『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

実家の茶の間・紫竹:矩(のり)を越えない距離感を大切にすること(アフターコロナにおいて場所を考える-36)

2022年9月26日(月)、新潟市東区にある「実家の茶の間・紫竹」を訪問させていただきました。
「実家の茶の間・紫竹」は空き家を活用して2014年10月18日に開かれた場所で、間もなくオープンから8年を迎えます*1)。河田さんが代表をつとめる任意団体「実家の茶の間」と新潟市との協働で毎週月曜・水曜の週2回、10~16時まで運営されています。新型コロナウイルス感染症の感染が拡大していた時期は運営が自主的に休止されましたが、現在は様々な感染防止対策を講じながら運営が再開されています*2)。

新潟市は、「実家の茶の間・紫竹」を「子どもからお年寄りまで、市民一人ひとりが住み慣れた地域で安心して暮らせるまちの実現を目指し、支え合いのしくみづくりを進めるための拠点」である「地域包括ケア推進モデルハウス」として位置づけています。そして、「実家の茶の間・紫竹」の知見を活かすことで、現在、「実家の茶の間・紫竹」を含めて7ヶ所の「地域包括ケア推進モデルハウス」が開かれています*3)。

都市に比べると地方は「コミュニティ」が残っているから助け合いが行われやすいと見なされることもありますが、「実家の茶の間・紫竹」が経験してきたのは、「コミュニティ」が残っているからこそ助け合いを阻害してしまうという側面があること。なぜなら、「コミュニティ」とは往々にして新たな人々との関係を築くことを難しくしてしまうからです。
仲の良い人々だけの集まりは本来の地域の姿でなく、地域とは多様な人々がいるのが当然、多様な人々の出入りがあるのが当然であること。「実家の茶の間・紫竹」は、このような地域でどのように助け合いの関係を築いていくのかに取り組んでいます。
このような関係を「実家の茶の間・紫竹」では「矩(のり)を越えない距離感」を大切にする関係と表現されており、このような関係を築くために多くの気配りがされています。例えば、「その場にいない人の話をしない(ほめる事も含めて)」、「プライバシーを訊き出さない。」、「どなたが来られても「あの人だれ!!」という目をしない。」という「茶の間の約束事」を掲示することもその気配りの1つです。

当番も多くの気配りをされています。例えば、先日訪問した際には、周りの様子を伺って1人きりになって座っている人がいたら隣に座ったり、足の悪い人が飲物を入れたりトレイに行くために立ち上がろうとすると側に寄ったり(ただし、本人が大丈夫だと伝えると、それ以上は手出しをしない)、足の悪い人の代わりに飲物を入れた人に「ありがとうね」と声をかけたり、飲物が置かれたテーブルのところで誰かが躓きそうになったら躓きそうなものを脇へよけたりする光景を見かけました。こうした気配りがさりげなくされている。
先日訪れた時、このような気配りをされている方を何人も見かけたため、今日は当番が多いと勝手に思いました。しかし、後で聞いたところ、このような方の中には他の日に当番を担当していて、時間があれば自分が担当している日以外にも顔を出し、協力している方もいるということでした。現在、3人の当番(居場所担当が2人、食事担当が1人)で1日の運営を担当されていますが*4)、その日担当の当番以外の人の協力がされていることにも、「ここにはサービスの利用者は一人もいない。いるのは“場”の利用者だけ。」(河田珪子, 2016)という理念が現れていうrといえます*5)。

上で紹介した「茶の間の約束事」を掲示することは、当番を守るという意味もあると伺いました。当番と来訪者とが同じ地域の人の場合、「茶の間の約束事」が守られない時、当番は同じ地域の人を注意しなければならない場面が出てくる。その時、個人の考えでなく、当番という役割で注意していることを共有するために掲示しているのだと。
先日訪れた時、茶の間の一画に「当番の動き」として、当番は1日にどのように振る舞うのか、どのような感染防止対策をするのかなどが書かれた大きな模造紙が貼られていました。当番は、感染防止のために注意したり、話が盛り上がっている人に対してもうすぐラジオ体操ですと声かけしたりする必要がある。これも個人の考えでなく、当番という役割での振る舞いであることを共有するという点で、「茶の間の約束事」を掲示するのと同じ意味があるのではないかと思いました。
このことからわかるのは、当番は「実家の茶の間・紫竹」の理念を実現するために様々な気配りをされていますが、同時に、当番も地域のメンバーとして気配りを受ける側の存在として、大切にされているということです。

「実家の茶の間・紫竹」は、13時半からのラジオ体操を除いてプログラムが行われておらず、思い思いに過ごす人々が居合わせている光景を見ることができます。一見すると、このような光景はまるで自然に生まれているかのように見えますが*6)、上で紹介したような多くの気配りがこの背景にあることを見落としてはなりません。

「実家の茶の間・紫竹」の光景からは、劇作家・評論家の山崎正和(2003)の「社交」の議論が思い起こされます。社交というと、例えば社交辞令のようにあまり良い意味で使われないことも多いですが、山﨑正和は社交を積極的なものと捉え、次のように指摘しています。

