『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

地方に人を呼ぶための暮らしの体験・仕事・住まい

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今日、「居場所ハウス」にて、地域の方、大船渡市役所の派遣職員の方と、「復興が終わった後にも大船渡に、末崎町に人が来てもらうためには?」という話をしていました。

これからますます少子高齢化が進む地方では、どうやって人を呼び込むかは切実な課題。現在は復興のため多くの人々が大船渡に来られています。けれども復興が一段落し、復興の関係者が帰っていった後、どのぐらいの人が再び大船渡を訪ねてくれるのか? このようなところから話は始まりました。

派遣職員の方の意見では、派遣職員も職場(市役所)以外の地域に知り合いがいれば、地元に帰った後もまた大船渡に遊びに来てくれる可能性はあるかもしれない。けれども、家と職場の往復だけで地域に知り合いがいなければ、つまり、大船渡が単なる仕事場にしかなっていなければ、派遣期間終了後にわざわざ高い交通費、宿泊費を払ってまで遊びに来てくれないだろうということでした。
現在、どの市町村でも少子化対策がなされているため、ちょっとやそっとの対策では、若い人を大船渡に呼び込むことはできない。では、どうすれば大船渡に、あるいは、末崎町に人を呼んでこれるのかという話をしていましたが、その話を「暮らしの体験」「仕事」「住まい」の観点に整理してみました。

暮らしの体験

サンマは大船渡の特産品の1つです。けれども、「サンマを食べるためだけに、東京からわざわざ人が来るわけではない」という意見はもっともです。東京から大船渡に来る交通費、宿泊費のことをことを思えば、それよりもはるかに安い値段でサンマを食べることができます。
大船渡市の花は椿。これは大船渡が藪椿が自生する太平洋沿岸の北限の地であることに由来しますが、市内には藪椿の群生があるわけでもなく、大船渡に来たからといって藪椿を感じることができるわけでもありません。

遠くからわざわざサンマを食べにくる人はいない、市の花である藪椿を感じることができない。サンマ、藪椿は確かに大船渡市にとって大切なもの。けれどもそれを商品として提供するだけでは、人が来てくれるわけではありません。商品として提供するだけでは、それはいずれ消費されてしまう。だとすれば、「大船渡に来なければ体験できない」という暮らしの体験を提供するという視点が不可欠だと思います。

今日の話では、巾着田の彼岸花の群生(埼玉県日高市)、江月水仙ロード(千葉県鋸南町)が例として出されました。写真は何年か前に巾着田を訪れた時に撮影したものですが、あたり一面に咲く彼岸花を見るため、多くの人々が来られていました。もし大船渡にも見渡す限りの藪椿の群生を見ることができたなら、遠くからでも行ってみようという人は出てくると思います。

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椿の群生は確かに魅力的ですが、個人的には次のように考えています。末崎町において椿は、油をとったり、家の防風林であったりと、暮らしに密接に結びついていたもの。だから、暮らしとセットで椿を感じるようにするという考え方も大切。藪椿の群生が暮らしと切り離されたものであれば、それもまた商品として消費されてしまうテーマパークになってしまう恐れがある。そのためには、例えば末崎町内にある藪椿の古木をマッピングしたマップを作って、椿の古木を巡るまち歩きツアーを企画。場合によっては、その家の人が、藪椿にまつわる思い出などを庭先で聞かせてくだされば、暮らしの歴史の継承にもなるのではないかと思います。

末崎町はワカメ養殖発祥の地ですが、現在はワカメを商品として提供するにとどまっている。ここにも暮らしの体験というアイディアをいかすことはできるかもしれないという話も出されました。ワカメの収穫に限らず、農作業、草刈り、薪割りは大船渡の人々にとっては仕事の1つ。けれども、都会の人にとっては田舎の暮らし体験になるという逆転の発想をするのはどうか。都会の人に向けて、田舎の暮らしを体験するというツアーがあれば、喜んで参加してくれる人がいるのではないか。いずれにしても、現地に来なければ体験できない暮らしの体験を提供することがポイントになります。

仕事

人を呼ぶには仕事が大切だというのは特に目新しいことではありません。今日の話の中では特に目新しいアイディアが出されたわけではないのですが、末崎町の気候の魅力をアピールすることはできると思います。
大船渡市は、あるいは、末崎町は「岩手の湘南」と呼ばれています。東北でありながら海流の影響で積雪はほとんどありません。冬が暖かいというのは、東北の中では大きなポイント。

しかし、個人的には、末崎町の夏の涼しさも大きな魅力になると思います。暑い日があるものの、海風があるため「居場所ハウス」ではエアコンなしで心地よく過ごすことができます。もちろん、夜寝る時のエアコンは不要。エアコンがなければ過ごせない都会の人にとって、エアコン無しで生活できるというのは天国のような土地。「快適な環境で夏場の仕事がはかどる」というのは、仕事をする人にも訴えかけるポイントではないかと感じます。今日、話をしていた派遣職員の方は「岩手の湘南」ではなく「岩手の軽井沢」と呼ぶべきではないかと提案されており、この意見はもっともだと思います。湘南と軽井沢を合わせて「夏の軽井沢、冬の湘南」をアピールするのはどうかと思いました。

住まい

人を呼び込むにあたり、仕事と同じくらい重要なのが住まい。これも特に目新しい考えではありませんが、大船渡に、末崎町にある空き家を上手く活用することは大切です。
空き家を所有している人にとっても、誰かに住んでもらって、風を通してもらうだけでも意味あること。さらに、若干の家賃収入があれば言うことはありません。けれども「貸したら、返してもらえなくなるかもしれない」、「どこの誰かわからない人に家を貸すのは嫌」という不安があり、空き家を貸すためのハードルもあります。一方、空き家を探している人も、地域にツテがなければ、そもそも空き家を探すのは容易ではありません。

このような時、市役所なのか、地区公民館なのか、あるいは地域のNPO法人なのかわかりませんが、信頼のおける人が窓口となり空き家を探している人と、空き家を所有している人のマッチングを行うと同時に、空き家のメンテナンス、万が一のトラブルへの対応などの業務を担えればいいのではないかという話をしていました。そして、こうした窓口自体が、地域に新たな仕事を作り出すことにもなります。

これからの日本は少子高齢化がさらに進み、家余りの時代に突入していきます。こうした時代においては「自分の家は1つ」という固定観念を崩していく必要があるのかもしれません。もちろん、今までも別荘を持っていた人はいました。けれども、別荘はあくまでも余暇を過ごすための第二の家。そうではなくて、いずれの家も仕事の場であり、余暇を過ごすための場でありというように、メインの家と別荘という区別をなくすというように考えていく必要があるのではないか。農業、林業、漁業への回帰と、TI技術の普及によりどこにいても仕事ができるという環境が整ったなら、これは現実的にあり得る可能性だと思います。

メインの家と別荘という区別がなくなったとすれば、もしかしたら住民票や選挙という制度も変える必要があるかもしれません。現在は住民票をおいているところでしか選挙権を持てませんが、メインの家と別荘とが同列になれば、どちらの地域においても選挙権を持てるというようにしてもよいのではないか(例えば東京都に0.5票、大船渡に0.5票分の選挙権をもてる)。今はあり得ない滑稽な話でも、いずれ検討する余地のある課題として浮かび上がってくる可能性があるのではないかと思います。