『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

居場所ハウスと公民館

先日、「居場所ハウス」に来た方から、公民館との棲み分けを意識していますか? という質問がありました。質問した方には、「居場所ハウス」と公民館とは性質が違う場所だから、日々の運営で公民館との違いを明確にせねばならないと意識することはないと返事をしました。

性質が違うというのは以下のような意味です。
一般的に公民館や集会所は、会議や教室、同好会など特定の活動に参加するために利用する場所。会議室、和室、調理室、体育館など様々な設備が整っています。事前に利用する時間帯を予約しておくため、参加者だけでこれらの設備を利用することができます(会議や教室、同好会を行っている間は、活動に関係のない人がそこにやってくることはない)。
一方、「居場所ハウス」に限らずまちの居場所(コミュニティ・カフェ)は特定の目的がなくても、気軽に訪れることができる場所。「居場所ハウス」でも会議や教室、同好会などが行われることがありますが、活動をしている間にも絶えず人の出入りがあり、参加者以外もお茶を飲んだり、話をしたりしています。
どちらが良い、悪いというわけではありません。ただ、性質が違う場所だということです。

ただし、「居場所ハウス」では次のようなことがありました。今年、「居場所ハウス」で「デジタル公民館まっさき」の主催でひな祭りを行ったのですが、近くにある公民館(ふるさとセンター)でもひな祭りが行われ、参加してくれた子どもは同じ顔ぶれだったということがありました。そのため、来年は、「デジタル公民館まっさき」主催のひな祭りは公民館で行うつもりだという話を伺いました。この意味で、「居場所ハウス」と公民館とで同じような行事を行わないようにするという調整は必要かもしれません。

また、「居場所ハウス」では一時期カラオケ同好会が開かれていましたが、スペースのこと、カラオケに参加しない人も過ごしていることという理由から、カラオケ同好会は公民で行われるようになりました。逆に、公民館で開催予定だった同級会の打合せが、鍵を借り忘れていて公民館に入れなかったため、急遽、「居場所ハウス」に場所を変更して行われたこともあります。
これらの出来事は、どちらかが人をとった、とられたという話ではありません。地域全体で考えた場合、それぞれの人が使いやすい場所を選択できるよう、性質の異なる場所があることが好ましいのだと思います。「居場所ハウス」で全ての活動を行うというのも現実的ではありません。上に書いた通り、日々の運営で公民館との棲み分けを意識することはありませんが、結果として地域の人々が「居場所ハウス」と公民館とを使い分けていると言えます。

「居場所ハウス」と公民館とは性質が違う場所であること。これは、あくまでも現在の公民館との比較です。
公民館について次のような話を伺ったことがあります。公民館というのは、日々の暮らしで直面する課題を解決し、より良い暮らしを実現しようとする(近代化の)活動の中から生まれたもので、施設のない「青空公民館」としての活動も行われていた。けれども、現在では当初の理念が忘れさられ施設を維持するだけになったり、趣味的な活動を行うだけの場所になってしまっていると。当初、公民館に込められた思いを振り返れば、「居場所ハウス」こそが、現在の公民館と呼ぶに相応しいのではないか。このような話を伺いました。

「居場所ハウス」を現在の公民館と呼んでいいかどうかわかりませんが、現在においては、地域で何が問題になっているのか? そのために自分たちには何ができるのか? を話し合ったり、実際に行動を起こしたりするための拠点となる場所が求められているのだと思います。

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