少し前、「ひがしまち街角広場」の元代表の女性にお話を伺う機会がありました。
「ひがしまち街角広場」は2001年9月30日、新千里東町近隣センターの空き店舗を活用して開かれた場所(まちの居場所)。地域の人がやって来たり、小学校の子どもが学校帰りに水を飲みに立ち寄ったりする光景が見られ、オープン以来、約14年にわたって運営が継続されています。
「ひがしまち街角広場」は、ニュータウンには様々な施設や店舗が計画されたが、地域の人々が特定の目的がなくてもふらっと立ち寄り、ゆっくり過ごせる場所がなかったという考えから開かれました。元代表の女性はオープンの経緯を次のように話してくださいました。
日常的に、時間の許した時に立ち寄ってゆっくりと、日がな人と話ができる場所っていうのは、もうずっとこの町に要ると思ってたんですよね。昔だったら町にはお寺さんがおって、お寺さんの庫裏で一日、仕事のなくなった年寄りはゆっくりそこで話をしてましたよね。・・・・・・。それが東町には全くそういうところがなかって。今からもう20年以上前だと思うんですけど、会館の一部分でそんなことできないかなっていう話をしたことがあるんです。・・・・・・。でも、誰もそんな場所がいると思わなくて、そのまま立ち消えになってたんですよ。その後、みなだんだんと歳になってきて、「歩いて暮らせる街づくり事業」の時に、みながお茶飲み場が欲しいとか、ゆっくり座れる場所が欲しいとかっていう意見が出てきたんです。
私の叔母がお寺へ嫁に行ってまして。・・・・・・。そこへ行くとね、しょっちゅう庫裏に何人もの年寄りが来て、1日勝手にお茶入れて飲んで。そういうことを1日やってました。年寄りの人が来て、遊んで、お喋りしながら。庫裏っていうのはお台所ですよね。お寺のお台所ですよね。
この話からは、「ひがしまち街角広場」はお寺が1つのモデルになっていたことがわかります。
大阪府が開発した千里ニュータウンでは、政教分離の考えからお寺をはじめとする宗教施設が建設されませんでした。宗教施設は一般的には冠婚葬祭という非日常的な場所だと捉えられることが多いですが、元代表の女性の話からは、宗教施設は日々の暮らしに密着した場所であったことが伺えます。
宗教施設がないことは、地域の人々が日常的な関わりを持つためのある種のきっかけが欠けていることを意味しており、機能的に計画された店舗や施設を集めただけでは「日常的に、時間の許した時に立ち寄ってゆっくりと、日がな人と話ができる場所」を実現できなかった。「ひがしまち街角広場」は、宗教施設を建設することが許されなかったニュータウンという町において、宗教施設が日常生活において持つ社会的な役割も担っていると言えます。
これも少し前に聞いた話ですが、ある神社の宮司さんが、宗教にまつわるお祭り、テーマパークやショッピングセンター等で行われるイベントの違いについて話をして下さいました。イベントは新しいことをしないと人が集まらない。だから、主催者は毎回新たなイベントを企画しようとするのに対して、お祭りは毎年同じことをしていても何百年も続いていくことに意味があるのだと。
この話からも宗教的なものの日常性についてを考えさせられました。宗教にまつわるお祭りは、お祭りという断面だけを見れば非日常ですが、それは豊作祈願であったり大漁祈願であったりと日々の暮らしに欠かせないもの。また、地域の人々は決してお祭り当日だけに関わるのではなく、準備から後片付けにいたる一連の流れでお祭りに関わるという意味でも、日々の暮らしと連続したものです。こう考えるとイベントの方が、地域での日々の暮らしから遊離した非日常性を演出しようとしているように見えます。
「ひがしまち街角広場」に話は戻りますが、現在、「ひがしまち街角広場」ではイベントはほとんど行われておらず、日常の場所として11時から16時までカフェスペースの運営が約14年にわたって継続されています。こうした運営のあり方は、毎年同じことをしても続いていくことに意味があるという、宗教にまつわるお祭りの日常性に通じるものがある気がします。
現在、千里ニュータウンでは以前からお住まいだった人々の高齢化が進むと同時に、マンションの建替えによって多くの人々がやって来るというように大きな変化が生じています。こうした状況にある今こそ、地域での日々の暮らしを見直すためにも宗教的なものとどう付きあっていくかを考える必要があるのだと思います。非日常なものとしてではなく、日常の暮らしの中で宗教的なものとどう付きあっていくか? そのためには、
- 宗教施設が日常生活において持つ社会的な役割も担う「ひがしまち街角広場」のような場所どのように実現するか?
- ニュータウン開発から除外された地区であるがゆえに神社やお寺などの宗教施設が存在する上新田地区に対して、ニュータウン地区がどういう関わりを持てるか?
などを考えていくことが大切になってくると考えています。