『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

サードプレイス(第三の場所)のコミュニティ構築機能

レイ・オルデンバーグは『サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(みすず書房, 2013)において、十九世紀のドイツ系アメリカ人のラガービール園、戦前の田舎町のアメリカにあった「メインストリート」、イギリスのパブやフランスのビストロ、アメリカの居酒屋、イギリスとウィーンのコーヒーハウスなどの「インフォーマルな公共の集いの場」を第一の家、第二の職場に続く「サードプレイス」(第三の場所)と呼んでいます。
レイ・オルデンバーグによれば「サードプレイスというのは、家庭と仕事の領域を超えた個々人の、定期的で自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、さまざまな公共の場所の総称」(p59)。
その特徴として「中立の領域に存在し、訪れる客たちの差別をなくして社会的平等の状態にする役目を果たす。こうした場所のなかでは、会話がおもな活動であるとともに、人柄や個性を披露し理解するための重要な手段となる。サードプレイスはあって当たり前のものと思われていて、その大半は目立たない。人はそれぞれ社会の公式な機関で多大な時間を費やさなければならないので、サードプレイスは通常、就業時間外にも営業している。サードプレイスの個性は、とりわけ常連客によって決まり、遊び心に満ちた雰囲気を特徴とする。他の領域で人びとが大真面目に関わっているのとは対照的だ。家とは根本的に違うたぐいの環境とはいえ、サードプレイスは、精神的な心地よさと支えを与える点が、良い家庭に酷似している」(p97)ことがあげられています。

2000年頃から、日本ではコミュニティ・カフェ、地域の茶の間、まちの縁側などの「まちの居場所」が同時多発的に開かれていますが、サードプレイスは近年の日本の地域における動きを捉える上でも非常に重要な概念。その中には実際に、家でも職場でもない「第三の居場所」をコンセプトとしている場所もあります。

レイ・オルデンバーグは『サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』の「第二版へのはしがき」において、サードプレイスは「あらゆる人を受け入れて地元密着であるかぎりにおいて、最もコミュニティのためになる」とした上で、サードプレイスがもつコミュニティ構築機能をあげています。
あげられているコミュニティ構築機能は、「近隣住民を団結させる」、「融合」、「仕分け場」、「中間準備地」、「顔役」(パブリックキャラクター)の提供、「若者と大人を一緒にくつろがせ、楽しませる」、互助、ストレスの「棚上げ」、楽しさ(娯楽)、車に乗らずに家から出られる、「コミュニティへの帰属意識をもたらす」、「政治討議の場」、「知的討論の場」、「執務室」(オフィス)。それぞれの機能は次のように説明されています。

サードプレイスがもつコミュニティ構築機能

  • ※以下のコミュニティ構築機能は『サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』の「第二版へのはしがき」(pp.11-32)の記載内容を整理したもの。

「近隣住民を団結させる」

サードプレイスの「一番大切な機能」。サードプレイスは「事実上あらゆる人が利用するので、じきに、誰もがみんな知り合いであるような雰囲気が生まれる」。重要なことは「あらゆる人を知っていることであり、そのみんなが福祉全般にどれほど多様なものを足し引きしているかを知ることであり、さまざまな問題や危機に直面したとき彼らがどんな貢献をできるかを知ることであり、彼らにどんな感情をいだいているかに関わらず、近隣に住む誰とでも仲良くやってゆくすべを身につけること」。この意味でサードプレイスは「ミキサー」の役割がある。

「融合」

サードプレイスは「来訪者の「通関手続き地」の役割を担い、新入りが古株の多くに引き合わせてもらえる場所として役に立つ」。

「仕分け場」

サードプレイスでは「誰でも好きなときに来て好きなときに帰ればいいし、誰の世話にもならない。そしてしまいには近所に住む人全員を、じかに会うか噂に聞くかして、知ることになる」。そのため、サードプレイスは「最初に人を呼び集めるうえで役立つことが多く、こうして集まった人びとのなかから、のちに別のかたちのつきあいが生まれる」ことにつながっていく。
また、サードプレイスを通して「近隣住民の技能と能力と態度に関する全般的な理解」を得ることができるため、「共同作業で役立ちそうな能力にもとづいて人びとを仕分けするうえで役に立つ」。

「中間準備地」

暴風雨などにより地元が危機におちいる時、サードプレイスは「被害の深刻さと広がりに関する情報や、どんな対策がとられているかの情報を得」たり、「どうしたら協力したり援助を求めたりできるかを知る」ことができる場所にる。

「顔役」(パブリックキャラクター)の提供

サードプレイスは、「その界隈の出来事に「目を光らせ」ている商店主か経営者」のように「近所のあらゆる人を知っていて、近所のことを気にかけている人物」を提供する。

「若者と大人を一緒にくつろがせ、楽しませる」

「最も崇高でありながら、もはやどこでもほとんど実現されなくなった」サードプレイスの機能。「子どもたちを知っていて、見守るだけでなく、嫌な顔ひとつせず周囲で遊ばせてくれた近所の人びとに、親が大いに助けられていた」ように、サードプレイスは子育ての助けとなる。また、「退職した人びとが現役の人びとと接触を保つ手段や、うまくすれば、いちばん古い世代がいちばん若い世代と交流する手段を提供する」という意味で高齢者のためにもなる。

