『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

福祉亭:多摩ニュータウンの空き店舗を活用したコミュニティ再生の拠点

少し前に多摩ニュータウンの「福祉亭」を訪問する機会がありました。多摩ニュータウンで最初に入居が始まった永山地区(1971年に入居開始)の商店街の空き店舗を活用して運営されているコミュニティ・カフェ/コミュニティ・レストランで、オープンは2002年1月。それから15年以上の運営が継続されています。

「福祉亭」オープンのきっかけは、2001年、多摩市で開催された市民懇談会「多摩市高齢者社会参加拡大事業運営協議会」。2001年8月には「高齢者いきいき事業」として東京都と多摩市から3年間の補助金が交付され、2002年1月に「福祉亭」オープン。3年間の補助金交付終了を機に運営のあり方を見直し、2003年4月から現在の「福祉亭」として運営されています。2004年2月にはNPO法人格を取得(以上は「福祉亭」ウェブサイトより)。

「福祉亭」は日曜を除く週に6日、10時〜18時まで運営されています。提供されているのはコーヒー(200円)、アイスコーヒー(300円)、紅茶(200円)、各種ジュース(200円)、日替定食(500円)など。日替定食は用意した50〜60食がなくなる日もあるという話でした。「東京都のミニデイ事業補助金」以外は補助を受けることなく、ボランティア・スタッフ(一部有償のボランティア)によって運営が継続されています。

ニュータウンの空き店舗を活用して運営されていること、行政の支援がきっかけとなり開かれ、オープン後は住民ボランティア・スタッフによって運営されていることは、千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」とも共通点が多く、もう10年以上になりますが、2005年2月、「ひがしまち街角広場」代表のAさんらと一緒に「福祉亭」を訪問したことがありますが、「福祉亭」理事長のTさんはそのことも覚えていてくださいました。

久し振りにTさんとお会いし、話を伺うなかで、次のようなことを感じました。

運営を通して事後的に築かれてきたもの
「福祉亭」は週6日運営していることから、公園で転んだとか、車椅子を貸して欲しいとか、そういう場合の駆け込み寺にもなってる。毎日シャッターを開けてるから、困ったらあそこに行けばいいんだなっていう空気だけが定着してきたとTさん。
運営体制についても、当初は「霧の中を走ってる感じ」だったが、今、ようやく骨組みができ柱が立ってきたという感じがするという話でした。「福祉亭」で季節の野菜を使った昼食を提供し始めたのは、地域で暮らす高齢の方の健康を支えることができるという仮説があったからだが、それが結果として運営費を獲得すること、そして、高齢の方に活躍の場所を提供することにつながった。ボランティア・スタッフで運営しているため、スタッフは高齢の方が多いが、それも継続していると運営の仕組みで定着してきたとのこと。

多摩市の地域活動は「テーマパーク型」指摘されることがあるとのこと。「テーマパーク型」というのは、地域から離れて自分たちが仲間で楽しむための活動を行い、地域に対してお客さんであるという意味のようです。Tさんは、高齢の方から「自分たちは一方的に助けられる存在になるのは嫌だ」という話をしばしば聞くことがあり、そのような方が活躍できる場所が多種多様にあればとも話されていました。

居場所(まちの居場所)が地域を変えていく
「福祉亭」では地域の人との様々なかたちでの関係を築いてきたが、まだまだ点であり、それが線となり、面になって地域に広がるまでにはいたってないとTさん。けれども、少しずつ地域が変わる手応えが出てきたとも話されていました。

最近、「福祉亭」のある永山団地名店街では空き店舗を活用して2つの場所が生まれています。1つは、「福祉亭」隣にできたクロネコヤマトの「ネコサポステーション」(2016年4月28日オープン)。クロネコヤマトが多摩ニュータウンで立ち上げた事業で、「ネコサポステーション」では宅急便の差し出し・受取ができるだけでなく、ネコサポスタッフが「コープみらい買取店」の商品を購入し届けるという「買物サポートサービス」(価格は店頭価格、商品1点あたり20円の手数料)、ネコサポスタッフが日々の掃除や物の移動、エアコンや洗濯機などの本格的なクリーニングを行う「家事サポートサービス」(簡易メニューの場合15分で1,000円から)の他、イベント開催などを通した「地域コミュニティ作り」、そして、「健康サポート」を行う拠点です。
もう1つは「中部地域包括支援センター」(2016年10月24日オープン)。多摩市が設置した相談窓口。必ずしも介護保険の相談を行っているわけではなく、家庭のことや、郵送されてきたわからない書類のことなど「よろず相談」の場所になっているとのこと。また、見守りサポーターになる地域の人々を研修する役割も担われています。
今までは電話でしか話しができなかった人々が、近くにきてくれたことは手応えを感じるし、安心感もあると話されていました。

近隣住区論において、各住区の核になるもの(の1つ)が近隣センター(永山団地名店街)。この意味で、近隣センターは当初から日々の暮らしをサポートするための拠点だったわけですが、その後、次第に空き店舗ができていった。けれども、「福祉亭」、そして近年の「ネコサポステーション」、「中部地域包括支援センター」のオープンにより、永山団地名店街が高齢社会に対応して蘇りつつある姿を見ることができます。

「疑似親族」という距離感のある関係
「福祉亭」が目指すのはコミュニティ再生。約半世紀前に人工的に作られ、各地から移り住んできた人々が集まって住む街において、現役時代は都心に通う会社員だった人々が定年後に地域に戻ってくる街において成立し得るコミュニティを築くことが目指されています。Tさんの話で印象に残っているのは、最初はコミュニティとして「疑似家族」のようなものを目指していたが、「疑似親族」ぐらいの距離のある関係がちょうどよいかもしれないと話されていました。

「福祉亭」だけでなく、このような話をしばしば聞きます。家族の中に閉じこもるのではなく、周囲は全く見知らぬ人々という人間関係の喪失でもなく、その中間にあるような地域の人々との関係(コミュニティ)。けれども、それは決して戦前の人間関係でも、昭和の人間関係でもない。人によって表現は異なりますが、そのような新しい形の関係性を築こうとする動きが各地で同時多発的に起こりつつある。
2000年頃から各地に開かれてきた「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ、地域の茶の間など)は最近では介護予防や生活支援という観点から注目されていますが、「まちの居場所」とはこのような新しい関係性を模索する動きでもあること、そして、そうした新しい関係性が実現することの効果として介護予防や生活支援が実現されるのだということは、忘れてはならないことだと思います。


Tさんは、さらに高齢化によってもたらされる2025年問題は確かに大きな問題だけれども、あまり構えることなく一日一日を楽しみながら暮らすことが大切ではないのか、その意味で楽観的だと。
「福祉亭」の日々の運営は確かに大変だけれど、同時に、現場で日々生み出されることが地域を、社会を変えていくのだという手応えを身をもって感じておられるからこその、「楽観的」という言葉だったのではないか。このようなことを感じました。