1.コミュニティのための場所
ワシントンDCの北東およそ20Kmのところに、グリーンベルトという街がある。F.D.ルーズベルト大統領によるニューディール政策によって作られたニュータウンで*1)、入居が始まったのは1937年。既に、70年以上の歴史をもつ*2)。タウンセンターは、大統領の生誕100周年を記念し、1982年にルーズベルト・センターと名付けられた。ここに、ニューディール・カフェ(New Deal Café)という場所がある。
グリーンベルトにはまちびらき当初の住宅が今も残されている
ルーズベルト・センター
グリーンベルトには、人々がおしゃべりしたり情報交換したりできる場所として、食料雑貨店の通路やガソリンスタンドぐらいしかなく、そこは落ち着いて議論したり、チェスをしたりできるような場所ではなかった*3)。だから、地域の人々が集まれる場所が欲しい。ニューディール・カフェは、このように考えた何人かの人々の思いをきっかけとして生まれた。
カフェは、毎日休むことなく昼前から夜まで、週末には深夜まで運営されている。ルーズベルト・センターの広場に面した東側のスペース(フロント・ルーム)に25席程、ライブのステージとバーのカウンターがある西側のスペース(バック・ルーム)に50席程。広場に面してたテラスに20席程もうけられている。椅子は寄付されたもので、高さや形、色は様々である。「この方が気軽に入りやすいんだよ。椅子が同じものに統一されていたら、お高くとまっているようで、入りにくいだろ」。現在、シェフ兼マネジャーを努めるカリム(Karim)さんはこのように話す。
東側のフロント・ルーム
東側のフロント・ルーム
西側のバック・ルーム
広場に面したテラス席
カフェにやって来るのはお年寄りが中心だが、子連れの家族がやって来ることもある。やって来た人々は飲物や食事を注文し、おしゃべりしたり本を読んだりして過ごしている。無料で無線LANが利用できるため、パソコンを持ちこむ人もいる。様々なグループの集まりの場所にもなっており、例えば小さな子どもをもつ父母のグループ(Greenbelt Mamas and Papas)や、スペイン語会話のグループ等が定期的に集まりを開いている。また、「こんなのがあったらいいわよね」というカフェでの友人同士のおしゃべりをきっかけとして、ルーズベルト・センターでファーマーズ・マーケットが行われるようになった*文1)。
カフェは音楽やアートに触れることのできる場所でもある。音楽のライブはほぼ毎日のように行なわれており、出演するミュージシャンはプロも含めて50にも及ぶ*4)。毎月第3日曜日には、17歳以下の子どもが歌、楽器の演奏、ダンス、詩の朗読などを行なうイベント(Kids’ Open Microphone)、毎月第3月曜日には環境や社会正義をテーマにした映画を鑑賞し、そのテーマについて議論するイベント(Reel and Meal)も行われている。店内の壁は作品展示のために開放されており、月替わりで地域のアーティストの作品が展示されている。
店内では無料で無線LANが利用できる
毎日のように行われる音楽のライブ
壁は作品展示の場となっている
ファーマーズ・マーケット
地域の人々が気軽に訪れ、思い思いに居られる場所。音楽やアートに触れることのできる場所。グループで活動するための場所。ニューディール・カフェはコミュニティのリビングルームだという人もいる。
- オープン:1995年12月
- 運営日時(※2010年4月現在):
・月曜 11:00~15:00
・火曜~木曜 11:00~21:00
・金曜・土曜 11:00~23:00
・日曜 10:30~20:00 - 運営場所:
・1995年12月~:コミュニティ・センター
・2004年4月~:ルーズベルト・センター - 運営に関わる主体:
・協同組合(New Deal Café Co-op)
・カリム(Karim)さん:マネジャー兼シェフ
・Friends of New Deal Café Arts
(FONDCA):音楽・アートを担当
2.協同組合による運営
カフェを運営する主体は200人ほどのメンバーが出資する協同組合(コウオプ, Co-op)であり、メンバーの中から選挙によって選出される5人の理事(Board of Directors)が運営に携わっている。Wikipediaに消費者協同組合として運営されているレストランのレアな事例だと紹介されているように*文2)、このような場所は珍しい。しかし、「グリーンベルトの人々にとって、協同組合は単なるビジネスの形態ではなく、利益を分け合うための方法、つまり、近隣の人々と関わるための新たな方法だったのである」*文3)と述べられているように、グリーンベルトにおいて協同組合はなじみ深いものであり、入居当初から趣旨に賛同する人々が出資して協同組合を立ち上げ、自分たちが必要とする場所や、活動、ビジネスを自らの手で運営してきた歴史がある。今でも、カフェに加えて、信用金庫、地域新聞、保育園、スーパー・マーケット、および、住宅・住宅地を管理する組織であるグリーンベルト・ホームズの6つの協同組合が存在する。
3.オープンから今日までの経緯
1994年、カフェを作ろうと言い始めた何人かの住民が、地域の人々に自分たちの思い描く場所の魅力を伝えるため、そして、地域の人々が何を求めているのかを確かめるため、オープン・ハウスとして1日だけカフェを運営した*文4)。このオープン・ハウスには600人もの人々が集まり、大盛況に終わった。
1995年12月、ルーズベルト・センターの少し西にあるコミュニティ・センターにオープン*5)。ルーズベルト・センターにフルタイムのカフェを開きたいという思いはあったが、場所が確保できず、コミュニティ・センターで金・土曜の夜のみ運営するというかたちでのスタートであった。当時のメニューはコーヒー、紅茶、クッキー、マフィン等。きちんとした厨房もなく、シェフもいなかったため、料理の得意な人がクッキーやマフィンを焼いて持って来たり、音楽の得意な人が店内で演奏するなど、様々な人々がそれぞれのやり方でボランティアとして運営に協力していた。その後、2000年4月にルーズベルト・センターの空き店舗(フロント・ルーム)に移転し、念願のフルタイムのカフェとして再オープン。3食が提供されるようになった。そして2005年10月には、ビデオ店だった西側のスペース(バック・ルーム)も併せて借りることで広さが2倍になった。
