『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

高齢者を変わり得る存在として捉えること@Ibashoプロジェクトの関わりを通して

高齢者はしばしば生産活動から引退し、役に立たない存在として、介護サービスを受ける弱い存在として見なされます。
これに対して高齢者を様々な経験・知識・技術の宝庫として、言わば仙人のように完成された存在として見なされることもあります。

これら2つの捉え方は、高齢者のある側面を捉えたものですが、あくまでも一側面に過ぎないことを忘れてはなりません。弱い存在としての捉え方にも、逆に、完成された存在としての捉え方にも共通するのは、高齢者を固定された存在と見なしていること。

ワシントンDCの非営利法人・Ibashoは高齢者という概念を変えること、つまり、高齢者が弱い存在と見なされる傾向にある現在社会において、人は何歳になっても自分にできること、自分に得意なことを通して何らかの役割を持ち、地域に住み続けることを目指す活動。
Ibashoは確かに高齢者が活躍できることを目指していますが、Ibashoの提案によって生まれた岩手県大船渡市の「居場所ハウス」、Ibashoが現在進めているIbashoフィリピンIbashoネパールでのプロジェクトへの関わりを通して気づかされたのは、人は何歳になっても新たなことを学べる存在であるということ、高齢者は変わり得る存在であるということです。

自身が身につけた経験・知識・技術を一方的に教えるだけの存在としては、地域に住み続けることはできません。
出会った人や生じた出来事にその都度柔軟に対応していくことが求められる。そしてこれは年齢に関係なく、あらゆる人にとって当てはまることだと考えています。

そして、このことは「高齢者とはこういう存在だ」という固定観念を破ることにも繋がっていく。フィリピンのADB(アジア開発銀行)で開かれたセミナーでは、Ibashoネパールのある男性が、積極的にイヤリング作りをしている話が紹介されました。ネパールでは高齢の男性が座ってイヤリング作りをすることはないが、この男性はその規律を崩し、イヤリング作りに積極的に関わっていると。
高齢者という概念を変えるとは、社会が高齢者を変わり得る存在だと見なせるようになるということではないかと思います。

高齢者が変わり得る存在であるということは、外部からの働きかけにより変えられ得る存在でもあるということ。
ADBでのセミナーにおけるパネルディスカッションで話したことに関連しますが、自身をめぐる状況の変化が、Ibashoに積極的に関わる大きなきっかけになっていることにも気づかされます。例えば、次のような話を聞きました。

  • 家の隣にたまたま「居場所ハウス」ができた(居場所ハウスの男性)
  • 日本に訪問してから積極的に参加するようになった(Ibashoネパールの女性)
  • 自分の技術が周りの人に認識されたことで、積極的に参加するようになった(Ibashoネパールの男性)

Ibashoによるプロジェクトは、外部から地域に働きかけることで何らかのきっかけを生み出していると言えますが、これらの話からは、いずれも外部からの働きかけがきっかけとなり、自身をめぐる状況が変化したことが述べられている。

ADBでのセミナーでは、もし災害がなければIbashoプロジェクトはできないのか? という議論もなされました。実際、「居場所ハウス」は東日本大震災、Ibashoフィリピンは2013年台風30号(台風ヨランダ)、Ibashoネパールは2015年ネパール大震災の被害を受けた地域で行われています。もちろん、災害がなくてもIbashoプロジェクトを行える可能性は否定できませんが、1つ言えることは、災害とは不幸な出来事ですが、高齢者をめぐる状況を変化させる出来事という側面をもつと考えています。