「まず社交とは厳密な意味で人間が感情を共有する行為だといえるだろう。そこでは中間的な距離を置いて関わりあう人間が、一定の時間、空間を限って、適度に抑制された感情を緩やかに共有する。社交の場では人は互いに親しんで狎れあわず、求心的な関係を結びながらも第三者を排除しない。人びとが社交に集まるとき、彼らは一応の目的を共有するが、けっしてその達成を熱狂的に追求することはない。ともに食べともに技を競い、ともに語って意思を伝えあうにしても、人びとはそうした目的よりも達成の過程に重点を置く。・・・・・・
そしてこの逆転を起こさせる仕掛けが礼儀作法であって、これが社交の行動に定式を与えるとともに、それから効率的な実用性を奪う。それは行動のすべてが目的に収斂することを妨げ、そのことによって過程を充実させて、始めと中と終わりのある完結性をもたらす。」

「先にも述べたように、家族や村落共同体が無意識に感情を共有している状態は、社交とは呼ばない。また逆に功利的な組織のように、構成員が意識的に団結を確認しつづけているような関係も、社交とは見なされない。互いに正反対の理由から、両者のどちらも過度に濃密な感情で結ばれ、人間関係が第三者を排して自動的に閉じられているからであった。これにたいして社交は、その結果、人間を付かず離れずの中間的な距離につなぐ関係と見なされることになった。だがこのような関係は見るからに脆く危うい関係であって、注意深い努力のもとに、限られた時間と空間のなかにしか成立しないのは明らかだろう。
現象として見れば、社交の時間は人が適度の緊張を保ってくつろぐ時間であり、社交の場所はなかば公的な形式を備えた私的空間である。・・・・・・。いいかえれば、時間も空間も、友人仲間を囲いこむために閉じられていなければならず、同時に第三者を受け入れるために開かれていなければならない。この二重にも三重にも矛盾した要求を満たすために、人類は歴史のなかでさまざまな工夫をこらし、慣習的にも制度的にも特別の時間と空間をつくりあげてきた。」(山崎正和, 2003)

「中間的な距離を置いて関わりあう人間」、「人は互いに親しんで狎れあわず、求心的な関係を結びながらも第三者を排除しない」、「人間を付かず離れずの中間的な距離につなぐ関係」と指摘されていることは、「実家の茶の間・紫竹」が目指す「矩(のり)を越えない距離感」を大切にする関係と大きく重なっています。社交は「見るからに脆く危うい関係」であり、「二重にも三重にも矛盾した要求」をするものであるため、これを成立させるためには「注意深い努力」、「さまざまな工夫」が必要である。このことも、「実家の茶の間・紫竹」で様々な気配りがされていることに重なっています。

「実家の茶の間・紫竹」は「支え合いのしくみづくりを進めるための拠点」である「地域包括ケア推進モデルハウス」として、助け合いの関係を築くことが期待されています。そのために、多様な人々がいるのが当然、多様な人々の出入りがあるのが当然である地域に助け合いの関係を築いていくために、「実家の茶の間・紫竹」では「矩(のり)を越えない距離感」を大切にする関係を築くことが目指されていました。
この点に関して、山崎正和の次の議論が注目されます。社交は「目的よりも達成の過程に重点」を置くもので、「行動のすべてが目的に収斂することを妨げ」る。この指摘は、「矩(のり)を越えない距離感」を大切にする関係について別の側面から捉える可能性に開かれます。つまり、「矩(のり)を越えない距離感」を大切にする関係は確かに助け合いの関係を築くことにつながりますが、助け合いの関係という「目的」を達成するから「矩(のり)を越えない距離感」を大切にする関係に価値があるのではく、「矩(のり)を越えない距離感」を大切にする関係を築いていく「過程」自体に、言い換えれば、「実家の茶の間・紫竹」に居られること自体が尊いのだということ。「実家の茶の間・紫竹」に身を置けば、このことを強く感じます。助け合いの関係も、介護予防も、健康寿命の延伸も、一般的に「目的」と見なされるものは、居られることの尊さが結果として、事後的にもたらされる「効果」だということです*7)。


■注

  • 1)実家の茶の間・紫竹」の詳細は河田珪子(2016)、田中康裕(2021)などを参照。
  • 2)現在は毎週月曜・水曜の週2回、10~15時まで運営されている。感染防止のため運営を自主的に休止していた時期も、「実家の茶の間・紫竹」には当番が来て、普段来ていた人に対する電話での連絡などが行われていた。新型コロナウイルス感染症の発生後の「実家の茶の間・紫竹」の状況は河田珪子(2020)などを参照。
  • 3)新潟市「地域包括ケア推進モデルハウスの取り組み」(最終更新日:2022年3月7日)のページより。
  • 4)新型コロナウイルス感染症が発生する前は、居場所担当が2人、食事担当が2人の4人の当番で1日の運営を担当されていた。
  • 5)当番は女性が多いが、食材などの買い出しに行く時に車を出したり、大工仕事をしたりして協力している男性もいる。先日訪問した時にはお菓子を差し入れしている男性もいた。また、不要になった洋服、鞄、食器などを寄付する人もおり、寄付された物は「紫竹の伊勢丹」と呼ばれている部屋でバザーとして販売されている。その売上は運営費に充てられている。この他にも、運営に対しては多くの人々の協力がなされている。
  • 6)それゆえ、「実家の茶の間・紫竹」は何もしていないと見られることもあるということである。
  • 7)結果として実現されることに関しては、「実家の茶の間・紫竹」、「ひがしまち街角広場」の記事などを参照。なお、筆者は結果として実現されることを先取りして目的として設定することが、制度化・施設化と捉えている(田中康裕, 2021)。

■参考文献

※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。