『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ブロックチェーンとまちの居場所:自立分散的な社会の実現

最近、ドン・タプスコット、アレックス・タプスコット(高橋璃子訳)『ブロックチェーン・レボリューション:ビットコインを支える技術はどのようにビジネスと経済、そして世界を変えるのか』ダイヤモンド社 2016年を読みました。社会のあり方を大きく変え得る技術が生まれつつあることに驚かされました。
サブタイトルにあるビットコインに対しては、犯罪に使われる仮想通貨とうようにあまり良いイメージを持っておられない方もいるかもしれませんが、この本はビットコイン自体についてではなく、ビットコインの背後にあるブロックチェーンと呼ばれる技術について書かれたものです。

この本の中では、現在のインターネットが「情報のインターネット」であるのに対して、ブロックチェーンは「価値とお金のインターネット」だと表現されています。
現在のインターネットでやりとりされている情報は、その情報が信頼できるか否かをネットワーク自体が有していない。だから、信頼性を担保する「第三者」が必要とされる。例えば、インターネットで買い物をして支払いをする場合、支払いはクレジットカード会社や銀行が「第三者」となることによって保証している。ただし、これは逆を言えば監視されているということでもある。「第三者」は信頼性を担保するという目的のために、数多くの情報(プライバシー)を収集することにより、ネットワークの中心として大きな力を有することになる。
一方、ブロックチェーンでは、そこでやりとりされている情報の信頼性をネットワーク自体が有するような仕組み。だから、クレジットカード会社や銀行に保証してもらう必要なく、そこでやりとりされている価値・お金の信頼性が担保される。情報を収集し、ネットワークの中心として力を持つ「第三者」が存在する必要がなくなり、「僕からあなたへと直接、安全に、銀行やカード会社を介さずに、お金を送ることができる」ため、自立分散的な社会が実現される。技術的にも(具体的な技術は理解できていませんが)情報を一元管理するサーバーは不要で、P2P(Peer to Peer/ピア・トゥ・ピア)のネットワークの中に価値・お金が書き込まれる。
ブロックチェーンとは価値・お金を、誰かに保証してもらう必要もなく、監視される恐れもなく、自由に、安全にやりとりするための技術。この技術は、中央への依存を不要にし、自立分散的な社会の実現につながる。

興味深買ったのは、Uber(ウーバー)、Airbnb(エアービーアンドビー)はブロックチェーンとは異なるという指摘。一般の人が自家用車を使って有償の送迎を行える仕組みであるUber(ウーバー)、一般の人が自分の部屋や別荘を貸し出セル仕組みであるAirbnb(エアービーアンドビー)は、一般の人が、使っていない自身の資源をサービスに転用できるというシェアの思想を体現したサービスとして話題になっています。ただし、いずれもUber(ウーバー)やAirbnb(エアービーアンドビー)という会社が情報を一元管理しているという意味で、ブロックチェーンではないと。ブロックチェーンを使えば、Uber(ウーバー)やAirbnb(エアービーアンドビー)という会社が存在しなくても、同じことが実現されるのだと。

この本の中では、「ブロックチェーン革命の要となる7つの原則」として以下が挙げられており、興味深いキーワードが並んでいます。

  • 原則1 信頼:嘘をつかないネットワーク
  • 原則2 権力:力の集中から分散へ
  • 原則3 インセンティブ:利己的な行動が全体の利益になる
  • 原則4 セキュリティ:不正のできないプラットフォーム
  • 原則5 プライバシー:個人情報のブラックボックス化
  • 原則6 権利:スマートコントラクトによる明確化と自動化
  • 原則7 インクルージョン:格差を解消するデザイン

中央への依存を不要にし、自立分散的な社会を実現するブロックチェーンという技術。この本を読み、「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ、地域の茶の間など)と呼ばれる近年日本で生まれている動きとも親和性があるかもしれないという印象を抱きました。

日本では2000年頃から「まちの居場所」が各地に、同時多発的に開かれています。「まちの居場所」が従来の施設と違うのは、一律の基準に則って開かれ運営されているわけでなく、思いを抱いが人々によって試行錯誤により地域に密着した運営がなされていること。現在社会における自立分散的な動きの1つだと言えます。
「まちの居場所」の運営に関わらせていただいたり、調査・見学させていただいたりして気づくのは、「まちの居場所」と行政との関係はどうあるべきか? が大きな課題になっていること。実際、自分自身が「この場所は行政とどう関わっているのか?」という質問受けることもあります。

何故、「まちの居場所」が行政との関わりを問われるのかと言えば、行政には以下の2つの役割があると考えられているからだと思います。
①質を維持する役割:民間に任せていれば質が低下する恐れがある。そのため、行政が基準をもうけることで、質をコントロールする必要がある。
②運営資金を提供する役割:「まちの居場所」は、現在の社会では儲からない活動であり、ボランティアに頼っていることも多い。また、(積極的に)儲けを生む活動からは漏れ落ちた部分を補完している場所もある。さらに、地域活動はボランティアで行うべきという考えもまだまだ根強い。これらのことから運営資金を自力でえることは困難であるため、(一定の質を満足することを条件として)行政が補助金として運営資金を提供する必要がある。

自立分散的な動きとして生まれてきた「まちの居場所」と、中央としての存在である行政との関係を築くことは簡単ではない。けれども、「まちの居場所」を各地広げていく(スケールアップする)ためには行政の関与が不可欠。ここから制度化につながっていくわけですが、宅老所を制度化した「小規模多機能ホーム」が、コミュニティ・カフェ等を制度化した「通いの場」が、元々の宅老所、コミュニティ・カフェ等が狙っていたものを十分にできているかは、きちんと問うべき点であることは確か。また、補助金をもらうと運営の自由度がなくなるため、地域の課題に柔軟に対応できなくなるという声を聞くこともあります。

「まちの居場所」と行政との好ましい関係とは何か? これは非常に大きな課題になっています。
ブロックチェーンはこの課題を乗り越えることを可能にしてくれるのではないか? つまり、自立分散的な動きとして生まれてきた「まちの居場所」が、行政という中央に依存することなく、自立分散的なままで成立するような仕組みを実現することは可能か? とと考えてみたくなります。
今は抽象的なことを書く力しかありませんが、行政に質を担保してもらわずとも、それぞれの「まちの居場所」自身が質の高い場所を実現しているという信頼関係(ネットワーク)に基づき、価値・お金を循環させる仕組みが実現したならば、行政は「まちの居場所」の質をコントロールする必要もなく、補助金としてお金を分配する必要もなくなる。自立分散的な「まちの居場所」が、中央としての行政とどう関わるかという問いは意味を持たなくなる。

社会のあり方が変わるとは何か? それは、今は切実なものと捉えられている課題を解決するものではなく、課題に対する問いをずらすことで無意味なものにしてくれるもの。具体的な姿はまだよくわかりませんが、ブロックチェーンは、間違いなく社会のあり方を変える技術になっていくような気がしています。