互助

「サードプレイスの常連は、血縁者や旧友にそうするように、「お互いのためになることをする」。もう要らなくなったものをあげる。まだ必要なものは貸す。「仲間の一人」が苦難に見舞われたら、それを和らげるために自分のできることをする。誰かが二日ばかり「姿を見せ」なければ、誰かが様子を見に行く」。このようにサードプレイスでは「あらゆる「互助会」で実践されていること」が行われる。

ストレスの「棚上げ」

「友人がたくさん集まっているところには、たびたび笑いが沸き起こる。みんなといるときには、競争に勝つことや、日常世界の気力を奪うストレスは「棚上げ」にされる」。そして、「一個人が大勢の友人をもち、その友人たちをたびたび誘うことができるのは、毎日のように通うことができ、会合の主催地になるような場所がある場合にかぎられる」。

楽しさ(娯楽)

サードプレイスにおける楽しさは、一人で与えられるがままに受け取る「産業に堕してしまった」娯楽ではない。サードプレイスでは「そこにいる人びと自身が娯楽の提供者」であり、その娯楽は「情熱的だったり呑気だったり、深刻だったり機知に富んでいたり、有益だったりくだらなかったりと、さまざま」な会話によって支えられる。

車に乗らずに家から出られる

歩いていけるサードプレイスがあれば、車に乗らずに家から出ることができる。
「コミュニティへの帰属意識をもたらす」
「公式組織が一般に、同じ考えや似たような興味の持ち主を呼び集めるのにたいして、サードプレイスはあらゆる人間を受け入れる」。そのようなサードプレイスにおいて「どうにか「みんなと仲良くやっていく」ことができる人びとは、それを自分自身と集団自体の両方のプライドの問題と見なす」。

「政治討議の場」

「カフェのなかで、労働者たちは共通の問題を語り合い、自分たちの集団の力に気づき、ストライキなどの戦略を練った」のであり、「人びとが集まり、そして、議論の途中でしばしば国に統治者のあらさがしをした場所は、ほかならぬコーヒーハウスだった」。

「知的討論の場」

サードプレイスでは政治だけでなく、「哲学、地理学、都市開発、心理学、歴史などさまざまな話題が俎上に載せられる」。サードプレイスにおいては「誰もがそこそこの知識人であり、サードプレイスの常連がおおかたの人より知的なのは、批判者たちの前で自分の考えを披露するから」である。「イデオロギーや「政治的公正」や弱い者いじめの上に成り立つ例の連合とちがって、サードプレイスの集まりでは、誰かの考えに「無理やりつきあわされる」ことはない」。

「執務室」(オフィス)

サードプレイスは「執務室」(オフィス)の代わりになる。サードプレイスは「当事者のどちらか一方の「本拠地」ではなく、どこかの中立的な場」で、「しかもなるべくなら居心地がよくて、堅苦しくない場所」で行う必要のある取引の場所になる。また、ある人々にとって行きつけのサードプレイスは「毎日確実に訪れる唯一の場所」であるため、居場所を特定しやすい場所となっている。


なお、『サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』においてレイ・オルデンバーグは、

  • インフォーマルな公共生活の中核的環境(コア・セッティング)
  • インフォーマルな公共の集いの場
  • サードプレイス(第三の場所)
  • とびきり居心地よい場所(グレート・グッド・プレイス/Grate Good Place)

といういくつかの用語を用いていますが、

  • 「・・・・・・、本稿の残りの部分は、「とびきり居心地よい場所」の本領であるコミュニティ構築機能に充てることにする。たいていの場合、わたしはそのような場所を(第一の家、第二の職場に続く)「第三の場所」と称するが、それらはインフォーマルな公共の集いの場だ。こうした場所は、あらゆる人を受け入れて地元密着であるかぎりにおいて、最もコミュニティのためになる。」(p17)
  • 「気のきいた出来合いの用語がないので、本書では独自の言葉を採用するとしよう。今後は「サードプレイス(第三の場所)」を、「インフォーマルな公共生活の中核的環境」の意味で使うことにする。サードプレイスというのは、家庭と仕事の領域を超えた個々人の、定期的で自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、お楽しみの集いのために場を提供する、さまざまな公共の場所の総称である。この用語は使えるだろう。偏りがないし、簡潔で軽やかだ。三脚台の意義と、その三本の脚の相対的な重要性が前面に打ち出されている。」(p59)
  • 「わたしが望むのは、サードプレイスの生活をめぐる議論が、読者にも似たような影響を与えると同時に、ときどきサードプレイスを「とびきり居心地よい場所」と言い換えたくなるわたしの贔屓目を、読者が許してくださることだ。」(p63)

と述べられているように、これらは同じものを意味する用語として使われていると捉えることができます。


(更新:2018年4月20日)