『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウンの試みを完成させた泉北ニュータウン

大阪府堺南区にある泉北ニュータウンは、千里ニュータウンより5年後の1967年から入居が始まりました。
泉北ニュータウンは日本における近隣住区論が完成したニュータウンと言われるように、千里ニュータウンで先駆的に試みられたことをふまえ、改良したかたちでの計画がなされています。歩いたのは一部分にすぎませんが、実際に泉北ニュータウンを歩いて、このことを感じました。

徹底した歩車分離
千里ニュータウンの後期に開発された住区(新千里北町と、それ以降に開発された新千里東町、新千里西町、新千里南町、竹見台、桃山台)では住区内に歩行者専用道路が計画され、歩行者が車を出会わずに歩けることが考えられました。
泉北ニュータウンでもこの試みが継承されており、緑道と呼ばれる歩行者専用道路、車道の上を通る橋がもうけられています。

住区境界に配置された近隣センター
近隣住区論に基づいて計画された千里ニュータウンにおいて、近隣センターは各住区の核として計画されました。千里ニュータウンでは近隣センターは住区の中心付近に配置されましたが(佐竹台と高野台には近隣センターとサブ近隣センターの2つが配置。ただし、佐竹台のサブ近隣センターは既に閉鎖)、1つの住区に1つの近隣センターだと規模がどうしても小さくなるため、集客力に欠ける。そこで、千里ニュータウンの後期に開発された竹見台・桃山台では、両住区にまたがるように近隣センターが配置されています。
泉北ニュータウンでも、槇塚台の近隣センターは、槇塚台と晴美台をまたぐように配置されている。近隣センターの中央を住区間の幹線道路が通り、2階レベルの歩道によって両側の店舗が結ばれている。これは、竹見台・桃山台での試みが継承されたものだと言えます。

なお、近隣住区論を提唱したクラレンス・A・ペリーは「近隣住区の原則」の1つとして「地域の店舗——サービスする人口に応じた商店街地区を、1か所またはそれ以上つくり、住区の周辺、できれば交通の接点か隣りの近隣住区の同じような場所の近くに配置すべきである」をあげています(*クラレンス・A・ペリー(倉田和四生訳)『近隣住区論:新しいコミュニティ計画のために』鹿島出版会 1975年)。千里ニュータウンの竹見台・桃山台、及び、泉北ニュータウンの試みはこの原則に忠実なものだと言えます。

住区境界に配置された店舗
上に書いた通り、千里ニュータウンは住区の中心部に近隣センターが配置されたため、基本的に住区間の幹線道路沿いには店舗はありません。それに対して、泉北ニュータウンでは、例えば、槇塚台と茶山台の境界に店舗が配置されているのを見かけました。これも、クラレンス・A・ペリーの「近隣住区の原則」に忠実なものだと言えます。

このように千里ニュータウンを念頭に置きながら、泉北ニュータウンを実際に歩いてみると、日本におけるニュータウンの計画論が改良されながら受け継がれてきた歴史を垣間見ることができます。