『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

サンディエゴのチカーノ・パーク:ミューラル・アート(壁画)による地域のアイデンティティの継承

チカーノ・パーク(Chicano Park)は、サンディエゴのダウンタウンの南東、バリオ・ロガン(Barrio Logan)という地区にあります。ちょうど、高速道路のインターステート5号線(I-5号線)からコロナド橋(Coronado Bridge)が分岐するところがチカーノ・パークで、高速道路の橋桁を中心に数多くのチカーノにまつわるミューラル・アート(Mural Art/壁画)が描かれています。チカーノとはメキシコ系アメリカ人のこと。

2017年1月、チカーノ・パークは国立歴史的建造物(National Historic Landmark)に指定されましたが、次のように負の歴史を有する場所です*1)。


現在、I-5号線を挟んで北にロガン・ハイツ(Logan Heights)、南にバリオ・ロガン(Barrio Logan)という地区がありますが、かつて両者は一体で、チカーノの人々が住むコミュニティだったとのこと。

1960年代、カリフォルニア州運輸省がここにI-5号線を建設。建設に伴い、約5,000戸の住宅がブルドーザーで強制的に撤去されたということです。補償として、住民はコロナド橋の下の土地を公園にするという約束を取り付けましたが、時間が経過しても公園は実現することはありませんでした。
1970年4月22日、住民は公園にするという約束が反故にされ、敷地が高速道路のパトロールステーションにされることを知ることになります。数百人の地元の住民が集まり、建設を阻止するため、12日間に渡ってこの敷地を占拠。この動きは政府関係者の注目を集めました。市、州の交渉が行われ、1971年にチカーノ・パーク建設が調印されました。

1973年、最初のミューラルが描かれました。1973年に描かれた2つのミューラルは修復され、今でも見ることができます。

これらのミューラルには、1973年に描かれたものであること、その後修復されたものであることが記されています。

公園に描かれているミューラルは、メキシコの神、マリア像など宗教にまつわるもの、チカーノの歴史や暮らし、人物など様々。逃亡を防ぐため、手に鎖をつけられ農作業に従事する人々が描かれたミューラルもありました。
なお、2011~2012年には、連邦政府の資金により約20のミューラルが修復されたということです。

メキシコの神。このミューラルで用いられている赤色は、チカーノの人々に投げつけられたというカラーボールの赤色が用いられたものだとのこと。

描かれたミューラルが「大聖堂」のようと表現されている文章も見かけましたが*2)、橋桁に描かれたいくつもの大きなミューラルに囲まれる感じは確かに「大聖堂」のよう。また、足元に祭壇が設けられたミューラル、足元に写真などが飾られたミューラルもありました。

公園内にはメキシコの国旗の色である緑、白、赤で塗られたテーブル・ベンチや、舞台のような場所もあります。


知り合いから聞いた話では、チカーノ・パークのミューラルを管理する非営利組織は設立されておらず、地元の住民の有志が管理をしているとのこと。地域の住民は公園の清掃をしたり、ミューラルのための資金を出したりしているとのこと。見学している時、高齢の男性、中年の女性が箒で地面を履いている光景を見かけました。公園を管理している住民ではないかと思いました。
なお、公園の近くにはBread & Saltという非営利組織(501(c)3)があり、住民のサポートを行なっているということです。

チカーノ・パークは地域のアイデンティティであり、大人は子どもたちにこの場所の重要性を伝えている。ただし、学校の授業としては取りあげることができないため、地域の中で伝えているとのこと。
地域の誰もがこの場所の重要性を認識しているため、若者の公園のミューラルには落書きをすることがないという話でした。


参考