『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

「居場所ハウス」における学び

お盆休み前の5日間、「居場所ハウス」には1人の大学生のTさんがインターンに来られていました。関東地方にある大学に通う方で、コミュニティに関する講義を受講されているとのこと。
ご両親の実家や親戚が東日本大震災で被災したこともあり、「人と人とのつながりを通じた被災地支援」というテーマでのインターン先として、「居場所ハウス」を選んでいただいたようです。
「居場所ハウス」にはこれまで調査、見学でやってきた学生はいましたが、インターンという形での受け入れは初めて。会社のような仕事があるわけでもないため、インターンに対応できるのか不安だという話もありました。こうしたことはありましたが、結果として、「居場所ハウス」の運営メンバーにとっては孫のような若い方にインターンとして滞在していただけたことは、「居場所ハウス」のメンバーにとってもよい機会だったのではないかと感じました。

現在、大船渡市に大学・短期大学はありません(震災前には北里大学がありました)。岩手県内の大学・短期大学は、宮古市にある岩手県立大学宮古短期大学部を除けば、全て盛岡を中心とする内陸部に立地しています。
加えて、「居場所ハウス」のある大船渡市末崎町には高校もありません。そのため、「居場所ハウス」周辺では大学生や高校生が歩いているという光景を見かけることはほぼないと言ってよいと思います。現在、大学がまちづくりに関わる取り組みが行われていますが、近くに大学がある地域とない地域では大きな違いがあると思います。
そのような状況において、日常的にほとんど接することのない大学の方に来てもらえた、しかもその方は自分たちが運営する「居場所ハウス」に興味をもちインターンに来てくれた。このことがもつ意味は大きかったと思います。

話は少し逸れるかもしれませんが、「居場所ハウス」では8月6日に夏休み物づくり教室、8月13日に納涼盆踊りを開催し、いずれの日にも子ども、その親世代の若い方々に起こしいただきました。自分たちやっている活動が、自分たちの世代だけではなく、子どもや若い世代にも届いているという手応えが得られることは嬉しいものです。

インターンのTさんから、「これからどんな必要な支援が必要ですか?」という質問を受けました。その時は上手く答えが見つからなかったのですが。
Tさんにはテントの組み立て、野菜の値札作り、食器洗い、かき氷作り… など様々なことを行ってもらい、本当に助かりました。これらは「人と人とのつながりを通じた被災地支援」とはかけ離れたささやかなこと、雑用(?)だったかもしれません。けれども、「居場所ハウス」の日々の運営は、こうしたささやかなことの積み重ねであるのも事実。「これからどんな必要な支援が必要ですか?」というのを頭で考えずとも、実際に現地に身をおいてみれば手伝だえることはいくらでもある。「これからどんな必要な支援が必要ですか?」というのは難しい質問ですが、このことに気づくことから、何か答えが見えてくるかもしれません。
もう1つは、Tさんは単に支援に来ているのではなくて、Tさん自身もインターンとして学ぶ立場にあった。一方的に支援するのでもなく、一方的に学ぶのでもなく、相互のやりとりがあったことも重要ではないかと思いました。東日本大震災から5年と数ヶ月。東北がいつまで被災地と呼ばれるのか(いつから被災地と呼ばれなくなるのか)わかりませんが、被災地であってもそこは人々の暮らしの場であることには変わりありません。そして、暮らしの場には一方的な関係というのはそぐわないということが根本にあるような気がします。

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こういうことを考えていた時に、「正統的周辺参加」という言葉を思い出しました。地域の人々の「居場所ハウス」への関わりは「正統的周辺参加」と捉えることができるのではないかと。
正統的周辺参加について書かれた本(ジーン・レイブ エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習』産業図書 1993年)の訳者である佐伯胖氏は、「訳者あとがき」において次のようなことを書かれています。

学習とは人びとと共同で、社会で、コトをはじめ、なにかを作り出すという実践の中で「やっていること」なのだから、学習だけを社会的実践の文脈から切り離して、独自の目標とすべき対象活動ではない。したがって「勉強」をする、というのはおかしい。何かをするときに、「勉強」が結果的にともなっている、というのが本来の学習なのだ。
*佐伯胖「訳者あとがき」・ジーン・レイブ エティエンヌ・ウェンガー(佐伯胖訳)『状況に埋め込まれた学習』産業図書 1993年

「居場所ハウス」が、あらゆる世代の人々に対してこうした意味での学習をもたらす場所になっていればと思います。