先日、居場所について研究されている方々との議論に参加する機会がありました。議論においては、様々な話題が出されましたが、特に、居場所の運営者の人件費のこと、男性にとっての居場所に関する議論が印象に残っています。
いずれも大きなテーマですが、1つ目の居場所の運営者の人件費については、全ての居場所が人件費の獲得することを目指す必要はないこと、2つ目の男性にとっての居場所については、男性に対して必ずしも参加や交流というかたちの関係を求める必要はないこと、そして、役割を担える余地や入口部分について配慮することが大切ではないか。議論のあと、改めてこのようなことを考えていました。
居場所の運営者の人件費
居場所の運営者の人件費については、この日の議論だけに限らず、これまでしばしば議論されてきたテーマです。このテーマについての答えにならないかもしれませんが、全ての居場所が運営者の人件費を確保すること、言い換えれば、居場所の運営をお金を稼ぐという意味での仕事(以下、「仕事」と表記)として成立させることを目指す必要はないと考えています。
人件費を確保しようとする居場所は、通常の商業施設や(給与をもらっている人が運営する)施設に近づいていく。このような居場所がある一方で、人件費を確保をせずに無償のボランティアで運営される場所があってもいい。
最終的には、それぞれの居場所に関わる人々が何を目指すのかによりますが、地域に目を向ければ、自治会や町内会、マンションの管理組合、子ども会、お祭り、地域の清掃など地域のインフラとなるようなものは「仕事」として行われてないものも多い。居場所もこのような地域のインフラに似たものと捉えなければ、居場所の運営は必ずしも「仕事」として成立させることを目指さなくてもいいのではないか。まず、そのような素朴な疑問が湧いてきます。ただし、繰り返しになりますが、それぞれの居場所に関わる人々が何を目指すのかが重要であるのは当然です。
居場所の運営者の人件費を考えるうえでは、居場所と施設の違いという観点も手がかりになるように思います。
通常の、つまり、商業施設としてのカフェ、飲食店、居酒屋などのお店が、地域の人々にとってのかけがえのない居場所になっている例はいくらでもあると思います。例えば、アメリカの社会学者のレイ・オルデンバーグ(2013)は、「インフォーマルな公共の集いの場」としてのサードプレイスの例として、十九世紀のドイツ系アメリカ人のラガービール園、戦前の田舎町のアメリカにあった「メインストリート」、イギリスのパブやフランスのビストロ、アメリカの居酒屋、イギリスとウィーンのコーヒーハウスなどをあげています。また、レイ・オルデンバーグの書籍に「解説」を寄稿している日本文化研究者のマイク・モラスキーは、日本におけるサードプレイスの例として、「下町や地方都市にあるようないわば『街角の喫茶店』」、「赤提灯や大衆酒場のような庶民的な居酒屋」、「カウンター中心の小ぢんまりした赤提灯や、合席になりがちな大衆酒場」、「年季の入った、小ぢんまりした個人経営の場所」、「大衆食堂」などをあげています。もしも居場所が商業施設としての営業を成立させることが可能であれば、運営者の人件費をどう確保するのかという課題は解決されることになります。
けれども、居場所の中には、商業施設としての営業を成立させることが困難な地域で開かれている場所もある。例えば、大阪府千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」は近隣センターの空き店舗を活用して開かれています。空き店舗があるということは、そこが商業施設としての営業を成立させることが困難であることの現れ。大船渡市末崎町の「場所ハウス」の周囲には、歩いて買い物をしたり、食事をしたりするお店がほとんどありません。大船渡末崎町だけに限りませんが、地方は商業施設としての営業を成立させることが困難な地域と言えるかもしれません。
営業を成立させることは通常の商業施設であっても困難である。当然、これは居場所にもあてはまります。
(「ひがしまち街角広場」が運営する新千里東町の近隣センター)
(「居場所ハウス」が運営する大船渡市末崎町)
商業施設が成立しない地域にこそ、公共施設が重要になるのではないかという考えもありますが、居場所は従来の公共施設の枠組みにはあてはまらない場所。
例えば、居場所は、集会所や公民館などの集会施設と何が違うのかと思われる方がいるかもしれませんが、両者は人々の関わり方が異なります。一般的に集会所や公民館などの集会施設は、普段は鍵が閉まっており、会議や教室などのプログラムに参加するために訪れる場所であり、ふらっと立ち寄れる日常の場所になっていません。これに対して居場所はふらっと立ち寄れる日常の場所にすることが目指されており、そのために、コミュニティカフェ、コミュニティレストラン、こども食堂などの名前に現れているようにお店という形態が用いられている。
「集会所なんかに用事がなかったら行けないですよ。申し込んでね、『何々に使う、会議があります』とか『どういう集まりがあります』って言って、その集まり以外の人が集会所へ出入りすることはまぁできない。・・・・・・。きちっとした目的があって、何かをしなきゃならない、その関係者しか出入りできなくって。ただ暇やからそこへ行ってますっていうのは、ちょっと集会所にはそぐわない。」
※「ひがしまち街角広場」初代代表の言葉(田中康裕, 2021)
