『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

陸前高田市の光景(2023年12月)

大船渡から関西への移動日、時間に余裕があったため陸前高田で途中下車。初めて陸前高田市立博物館を訪れることができました。陸前高田市立博物館は、内藤廣の設計で、2022年11月に開館した博物館です。

エントランスでは、名古屋市博物館から貸出中のロダンの「考える人」が迎えてくれます。
非常に多くの展示の中で、「居場所ハウス」で毎年ひな祭りの時期に展示している高田人形が展示されているのが目に留まりました。

「高田人形は江戸時代末期から昭和30年代ころまで、農家や左官職人の副業として作られていたとされる土製の人形。胡粉(ごふん)で彩色され、魔よけの赤に白梅の模様を描いたものが多い。
現在では保存する家庭も少ない上、大津波によって流出したものも多数あり、さらに貴重な品となった。男雛・女雛に限らず、三味線を弾いたり、水桶を運んだり、子守りをしたりと、女性たちの日常をかたどった人形には、どこか懐かしい素朴な味わいがある。」
※「きらびやか7段飾り 貴重な「高田人形」も」・『東海新報』2014年2月16日

記事にある通り、東日本大震災で被災したものも多く、陸前高田市立博物館では修復された高田人形も展示されていました。

(展示されている高田人形)

展示パネルには、高田人形が、高田町の市の日に台の上に並べられて売られている1960年頃の写真。これまで、「居場所ハウス」で高田人形の思い出を伺いましたが、このようにして売られたいたのだと知ることができました。


陸前高田市立博物館の屋上からは、陸前高田の市内が一望できます。

北側は、陸前高田の中心として建設された「アバッセたかた」。「アバッセたかた」の左手前には、伊東豊雄が設計の移設された「みんなの家」、左手には同じく伊東豊雄設計の「ほんまるの家」が見えます。「アバッセたかた」の右奥には陸前高田市役所。

(みんなの家)

(ほんまるの家)

東側は、陸前高田市立博物館のすぐ隣に、内藤廣が設計した陸前高田市東日本大震災追悼施設、その隣に隈研吾が設計した「まちの縁側」、そして、BRTの陸前高田駅が見えます。

(陸前高田市東日本大震災追悼施設)

(まちの縁側)

(BRT陸前高田駅)

西側は、陸前高田市立博物館のすぐ隣に陸前高田高等職業訓練校、その隣にピーカンナッツチョコレートを製造販売するサロンドロワイヤルタカタ本店が見えます。左手には、内藤廣が設計した高田松原津波復興祈念公園国営追悼・祈念施設が見え、その奥に防潮堤が見えます。正面には、今泉地区の高台移転地が見えます。

陸前高田市立博物館は、嵩上げされた土地の南の縁にあります。

(嵩上げされた土地)

(高田松原津波復興祈念公園国営追悼・祈念施設)