『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

荻窪家族レジデンス:セミパブリックな場所により家族・地域の人間関係についての再考をせまる場所

東京都杉並区に「荻窪家族レジデンス」という場所があります。家族を地域に開くための拠点になると同時に、地域の人々が集う拠点になることが目指された場所です。
福祉施設でもなく、ただの集合住宅でもなく、施設や住宅という枠組みに対して再考を迫る試み。こう書くと硬い場所だというイメージをもたれるかもしれませんが「犬も、子どもも大人も、誰もが風のように生き交えるような場をつくりたい」という思いがきっかけで開かれた、柔らかな肌触りのある場所。少し前、「荻窪家族レジデンス」を訪問させていただく機会がありました。

元々、この土地にはRさんの両親が住む家と、木造の賃貸住宅が建っていたとのこと。Rさんは、高齢になった両親が、子どもが道を歩いているのを見てすごく喜んでいたのを見て、何歳になっても多世代との関わりを持ちながら暮らせるのが豊かなことだと気づかされたと話されていました。
これを逆に考えれば、現在社会において、高齢者が施設に入居すると(施設の職員を除けば)日常的に他の世代の人々との関わりをもちにくいということだとも言えます。
「荻窪家族レジデンス」はこうしたRさんの経験と、Rさんがそれまで地域で築いてきた関係、改築も新築と同じくらいの費用がかかるという条件などが重なり生まれたとのこと。

「荻窪家族レジデンス」は2015年3月に竣工した鉄筋コンクリート造3階建ての建物で、居住者のみが出入りする居住スペースと、会員制のコモン・スペースに大きく分かれます。

居住スペースには14戸の住戸に加えて、2階のラウンジ、3階の浴室と屋上があります。階段にもうけられた棚には、居住者が好きなもの、部屋に置けないものを展示できるコーナーになっており書籍、雑誌、ぬいぐるみなどが並んでいました。
3階にはオーナーのRさん夫妻の住戸。また、SOHOとして活用されている住戸もあるとのこと。居住スペースは、「プライベート」な住戸と、「セミ・プライベート」なラウンジ、浴室、屋上などが組み合わされた場所だと言えます。
Rさんは、「荻窪家族レジデンス」ではルールもうけていないとのこと(ただし、洗濯機の使い方のみ何らかの決まりを作った方がよいかもしれないと話されていました)。決まりがないのは、居住者は大人だから自分たちで解決できるからだとのこと。また、新しい人が入居して2ヶ月目に開催している歓迎会を除き、2階のラウンジで食事会などのイベントを企画することはないとのこと。ルールがない、過ごし方を規定しない。これは施設とは大きく異なる部分です。

会員制のコモン・スペースは「百人力サロン」と呼ばれており、居住者に加えて、趣旨に賛同する人が会員となり利用できる場所。ラウンジ、アトリエ(工房)、集会室、ウッドデッキからなり、居住スペースから独立して1階部分に配置されています。入居スペースへの出入りには鍵が必要ですが、会員制のコモン・スペースへの出入りには鍵は不要。1階のエントランス脇にある管理人室には、「番頭さん」と呼ばれる方がおられます。
住戸スペースが「プライベート」、「セミプライベート」であるとすれば、「百人力サロン」は「セミパブリック」な場所だと言えます。「百人力サロン」は様々な場所として利用されています(当日いただいたパンフレットには、次のような活動が紹介されています)。


身近でためになる「定番プログラム」

  • 荻窪暮らしの保健室:誰もが抱く生活や健康上の不安について、気軽に専門家に相談できる場です。
  • aiこもど〜きずなサロン:子供たち、パパ、ママ、じーじ、ばーばが、お弁当持参で語り合い、相談し合います。お困りごとを持ち寄って、ざっくばらんに交流しましょう。
  • リンパヨガ:手脚を伸ばし、体を動かせば、心の窓も開かれますよ。
  • チョコッと塾:さまざまな専門家がタイムリーな話題を提供し、問題提起をします。難しいテーマばかりではなく、音楽や落語など楽しいイベントもあります。

食べて、飲んで、語り合う、楽しい場
ラウンジは厨房機能付き。持ち寄りはもちろん、簡単な料理を楽しむことができます。

  • ふらっとお茶会:介護や高齢者問題などの専門家を囲みながらの茶話会です。折り紙づくりやゲームなども盛り込まれます。
  • 百人力食堂:栄養管理士やお料理好きが、一汁三菜のおいしく、体にやさしい昼食を用意します。食事を味わいながらの楽しい語らいも、百人力サロンならでは、です。
  • 裏百人力食堂:男性諸公、お待たせしました。夜の部の始まりです。こだわりマスターの手料理で、お酒と語らいを楽しみましょう。若い女性の方々にも、ファン層が拡がっています。

