『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

海からの視点をとった津波対策

明日(2017年10月1日)、大船渡市末崎町ではマダコの口開け(解禁日)。東日本大震災の後、仮設住宅にお住まいだった方も明日のマダコ漁には出るとのこと。少し前、仮設住宅にお住まいだった別の方からも、「津波にやられたけど、やっぱり海」だという話を聞いたことがあります。
別の方からは、「太平洋銀行」という表現を聞いたこともあります。この表現には、末崎町が面する海(太平洋)は富の源泉だという意味が込められています。

津波で家を流され、仮設住宅での住まいを余儀なくされたにも関わらず、その後も海に関わりを持ちながら暮らされている話を伺い、海とともに暮らすとはこういうことかと思わされました。
津波対策として建設されている防潮堤は、海を危険な場所だと想定し、「危険な場所である海」と「守るべき場所である陸」の間に壁を作ることで両者を分離しようとするもの。けれども海とともに暮らしている方々にとって、海と陸とは切っても切れない関係にあり、海は危険な場所であると同時に、恵みをもたらす場所でもあるということが忘れられているのではないか、とも思わされました。

防潮堤について次のような話を聞いたこともあります。養殖をされている方に、漁をしている時に地震が起こり、津波が発生したらどうするのかと聞くと、陸に上がって高台に逃げるとの返事。漁をしている場所から陸まで、船で何分くらいで到着できるかは頭に入っていると。けれども、防潮堤が完成し、水門を閉じてしまったら船が通れなくなるので、漁をしている人が陸にあがれなくなる。それを問題視する意見もあるという話でした。

もちろん、防潮堤もある場面では有効かもしれません。けれども、上に書いたように防潮堤とは危険な海から、陸をいかに守るかという思想によって建設されているもの。防潮堤には、海は恵みの場所でもあること、海で漁をしている人も津波から避難する必要があることという思想は見られないという意味で、あくまでも陸側からの視点をとった津波対策であることは忘れてはならない。

マダコの口開けの話を伺い、津波対策のあり方について色々なことを考えさせられました。