コミュニティ・センター
オールド・グリーンベルトの中心部
このように書くと、順風満帆であると思われるかもしれないが、運営がいつも順調だったわけではない。運営資金の問題等でカフェを閉めてしまおうという声は何度もあがり、運営時間が短縮されていた時期もある。カフェの音楽を担当しているレイモンド(Raymond)さんは、「ここは個人的なビジネスではなく、協同組合によって運営されている。だから、問題が生じたんだよ。協同組合のメンバーは200人もいるけれど、誰もビジネスのやり方を知らなかったんだ」と話す。続けて、「でも、彼(カリムさん)はビジネスのプロだよ」と。
カリムさんをシェフ兼マネジャーに迎え、カフェは2008年6月から新たな一歩を踏み出した。それまでは充分な厨房設備もなかったが、この時に厨房も整備された。「私が来た時、このカフェは閉店しかかってたんだ。私は、ビジネスを助けるためにやって来たんだよ」。カリムさんがこう話すように、現在、レストラン部分はカリムさんによりビジネスとして運営されている。また、カフェで行なわれている音楽のライブやアートの展示は、2002年に結成されたFONDCA (Friends of New Deal Cafe Arts) というNPOのボランティアが担当している。しかし、今でもカフェが協同組合として運営されていることに変わりはない。協同組合のメンバーはボランティアとして、様々なかたちでカフェをサポートしており、2009年1月には協同組合の運営によりバーが始められている。
ハロウィンの仮装行列で子どもたちにキャンディを配るカリムさん(右)
4.姉妹カフェ
「こんな場所があったらいいのにな」という地域の人々の思いをきっかけとして、ニュータウンの空き店舗に開かれた場所であること、人々が気軽に集まり、思い思いに居られる場所になっていること、ありあわせの家具でしつらえられていること、そこから新たな活動が生まれていること。これらは本書で紹介している千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」とそっくりである。
ニューディール・カフェで「ひがしまち街角広場」の写真をお見せしたところ、みなの口々から「Sister Café(姉妹カフェ)だ」という言葉。アメリカのニュータウンにも「ひがしまち街角広場」にそっくりな場所があることには驚かされたが、ニューディール・カフェの人々もきっと驚かれたことだろう。
注
- 1)ニューディール政策によって作られた街は、グリーンベルトの他に、オハイオ州のグリーンヒルズ、ウィスコンシン州のグリーンデイルがある。ニューディール政策の推進にあたっては、イギリスのガーデンシティ・レッチワースの設計者の1人であるレイモンド・アンウィンがアメリカに招かれた。アンウィンは1936年から40年までコロンビア大学建築学科の教授をつとめている。
- 2)現在、この地区はオールド・グリーンベルトと呼ばれており、周囲に開発された地区とあわせてグリーンベルト市に含まれる。タウンセンターはオールド・グリーンベルトにある。
- 3)ニューディール・カフェのウェブサイトより。
- 4)ニューディール・カフェのウェブサイトの「Performer Directory」のページには、2010年4月時点で、47のミュージシャンが掲載されている。
- 5)コミュニティ・センターの建物はかつて小学校であり、1996年からコミュニティ・センターとして利用されている。
- 6)持参した「ひがしまち街角広場」の写真を、ニューディール・カフェそっくりの場所として、グリーンベルトの地域新聞に掲載していただいた。
参考文献
- 文1)Greenbelt Farmers Market Newsletter (Premier Edition), 2008.04
- 文2)http://en.wikipedia.org/wiki/New_Deal_Cafe
- 文3)Heather Elizabeth Peterson, An Unofficial History of the Greenbelt News Review, March 17, 1999
- 文4)New Deal Cafe Open Sat. Nov. 5 Only, Greenbelt News Review,1994.11.03
- 田中康裕, 若林可奈「コミュニティを媒介するカフェとファーマーズ・マーケット」・『BIO-City』no.41, 2009
- Mary Lou Williamson, Greenbelt: History of a New Town, 1937-1987 (New 1997 Edition Including the Sixth Decade, 1987-1997), Donning Co. Publishers, 1997
- Cathy D. Knepper: Greenbelt, Maryland: A Living Legacy of the New Deal, Johns Hopkins Univ Pr, 2001
- 森田芳朗, 松村秀一「米国グリーンベルトホームズにおける居住環境の運営形態とその変化-ハウジングコウオペラティヴにおける法人と居住者間の権利関係調整手法に関する事例分析-」・『日本建築学会計画系論文集』No.619, pp.1-7, 2007.09
- 森田芳朗「グリーンベルトタウン-その持続可能なコミュティの現在」・『BIO-City』no.41, 2009
*この記事は日本建築学会編『まちの居場所:まちの居場所をみつける/つくる』(東洋書店 2010年)の「アメリカのニュータウンで見つけたコミュニティ・カフェ」に一部加筆したものです。