『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

「親戚の家」のような場所(アフターコロナにおいて場所を考える-44)

「居場所ハウス」に初めて来られた方が、十周年記念感謝祭の後片付けを終えて、スタッフらが休憩している様子を見て、「親戚の家」のようだと話されていました。
「親戚の家」という言葉を聞いて、これまで訪れた場所でも同じような表現をされているのを聞いたことを思い出しました。


多摩ニュータウンで、2002年1月に空き店舗を活用して開かれた「福祉亭」では、運営者のTさんから、当初はコミュニティとして「疑似家族」のようなものを目指していたが、「疑似親族」ぐらいの距離のある関係がちょうどよいかもしれないという話を伺いました。

東京都杉並区に2015年3月に開かれた「荻窪家族レジデンス」は、Rさんの「年齢に関わらず人も、犬も、風のように来れる場所を作りたい」という思いから開かれた場所で、血縁という濃密な関係に埋め込まれた存在でも、他者との関わりを持たない孤立した存在でもなく、自立した個人と個人が、地域の人々と家族のような関係を築いていけることが目指されています。

新潟市では、「地域の茶の間」、「実家の茶の間」と呼ばれる場所が開かれています*1)。新潟市の「地域の茶の間」は、会員制の有償の助け合い活動「まごころヘルプ」を立ち上げ、運営ていたKさんらが、1997年7月に始めた「地域の茶の間・山二ツ」が起源*2)。月に1度だけ開かれていた「地域の茶の間・山二ツ」を常設の場所として開いたのが「うちの実家」で、Kさんは「うちの実家」を始めた経緯を次のように振り返っている。

「『地域の茶の間山二ツ』が6年目に入ったある日、参加していたお年寄りの方たちが、『このまま帰らないで泊まりたいね。』と話すのを耳にしました。『なぜ?』とお聞きしたら、『だってもう実家もないし・・・。』『一人で帰れないし、行っても親も、もういないし・・・。』しばらく実家談義で盛り上がりました。『じゃ~実家をみんなでつくろうか?』と手分けして、空き家探しを始めました。おかげで、まもなく理想どおりの家と、家主さんにめぐり合いました。」(常設型地域の茶の間「うちの実家」, 2013)

「うちの実家」は2003年4月から2013年3月まで運営されていましたが、その後、Kさんらは新潟市からの「うちの実家」の再現依頼を受けて、2014年10月に「実家の茶の間・紫竹」が開かれました。Kさんは、次のようなエピソードを話されていました。

「奥様が亡くなられて一人になった方が、『うちの実家』か『山二ツ』〔地域の茶の間・山二ツ〕かどっちかに来られた時にね、こうやってみんな話してる時にただこうやってる〔テーブルにうつぶせになってる〕んですよ。こうやってる姿見た時ね、普通であれば一人で孤独な姿と思うでしょ。傍に行って、聞いたんですね。『お身体、具合悪いですか?』って傍にそっと座って聞いたんですね。『いやぁ、この賑やかなのを自分は楽しんでるんだ』って。子どもの頃、こんなだったって、自分の家が。いっぱい親戚とか集まってね、賑やかで、こんなだったって。『だから今みんなの人の話し声とか、それを味わってるんだ』って男性の方おっしゃったの。あぁ、それもありだなと思うね。ただ、そうすると当番さんたちがやっぱり大事なことは、味わってる人なのか、誰も話をしてくれる相手もいなくて、溶け込めなくて孤独でいるのかの見極めができないといけない。」


近年開かれている従来の施設の枠組みにあてはまらない場所において、血縁関係のある家族ではない、けれども、全くの他人でもない関係が目指されており、そのような関係が親戚と表現されることもある。
親戚という表現は暫定的なものかもしれませんが、このような場所は、人間関係を表現するための語彙を豊かにすることの必要を迫っているように思います。逆に言えば、人間関係を表現するための語彙を豊かにすること抜きにはこれらの場所の価値をすくいあげることはできない、ということになる。

先日、「居場所ハウス」で「親戚の家」のようだという話を聞いて、もう1つ興味深いと感じたのは、この方は「居場所ハウス」に初めて来たということ。初めて来たにも関わらず「居場所ハウス」を「親戚の家」のようだと感じたということは、実際に過ごしている人々についての情報ではなく、「居場所ハウス」で目にした状況が、「親戚の家」と感じるうえで重要だということになります。この方は、「居場所ハウス」内の色々なテーブルで、地域の方々が思い思いに過ごしている様子を見て「親戚の家」のようだと感じたということを話されていました。
このように考えれば、親戚と表現できるような関係を実現するうえでは、人間関係そのものよりも、人々がどのように過ごせる場所なのか、それが周りからどのように見える場所なのかが重要ということになります。だとすれば、場所をテーマとして扱う建築学(建築計画学)もこの分野に対して貢献できることがあるように思います。


■注

  • 1)「地域の茶の間」、「実家の茶の間」の詳細は、田中康裕(2021)を参照。
  • 2)「地域の茶の間」の表現は、Kさんらの山二ツ会館での試みを紹介する『新潟日報』で用いられたのが最初である。「平成9年に意図的に、自分の居住地にある山二ツ会館で始めました。その際に新潟日報の取材があり、その記事に『「地域の茶の間」が新潟市に出来た』という文字があり、了承を得て『地域の茶の間』と命名しました」(河田珪子, 2016)。

■参考文献

※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。