『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

誇りにできる仕事の経験、誇りにできない仕事の経験

「居場所ハウス」では高齢者がお世話をされる受け身の存在になるのではなく、何歳になっても自分にできる役割を担えることを大切にしています。
実際に日々「居場所ハウス」で過ごしていると、仕事の経験をいかして、様々な役割を担ってくださる方々とお会いします。大工仕事、物作り、調理、農作業、花の手入れ、事務作業… 本当に多くの方々の協力によって「居場所ハウス」の運営は成立しています。
その一方で、(大船渡に限らず)自身の仕事を誇りにするのを憚る方もいるように思います。学校の先生という仕事がその1つではないかと。個人差があるため一概に言えませんし、あくまでも個人的な印象のため間違っているかもしれませんが。学校の先生だったことをあまり言って欲しくないという思いの背景には、「学校の先生は社会を知らない」と見なされてしまう雰囲気があると思います。

次の世代を育てるという社会を存続させるためには不可欠な仕事でありながら、なぜ学校の先生であったことを憚ってしまうような雰囲気になってしまうのか。不可欠な仕事であるため周囲からの期待が大きく、厳しい目を向けられるということもありますが、本当にその理由だけで片付けてしまっていいのかと。

ずっとそんなことを考えていましたが、少し前、偶然、社会学者の宮台真司氏が次のような発言をされているのを聞きました。日本の地域活動は学校周りに展開されている、と。
宮台氏は、日本ではPTAが運動会をやったりバザーをやったりと、学校周りの地域活動が非常に盛んでであることを指摘しています。これは明治5年の学制改革以降の、従来からある自然村を行政村に置き換えていく流れによりもたらされたものであり、ここで意図されたのは地域への参加を、政治から切り離すことだったという指摘は重要だと感じました。学校は教育機関であるため非政治性が求められる。だから学校周りに展開されている地域活動では、エネルギーをどうするか? 食をどうするか? などの政治的に重要な問題について議論できない体制になってしまっていると(2016年3月18日放送の「荒川強啓デイキャッチ! ニュースランキング」における発言)。

なぜ、学校の先生は社会を知らないと言われるのか。これを考えるヒントが、上にあげた宮台氏の発言にあるように思いました。
地域活動の中心とも言うべき学校で勤めているために、政治とは切り離されてしまっているからではないかと。地域活動を政治から切り離すことのしわ寄せが、学校の先生が自身の仕事を通して身につけた経験を誇れない部分に現れていると言うのは言い過ぎでしょうか…
こう考えると、学校を大切にすると同時に、学校以外での様々な活動(政治参加)が行われるような地域を実現することでしか、この問題は解決できないのかもしれません。

非常に大きな話になってしまいましたが、個人と個人との関係においてできることはあると思います。学校の先生だった方に対して、学校の先生であったことに経緯を払いつつ、学校の先生を退職されてからは「○○さん」と呼び、1人と1人の関係としてつきあうこと(もちろん、自身の恩師には何歳になっても「○○先生」と呼びつづけると思いますので、自身の恩師ではない方に対してという意味です)。ささやかかもしれませんが、こうやって学校というものを相対化していくことは今すぐにでもできることです。

大船渡のことを書いてきましたが、実は、日本の地域活動は学校周りに展開されているという宮台氏の発言を聞いて、最初に思い浮かべたのは千里ニュータウン(大阪府)のことです。
千里ニュータウンは、近隣住区論に基づいて計画されました。近隣住区論において住区の中心とされたのが学校です。元々、アメリカで近隣住区論が提唱された際には教会のことも考えられていましたが、大阪府が開発した千里ニュータウンでは宗教施設が配置されなかったため、千里ニュータウンは純粋に学校を中心として生まれた町だと言ってよいと思います。
日本の地域活動は学校周り展開されており、政治的な問題について議論できる体制にないという宮台氏の指摘が正しいとすれば(これも個人的な印象に過ぎませんが、千里ニュータウンの地域活動は文化祭的だと感じることがあります)、千里ニュータウンこそ学校以外での様々な活動(政治参加)が行われるような地域を実現する必要があるのかもしれません。