『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

高齢者が「利用者さん」とは呼ばれない場所

大船渡市末崎町の「居場所ハウス」のスタッフ・来訪者の中心は高齢者であり、高齢者施設の一種類だと捉えらることもありますが、「居場所ハウス」では高齢者施設ではないことを意識的に打ち出しています。一般的に、高齢者施設において高齢者はサービスを受ける存在であり、与えられたプログラムに参加する存在であるのに対して、「居場所ハウス」では高齢者も地域を良するための具体的な役割が担える、というのが最も大きな違いだと言えます。

「居場所ハウス」は高齢者施設とは違いますが、これは、どちらが良い・悪いの話ではありません。ただ単に、タイプが違うということです。

先日、日建設計総合研究所が主催するNSIRフォーラムにて、ワシントンDCの非営利組織「Ibahso」代表の清田英巳氏の講演がありました。「高齢者が自らのために作る「Ibahso」の理念と実現〜被災地・大船渡、フィリピンなどでの事例をもとに〜」と題する講演では、日米の高齢者会議の状況や、建築の役割、大船渡とフィリピンでの活動などが紹介されました。講演の中で、人間は65歳を過ぎると「自分の知恵を他者に対して、社会に対して活かせること」が最大の喜び、生き甲斐になるという、ある老年学者の言葉が紹介されました。

「居場所ハウス」の運営において大変なことはたくさんあります。どうやって資金を獲得するのか? どうやって活動を地域に浸透させるのか? あるいは、どうやったら地域の人同士の意思の疎通が図れるのか? 大変なことをあげていくときりがありませんが、それでも「居場所ハウス」に人々が集まり、運営に携わっているというのは、「居場所ハウス」が自分の知恵を他者に対して、社会に対して活かせる場所になっているからだろうと思います。

しばしば高齢者施設では、高齢者を総称する丁寧な表現として「利用者さん」と言われます。これに対して、「居場所ハウス」ではやって来る人は○○さん、○○さん、○○のばあちゃんというようなあくまでも個人であり、やって来る人々を総称して「利用者さん」と呼ぶことはありません。
繰り返しになりますが、「居場所ハウス」において高齢者はサービスやプログラムを利用するだけの存在ではありません。みなが同じ地域で暮らす人々であり、お茶を飲みに立ち寄ったり、話をしたり、朝市で買い物をしたりする人もいれば、野菜を収穫したり、朝市で商品を販売したり、行事を企画したり、運営方法を議論したり… と、利用を超えて、様々なかたちで関われる余地のある場所です。そのような人々を「利用者さん」とひとまとめにすることはできません。

高齢者が「利用者さん」と呼ばれないという一見些細に見える点にこそ、「居場所ハウス」が高齢者施設ではないことが現れているのだと言えます。

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