以前、千里ニュータウンでの活動について「「当たり前」の継承:千里ニュータウンにおけるアーカイブ・プロジェクトの試み」(『住宅』2013年5月)という記事を書いたことがあります。
まち開きから半世紀以上が経過した千里ニュータウンには、既に次世代に継承すべきことがたくさんある。千里グッズの会をはじめとして、千里ニュータウンで10年以上にわたって活動してきたことは、千里ニュータウンにお住まいの人々にとって「当たり前」として経験されてきた(がゆえに見過ごされがちな)ことの価値を発見、共有しようとするものだと言えるという内容です。
千里ニュータウンでの活動を通して気づかされたことは、現在の「当たり前」、自身にとっての「当たり前」は、次世代へと継承するに値する歴史になるということである。・・・・・・。しかし、これも本稿で述べた通り、自らが経験した「当たり前」は何らかのきっかけがないと思い出されない。ここに、何らかのきっかけを工夫する余地がある。
ニュータウン開発前から続く千里丘陵での暮らしもあれば、ニュータウン開発後の半世紀の暮らしもある千里ニュータウンには、まだ意識されてはいないが継承すべき「当たり前」が無数に存在するはずである。この街は、何を継承するかではなく、どうやって継承するかを問う段階にきている。
*「「当たり前」の継承:千里ニュータウンにおけるアーカイブ・プロジェクトの試み」・『住宅』2013年5月
一方、先日、岩手県大船渡市の「居場所ハウス」についての記事「試行錯誤により再構築されていく地域:岩手県大船渡市「居場所ハウス」が目指すもの」(『近代建築』2015年10月号)の中で、被災地において地域の外から来ている人々が果たせる役割として、次のような内容を書かせていただきました。
・・・・・・外部の人々は最初からその地域の暮らしや価値観を共有しているわけではない。だからこそ、地域で当たり前とされている価値観を揺さぶったり、新たな価値観をもたらしたりすることで、再構築に寄与できるということである。
*「試行錯誤により再構築されていく地域:岩手県大船渡市「居場所ハウス」が目指すもの」・『近代建築』2015年10月
外部の人々は、地域で「当たり前」とされている価値観を共有しているわけではないからこそ、「当たり前」とされていることを新たな視点で捉えることができる。こう考えると、地域で「当たり前」とされていることを継承するためには、外部の視点が必要である。
この時の外部の視点とは、外部の人々が地域と無関係に活動するのではなく、外部の人々と地域の人々との関わりによって生み出されるものだと言ってよいと思います。
このことは千里ニュータウンにも当てはまると思います。
千里グッズの会は千里ニュータウンの住民に加えて、建築・まちづくりの専門家やコンサル、大学教員や学生によって行ってきた活動ですが、千里ニュータウンの住民以外にも多様なメンバーが参加していたからこそ、千里ニュータウンにおいて「当たり前」を継承するという活動を行うことができたと言えそうです。
外部の人々が地域と離れ過ぎていては、地域で何が「当たり前」とされているかに気づくことは難しい。しかし、外部の人々が地域と密接になればなるほど、地域で「当たり前」とされていることを、外部の人々自身が「当たり前」として見過ごしてしまう恐れがある。
従って地域で「当たり前」とされているものの価値を(再)発見し、それを継承するためには、外部の人々が地域とどういう距離感で付き合い、外部の視点を維持し続けるかが大切です。しかし、このことはそう簡単なことではありません。地域に関われば関わるほど地域と密接になっていくのは当然ですし、悪いことではありません。こうしたプロセスを避けていては、地域を深くしることも難しい。
だから地域で「当たり前」とされているものの価値を(再)発見し、それを継承しようとする者が意識しておくべきことは、地域との関わりにおいてその時々に感じたことなどをメモとして残しておき、いつでもメモを読み直せば、地域と関わり始めた時に感じていたことを振り返れるようにしておくこと。これが、外部の視点を維持し続けるための重要な1つの方法だと考えています。