしまち街角広場」でインタビューしていた時、銭湯のことが話題になったことがあります。その時にお聞きした銭湯にまつわる思い出をいくつか紹介したいと思います。
○銭湯は夕方の4時から。4時には、大体赤ちゃん連れた人が並ぶ。
○一番風呂、赤ちゃんやから。
・・・(略)・・・
○汚い言うたらおかしいけど、大人ばっかり入ったとこへね、赤ちゃんをば〜っと入れるのん嫌なんや。だから一番風呂行くねん。
○だから、4時前になったら、赤ちゃん連れた人が、ずっとね、前でウロウロしてた。
○私の知り合いの人の話で、男の子がいて、お母さんがずっとお風呂一緒に行ってはってん。そしたら小学校行った時分から、風呂屋のおっちゃんが「もうあんた学校行くようになったら、男風呂入っとけ」言って。それまでは、〔男の子でも〕お母さんについて女風呂へ入るやん。それで「お風呂屋のおっちゃんに、もうそろそろ男風呂入りって言われた」って。
○うちは2年生ぐらいなったら、勝手に男風呂行って。毎日入ってるからそんなに汚くないやろ。そのうち上手に洗うようになるでしょ、そんなんして。知らん間にもう男風呂行ってたわ。
○うちの子は、石鹸箱とタオルしか持って行けへん。2つだけ持って。
・・・(略)・・・
○桶は、女の人はいっぱい入れるもんあったから。男の子でも桶持つ子もいてたけどね。持たんと行ったりする子が多かったね。
○うちは桶持たしとったよ。
○タオルに石鹸箱くるんで、ぶらんぶらん、ぶらんぶらんしながら行ってた。
いずれも千里ニュータウンの銭湯にまつわる貴重なエピソードです。
風呂場ない住戸に住んでいた人々を対象としてバスオールという商品が発売されました。これは、部屋やベランダに設置できる簡易型のユニットバスです(※バスオールは2006年まで製造・販売されていました)。
○お風呂屋さんに赤ちゃん置くベッドがあって。
○ベッドが並んでんねん、ざざざ〜って向かい同士で並んでんねん。そこへ寝かしとくねん。1人の子どもやったら、親がついておれるけど、2人なったら、寝返りうったら危ないから。だから、うちはホクサンバスオール入れて。
子ども1人の時は、番台には店員さんおったから、その人がちょこちょこ見てくれたけど、2人になったら見られへんから。だから、即、則ホクサンバスオール入れて、ちっちゃい方の洗い場なしのやつ。・・・(略)・・・。〔2人いたら〕お風呂屋さん行った時に、1人は放っとかんなんでしょう、台から落ちたら大変やから。ホクサンバスオールはすごく役にたってん。その時まだお風呂屋さんあったけど、2人連れてはちょっと。
子どもが1人の時はよかったけど、銭湯の中で同時に2人の子どもを見守ることは難しい。だから、バスオールを買った。バスオールが普及した背景には、このような状況もありました。
しかし、バスオールを購入した後も、近隣センターの銭湯には行っていたようです。子どもたちはバスオールよりも、銭湯を好んだ、という話も聞きました。
○子どもは友達同士で行ってた。
○友達同士でよく行っとったからねぇ。家にホクサン〔=ホクサンバスオール〕置いたってもね、「約束してきたから」言うて行くねん。
○そうや、友達と遊びに。
○小学生の時に、友達と学校の帰りにもう約束してるわけ。何時にお風呂の前で落ち合うって。
○〔子どもには〕200円持って行かしたような気がすんねん。持って行って、帰りしな、それで飲み物〔を買うのが〕楽しみで。うだうだしてたわ。だから、学校帰って来たら、「今日はお風呂、向こう行くねん」言って。
○何時にどこやって待ち合わせしてる。
○湯冷めするけどな(笑)。冬やったら気つけやって言うねんけどな。
○帰ってけえへんねん。
○帰って来た頃もう・・・
○お風呂屋のおっちゃんに怒られんねん、風呂の中で運動会しては。
○うちの子は、大学行くようになったら、家の風呂入らんかったね。ずっとお風呂屋さんのお風呂。毎日お風呂屋さん、自分勝手に行ってた。
・・・(略)・・・
○そらバスオール言ったら狭いもん。
○私らは諦めて、辛抱して入ってたけど。
バスオールが普及した後も、近隣センターの銭湯は、子どもたちにとって重要な場所だったということが伺えます。
近隣センターの銭湯との関わりはバスオールが普及した後も続きましたが、集合住宅の増築によって住戸内にお風呂が設置されて以降は、銭湯を利用することが少なくなっていったということです。
(更新:2022年4月19日)