このように考えると、居場所の中には、商業施設が成立させるのが困難な地域において、お店という形態を用いることで日常の場所を実現しようとしている場所があると言えます。もちろん、居場所と商業施設、居場所と集会施設は完全に区別できず、カフェのコーナーをもうけた本屋や、集会所で開かれているカフェもあります。
居場所の運営を成立させるためには家賃、土地代、水道光熱費、備品や食材などの費用が必要になります。これらの費用は確保する必要がありますが、運営者の人件費については、全ての居場所が「仕事」として成立させることを目指す必要はない。ただし、このことは、本来は「仕事」として成立させるべきだが、これが不可能だからやむを得ずそうするというわけではありません。「仕事」として成立させることをあえて目指さないことで得られるものもあると考えています。
「ひがしまち街角広場」は無償ボランティアによって20年以上運営が継続されていましたが、初代代表は次のように話しています。
「自分たちが楽しんで来てる。来る人とのコミュニケーションも、自分たちも楽しくやってる。だからだと思う。そこが一番大事だと思うんですね。何か今日はお仕事で、義務的に何時までいなきゃならないと思って来てたら、やっぱりその気持ちっていうのは何にでも出てくると思う。」
「ボランティアに来てる人は、来てて楽しい、しんどくない、肩がこらない。自分らの自由に振る舞える。お金もらわないから座れる時は座れるし、友だち来たりできるし、そういう自由がある。お金もらったらそんなわけにいかないでしょ。・・・・・・。『サービスが悪いの、いいの』って言われるでしょ。お金もらわないことで、そういうこともないし、お互いもうみんなわかってるから、そのへん。」
※「ひがしまち街角広場」初代代表の言葉(田中康裕, 2021)
スタッフは無償ボランティアだからこそ、自由に振る舞える余地があるし、来訪者とも緩やかな関係を築くことができる。居場所は、来訪者もスタッフも同じ地域の住民であるため、サービスする側/される側という明確な主客の関係を築かないようにする、というのも重要な考えだと思います。
居場所の運営を「仕事」として成立させるかどうかは、より広く、どうやって運営費を確保するかという課題に関わりますが、居場所においては、運営費が十分にない状態が人々が関わるためのきっかけになることがある。新潟市の「実家の茶の間・紫竹」ではこのことが明確に意識されています。
「『駐車場がなくて困ってるから、市の方でいくらかお金出してくださいよ』って言うの簡単だけど、それを言ったらチャンスをなくすのね。その参加しようって、たとえば2,000円の賛助会員費というかたちで、ここ参加してもちあげていく、自分もそこに関わろうと思っている人たちのチャンスなくしていくでしょ。バザーも同じですよね。だから人の力、物、もらうこと、そのものは実はここの協力者増やしてるんです。」
※「実家の茶の間・紫竹」代表の言葉(田中康裕, 2021)「ほら、ここを見てください。このテーブルも、椅子も、ここの備品はみんな、それまで一緒に活動してきた仲間や地域の人が寄付してくれたものなんです。食器もみんな、そう。お世話になることで絆ができる。『これはチャンスですね』と。地元を対象にした説明会に参加した80代男性トリオにお願いして、手すりとか、みんな大工仕事でつくってくれた。お世話を掛けた人みんなが『ここは自分の実家だ』と思ってくれたの」
※「実家の茶の間・紫竹」代表の言葉(篠田昭, 2023)
運営費が十分でない状況は「協力者」を増やすためのチャンスでもあること。これは「居場所ハウス」にもあてはまります。例えば、薪ストーブのための薪割りはスタッフが行なっています。また、巻きにするために不要な木を寄付してくださる方も多い。
(「居場所ハウス」における薪割り)
居場所の中には、「仕事」としては成立していない場所がある。けれども、お金の循環は十分でなくても、「人の力、物」の循環は生まれている。この意味で、居場所とは地域における人々の関係を媒介させるためのメディアだと言えます。それゆえ、「仕事」として成立しない居場所と、そうでない居場所とは優劣をつけることはできない。
もちろん、「仕事」として成立しなければ若い世代が関われないという状況はあります。しかし、理想かもしれませんが、若い世代がほんの少しずつでも地域に関わりを持てる余裕・余地のある暮らしを目指すべきではないのか。居場所は、この部分にも問題提起しているように思います。
男性にとっての居場所
各地の居場所を見学すると、女性の姿は多数見かけるが、男性を見かけることは少ない。男性は居場所に来ても、「交流」することなく1人で過ごしている人もいる。どのような居場所であれば、男性が訪れたり、過ごしたりしやすいのか。この日の議論だけでなく、男性にとっての居場所というテーマはしばしば話題になることです。
居場所は、男性を無理やり引っ張ってくるような場所であるのは当然ですが、そのうえで、居場所は男性にとって訪れやすくするためにどのような工夫をすることができるのかということと、男性にとってどのように過ごせる場所であるとよいのかということについて考えたいと思います。
後者の問いについては、交流したくない男性(女性でも)に対して、無理に交流を求める必要はなく、会話やプログラムに参加せずとも、1人で心地よく過ごせる場所になっていればいいと考えています。
