『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

子どもが立ち寄れる場所:居場所ハウスの出来事から

2023年12月20日(水)の午後、学校帰りの小学生の2人の女の子が、「居場所ハウス」にトイレを借りに立ち寄りました。

2人はテーブルに座らず、すぐに帰っていきましたが、そのことでかえって、子どもたちが「居場所ハウス」をちょっとしたことでも立ち寄っていい場所だと認識してくれていることがわかったように思います。千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」に学校帰りの子どもたちが水を飲みに立ち寄る光景を思い出しました。

「居場所ハウス」で過ごしていた大人とトレを借りに来た子どもが、一緒に何らかの活動をしたり、交流したりしたわけではありません。しかし、この出来事はジェイン・ジェイコブズが指摘する「ささやかなふれあい」として重要なものだと考えます。

「都市街路の信頼は、街頭で交わす数多くのささやかなふれあいにより時間をかけて形づくられています。ビールを一杯飲みに酒場に立ち寄ったり、雑貨店主から忠告をもらって新聞売店の男に忠告してやったり、パン屋で他の客と意見交換したり、玄関口でソーダ水を飲む少年二人に会釈したり、夕食ができるのを待ちながら女の子たちに目を配ったり、子供たちを叱ったり、金物屋の世間話を聞いたり、薬剤師から一ドル借りたり、生まれたばかりの赤ん坊を褒めたり、コートの色褪せに同情したりすることから生まれるのです。慣習はさまざまです。飼い犬についての情報交換をする近隣や、家主についての情報交換をする近隣もあります。
大部分は、表面上は実にささやかなものですが、すべて合わせると全然ささやかではありません。このような地元レベルの何気ない市民交流の総和が――ほとんどは地元レベルの何気ない市民交流の総和が――ほとんどは突発的で、何らかの雑用のついでで、すべて当の本人が加減を決めたもので、だれにも強いられていません――公的アイデンティティの感覚であり、公的な尊重と信頼の網であり、やがて個人や近隣が必要とするときに、それがリソースになるのです。」
※ジェイン・ジェイコブズ(山形浩生訳)(2010)『[新版]アメリカ大都市の死と生』鹿島出版会

この出来事では、当番を担当されていた方の対応が印象に残っています。

子どもたちが立ち寄った時間帯、和室では歌声喫茶が行われていました。土間では、打ち合わせをしたり、食事をしたりする人。多くの人が過ごしていたからだと思いますが、2人の女の子は玄関のところまで歩いてきたものの、帰りかけたようでした。それをカウンターから見ていた当番の方が外に出て、2人に声をかけておられました。もし、当番の方の、やって来た子どもへの「その場での柔軟な対応」がなければ、2人は中に入ってこなかったように思います。