*「荻窪家族プロジェクト−はやわかり手帖−」vol.1より


親の面倒は子どもが看るものだという血縁関係が強い時代があったが、現代の家族にはそのような力はない。ただし、血縁関係のある家族に頼れないとは言っても、特に都市ではそうした地縁にもとづく関係も存在しない。
例えば、部屋の電球を取り換える場合、息子・娘に頼むのでもなく、見知らぬ人にお金を払ってサービスしてもらうのではなく、地域の人にお願いできるのがいい。そのような地域の人との関係は、ただ待ってるだけでは築けないから、自分の方から地域に開く必要がある。

血縁という濃密な関係に埋め込まれた存在でも、他者との関わりを持たない孤立した存在でもなく、自立した個人と個人が、地域の人々と家族のような関係を築いていけること。そうした関係を持ちながら、地域に住み続けることができること。「荻窪家族レジデンス」はこうしたRさんの思いが背景となって生まれた場所です。
助ける/助けられるという一方通行で固定された関係ではなく、自分自身が地域の多くの人々からの助けを受けることで「百人力」を得ることができる。それと同時に、自分自身も他の誰かにとっての「百分の一の力」になれること。「百人力」という言葉には、このような意味がこめられていいます。

「荻窪家族レジデンス」でまず気づかされたことは、現在の都市における家族、地域の人々の関係について固定観念を変えていく必要があるということ。
自分自身が地域の多くの人々からの助けを受けることで「百人力」を得ることができると同時に、自分自身も他の誰かにとっての「百分の一の力」になれること。また、高齢者にとっては、子どもたちの姿を見たり、若い世代の気配を感じることだけにも意味があるということ。もし、家族の関係や、地域の人との関係を1対1で向き合う濃密なものとしかイメージできなければ、こうした関係の価値を理解するのは難しいかもしれないません。
けれども、現在の都市においてはこうした濃密な人間関係は成立しにくい。さらに、地方での濃密な人間関係から逃れて都市に出てきた人々(団塊世代の人々)にとって、果たしてこうした濃密な人間関係は本当に心地良いものなのか、失われた過去を美化しているだけではないかという問題提起があるように思います。

もう1つ気づかされたことは、都市における自立した個人と個人の関係を築くための拠点として「百人力サロン」という「セミパブリック」な場所が大切にされていること。
このことを考える時、いつも思い浮かべるのが劇作家・平田オリザ氏の演劇論です。平田オリザ氏が追求するのは、人々が自然に集まり、何らかの関わりをもつ状況を、どうやって意図的に生み出すかということ(もし人々の集まり方や関わり方が不自然に見えたとすれば、演劇のリアリティがなくなってしまうため、自然な状況をいかに意図的に生み出すかは重要なテーマ)。平田オリザ氏は空間を「プライベートな空間」、「セミパブリックな空間」、「パブリックな空間」の3つに分類した上で、家の茶の間のような「プライベートな空間」では特定の人しか居ないため関係が広がらない。一方で、道路や広場といった「パブリックな空間」では「ただ人々はその場所を通り過ぎるだけだから、会話自体が成り立ちにくくなる」。そこで、平田オリザ氏は「セミパブリックな空間」、つまり、「物語を構成する主要な一群、例えば家族というような核になる一群がそこにいて、そのいわば「内部」の人々に対して、「外部」の人々が出入り自由であるということが前提になる」場所を演劇に舞台に選ぶと述べています。
もしかしたら、道路や広場のような「パブリックな空間」で人々が対等な立場として関係を築けることは理想なのかもしれません。しかし、道路や広場で見知らぬ人と話をして、関係を築いていくとうのは現実的にはほぼあり得ない。だとすれば人々の集まり、関わりを生み出すためには「パブリック」なものを(閉鎖的にならないように)少しだけ閉じておくことが必要になる。「百人力サロン」の場合、会員制という仕組みと、オーナーであるRさん夫妻、「番頭さん」という存在、様々な活動の主催者や講師、そこに参加する「荻窪家族レジデンス」の居住者と、地域から参加する人。このような濃淡のある関係が、「荻窪家族レジデンス」において「セミパブリック」な場所を実現していると感じました。