プログラムに参加するために訪れる場所であれば、人々の関わりはそのプログラムに参加するというかたちに限定されます。けれども、居場所はふらっと訪れることができる日常の場所であるため、プログラムに参加しなくても、「居合わせる」、つまり、「別に直接会話をするわけではないが、場所と時間を共有し、お互いどの様な人が居るかを認識しあっている状況」(鈴木毅, 2004)を成立させることが可能です。
重要なのは、プログラムに参加せず、居合わせているだけでも顔見知りという緩やかな関係は築かれること。このような関係があることで、例えば、毎日来ている人がしばらく来なくなることに気づいた人が連絡するという緩やかな見守りになるかもしれません。この意味では、地域の人々が顔見知りになれる日常の場所であることが、居場所の最も基本となる役割と言えるのではないかと考えています。繰り返しになりますが、男性にとっての居場所を考えるうえでは、人々の関係を交流という狭い意味で捉えることから解放される必要があると思います。
一方、前者の居場所は男性にとって訪れやすくするためにどのような工夫をすることができるのかという問いについて。これも容易に答えることができない問いですが、次の2つについて工夫できる可能性があるように考えています。
1つは、先に運営費が十分でない状況は「協力者」を増やすためのチャンスでもあると書いたことに関わりますが、男性が、自分に担える役割を見出すことができる場所になっていることをあげることができます。清掃、植木の手入れ、日曜大工、薪割り、買い物、車の運転、パソコンなど、居場所を運営するためには様々や役割が必要になります。そして、実際にこのような役割を担うことがきっかけで「居場所ハウス」に来るようになった男性も知っています。
男性に対しては、「お客さん」、「利用者さん」扱いするのでなく、最初はちょっとした役割でも構わないので何らかの役割を担える余地を作ったり、そのような役割を担うことをお願いしたりするところの工夫の可能性があると思います。
(「居場所ハウス」で行事のためにテントを準備する男性)
(「ひがしまち街角広場」の改修作業を行う男性)
もう1つは、「ひがしまち街角広場」の表のアーケード下に出していたテーブルには男性が座ることが多かったということが参考になるように思います。
(「ひがしまち街角広場」の屋外席で過ごす男性)
なぜ、表のテーブルには男性が座ることが多かったのか。男性にとって、多くの女性が過ごしている建物内(室内)に入るのは心理的なバリアになるからという理由を考えることができるように思います。そうすると、男性にとっては、完全に建物内に入らずとも過ごせるようなテラス席や縁側のような場所が大きな意味をもつことになります。
建物内に入ることが心理的なバリアになるのは、男性だけに限りません。それゆえ、「実家の茶の間・紫竹」では、「どうぞ自由にお入りください。」という思いの表現として、玄関の戸を「暑いときも寒いときもいつも開けっ放しにしておく」という配慮がされています(河田珪子, 2016)。
(「実家の茶の間・紫竹」の開け放された玄関)
さらに、「実家の茶の間・紫竹」では、多くの人々が過ごす茶の間の戸を開けることが最も大きな心理的なバリアになるという考えから、テーブルを「戸を開けたとき、視線が集中しない配置にする」ようにしたり、「あの人誰!という目をしない」という約束事を徹底したりするという配慮もされています(河田珪子, 2016)。
「笑い声とか話し声とか、外に漏れ漏れですね。楽しげですね。そのとき、戸を開けた時、みんなが『何、あの人何しに来たの?』、『誰、あの人?』とかって怪訝な目がぱっと向いたら、それだけで入れなくなったりする。だから、来てくださった方にどこに座ってもらうかまで考えてる。初めて来た人は、できるだけ外回りに座ってもらおう。そうすると、あんなことも、こんなこともしてる姿が見えてきますね。すると、色んな人がいていいんだっていうメッセージが、もうそこへ飛んでいってるわけですね。そっから始まっていくんです。」
※「実家の茶の間・紫竹」代表の言葉(田中康裕, 2021)
「実家の茶の間・紫竹」では全員が参加するプログラムを提供するのでなく、それぞれが「あんなことも、こんなこともしてる」ような場所を実現することが大切にされており、初めて訪れた人にはこのような状況を見てもらうことで、ここがどのようにして過ごせる場所であるかを伝えるという工夫もされています。
このように男性にとっての居場所を考えるうえでは、入口部分、つまり、居場所の内と外の境界についても工夫できる可能性があるように思います。
■参考文献
- オルデンバーグ、レイ(忠平美幸訳)(2013)『サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』みすず書房
- 河田珪子(2016)『河田方式「地域の茶の間」ガイドブック』博進堂
- 篠田昭(2023)『「実家の茶の間」日誌(2020年2月~2022年10月):み~んなで生きてこ』幻冬舎
- 鈴木毅(2004)「体験される環境の質の豊かさを扱う方法論」・舟橋國男編『建築計画読本』大阪大学出版会
- 田中康裕『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』水曜社
※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。