『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ウォーラー・パーク:サンフランシスコのPOPOSとニューディール政策によるパブリックアート

サンフランシスコにはPOPOSと呼ばれる屋内・屋外の広場が多数あり、非常に魅力的な都市の環境を作っています。POPOSは「Privately Owned Public Open Space」の頭文字をとったもので、民間が所有する土地ですが、法的にパブリックな場所として公開することが要求される空間で、民有のパブリック・オープンスペースという意味。統一されたサインがあり、その場所がPOPOSであることがわかるようになっています(POPOSの詳細はこちら)。

ほとんどのPOPOSはダウンタウンにありますが、ダウンタウンから少し離れたヘイズバレー(Hayes Valley)というエリアで、偶然、POPOSを見つけました。ここで紹介するウォーラー・パーク(Waller Park)です。

ウォーラー・パークに掲示されたPOPOSのサイン(右側)。10月から3月は7時~19時、4月から9月は7時~21時まで開放されているとの記載があります。

東をLaguna St、西をBuchanan St、北をHaight St、南をHermann Stに囲まれた2ブロックが一体となった複合施設となっていますが、ブロックの中央を東西に横切るWaller StがPOPOSとして開放されています。

ブロックは、東のLaguna Stと西のBuchanan Stでは高低差があります(西が高くなっている)。ウォーラー・パークは高低差をいかしてデザインとなっており、階段状のテラス、東側が一望できるテラスがあり、あちこちに座れる場所がもうけられています。設計は「BAR Architects」。

ウォーラー・パークの周りは集合住宅であり静かな場所。訪れたときには座っている人、犬の散歩をしている人、ブロックを通り過ぎていく人を見かけました。

ウォーラー・パークにはいくつかのパネルがあり、この場所にかつてあった建物にまつわる歴史が記されています。この土地にはかつて孤児院があり、後にサンフランシスコ州立大学のキャンパス、さらにその後、カリフォルニア大学バークレー校のエクステンションとして利用されていたということです。

  • 1854年:San Francisco Orphan Asylum Society(SFOA)の孤児院がこの土地に建設
  • 1899年:San Francisco State Normal Schoolが設立
  • 1906年:この年のサンフランシスコ大地震により、Powell StにあったSan Francisco State Normal Schoolの校舎が破壊。San Francisco State Normal Schoolは、孤児院の校舎に移転。San Francisco Orphan Asylum Society(SFOA)は土地をカリフォルニア州にリースしていた
  • 1919年:地震による被害と建物の老朽化のため、San Francisco Orphan Asylum Society(SFOA)はこの土地を売却し、市内の別の場所に新たな孤児院を建設することになった。土地はカリフォルニア州が購入
  • 1921年:San Francisco State Teacher’s Collegeに名称を変更。大学はリベラルアーツのカリキュラ拡充のため高度な施設が必要になった。州の建築家、George B McDougallは、大学総長のFrederic Burkとともにマスタープランを作成。McDougallはマスタープランを、スペイン植民地時代の建築の伝統を持ちながらも、「美しく、堂々として、健康な、そして、効率的な」ものと描写。カナリア椰子である「聖なる椰子」は学生たちにとっての重要な集まりの場所であった。「聖なる椰子」はWoods Hall Annex近くにあったが、2014年、Woods Hallの近くに移植
  • 1924年:Gymnasiumが最初に完成。Gymnasiumは後にMiddle Hallと改名(2013年に取り壊し)。Administrative Wing of Rchardson Hallが、幼稚園の研修施設として完成(2013年に取り壊し)
  • 1926年:サイエンスの建物であるAnderson Hall(現在のWoods Hall)の建設計画が進行
  • 1930年:McDougallの事務所の建築家であるW. B. Danielが、Burk Hall(現在のRichardson Hall)が設計
  • 1935年:公共事業促進局(WPA=Works Progress Administration)の支援を受け、Woods Hall Annexが完成。San Francisco State College(サンフランシスコ州立大学)に名称を変更
  • キャンパスではこのように積極的に建築がなされたが、入学者数は恒常的にキャンパスのキャパシティを超えていた。そのため、1950年代には解体予定の古い建物も残され、利用されていた
  • 1957年:大学はLake Mercedキャンパス(現在のキャンパス)に統合されることになった。その後この場所は、2001年までUC Barkley(カリフォルニア大学バークレー校)のLaguna Extentionとして利用されていた

1935年に完成したWoods Hall Annexの建設を支援した公共事業促進局(WPA=Works Progress Administration)は、フランクリン・ルーズベルト大統領の大統領令により発足した機関で、ニューディール政策における重要な機関です。WPAでは職を失ったアーティストに仕事を提供する事業も行われており、州立大学の校舎にもいくつかのミューラル・アート(壁画)が制作されました。

なお、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策で作られた計画住宅地にメリーランド州のグリーンベルト(Greenbelt)があります。グリーンベルトのコミュニティ・センターの彫刻も、WPAによるプロジェクトとして制作された作品です。


参考