岡檀氏による『生き心地の良い町:この自殺率の低さには理由がある』(講談社 2013年)を読みました。
世界保健機関(WHO)では自殺の危険を高める要素(自殺危険因子)として、「社会経済的地位の低さ、失業、支援の欠如、病苦など」があげられている。けれどもこれらはどの地域でもみられるもの、起こり得るもの。そうすると自殺希少地域には自殺行動を緩和する要素(自殺予防因子)が豊かにあるのではないか? そして、自殺予防因子はコミュニティのあり方に関係があるのではないか?
この本の著者である岡檀氏は、こうした仮説に基づき、日本で最も自殺率の低い地域(自殺希少地域)の1つである徳島県海部町(現在の海陽町の一部)を対象とする調査を続けてこられました。
この本を読み特に興味深かったのは、海部町における人々の関係はゆるやかなものだということ、そして、海部町では「幸せ」と感じている人よりも「幸せでも不幸せでもない」と感じている人の割合が多いこと。
海部町の調査から見出された5つの自殺予防因子
海部町での調査を通して岡檀氏が見出した自殺予防因子は次の5つ。
- いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
- 人物本位主義をつらぬく
- どうせ自分なんて、と考えない
- 「病」は市に出せ
- ゆるやかにつながる
4番目に挙げられている「「病」は市に出せ」というのは海部町の人々が口にする格言であり、「「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題」、「「市」というのはマーケット、公開の場」を意味する。「病、市に出せ」というのは、問題が起こったら「早めに開示せよ、そうすれば、・・・・・・、周囲が何かしら対処法を教えてくれる。まずはそのような意味合い」であり、同時に、「やせ我慢すること、虚勢を張ることへの戒め」でもあるとされています。
5つの自殺予防因子の中で、岡檀氏が「他の四つの要素の根源であると同時に帰結でもあると言える」としているのが「ゆるやかにつながる」。岡檀氏は海部町の人々の人間関係について次のように述べています。
「先に述べたとおり、海部町は物理的密集度が極めて高いコミュニティであり、好むと好まざるとにかかわらず住民同士の接触頻度は高い。特に密集した居住区では、隣家の電話での会話まで聞こえてくるというような生活を送っている人たちもいて、彼らにとってはプライバシーの保護などまるで現実味がない。
その一方で、隣人間のつきあいに粘質な印象はない。基本は放任主義であり、必要があれば過不足なく援助するというような、どちらかといえば淡泊なコミュニケーションの様子が窺えるのである。」(岡檀, 2013)
「ゆるやかなつながり」が自殺予防因子だというのは興味深い結果。岡檀氏はこれについて「この町の人々は他者への“関心”が強く、ただしそれは“監視”とは異なるものである」とも述べています。
コミュニティの地理的特性と自殺率の関係
この本では、海部町を対象とする調査に加えて、全国約3,300の市区町村レベルのコミュニティの地理的特性と、自殺率の関係の分析も行われています。この分析によりコミュニティの地理的特性は、次のように自殺率に影響を与えていることが明らかにされています。
- 自殺率に最も影響を与えているのは「可住地傾斜度」。次いで、「可住地人口密度」「最深積雪量」「日照時間」「海岸部属性(海に面していること)」の順に影響を与えている。
- 「可住地傾斜度」、「最深積雪量」は値が大きくなるほど自殺率が高くなる。
- 「可住地人口密度」「日照時間」「海岸部属性(海に面していること)」は値が大きくなるほど自殺率が低くなる。
自殺希少地域である海部町におけるコミュニティは、こうした地理的特性の上に形成されたもの。
地理的特性に関連して、岡檀氏は海部町には「住民が気軽に立ち寄れる場所、時間を気にせず腰掛けていられる場所、行けば必ず隣人と会える場所、新鮮な情報を持ちこんだり広めたりすることのできる場所」のように「サロン機能」を有する場所が多意ことに注目しています。その上で、「住民たちが「いつでも」「自分が行きたいときに」「自分の力で」行けるということが肝心なのだ」と指摘。ここがコミュニティの地理的特性に密接に関わってくる部分です。例えば、坂道が多くてサロンまで歩くのが大変、過疎地なので家の近くにサロンがないなどとなれば、いつでも」「自分が行きたいときに」「自分の力で」行くことができなくなってしまう。
自殺率はコミュニティの地理的特性に影響されている。そうだとしても、コミュニティの地理的特性は(容易に)変えられるものではなく、他のコミュニティに引っ越すのも容易ではない。結局どうしようもない話なのかと諦めてしまいそうになります。
これに対して、岡檀氏はコミュニティの地理的特性が自殺率に与える影響を「直接的影響」と「間接的影響」の2つに分類。「直接的影響」とは「日常生活に必要な社会資源への到達、サポートの受け入れ、隣人とのコミュニケーションなど、住民の精神衛生によって良いと考えられている要素が、地理的条件によって阻まれているという状況」、「間接的影響」とは「長年厳しい自然環境の中で生きることによって、その地域の人々が克己心や忍耐を固着させ、世代を超えて継承されている状況」。
このように分類した上で、「間接的影響こそが自殺対策の鍵であると考えている」と述べる岡檀氏は自殺防止のために、「どうせ自分なんて」と口にしないことを提案。この提案の背後には、「不完全ではあっても、明日からでもできることをすぐに取り入れることこそが肝心なのだと、気づいてもらいたい」という思いがあるとのこと。重要だと思うのは、「どうせ自分なんて」と思わないようにするのではなく、口にしないという態度で示すことが必要だという指摘です。
まちの居場所
岡檀氏の『生き心地の良い町:この自殺率の低さには理由がある』を読んで、「まちの居場所」(コミュニティカフェ)のことを思い返しました。
「まちの居場所」では少額であっても飲物・食事が有料で提供されている。お金を介在させるから、お金さえ支払えば誰でも飲み物を飲んだり、食事をしたりすることができる。言い方を変えれば、お金を支払うことが、そこを訪れ、過ごすことの名分となる。たとえその人が地域に関心を持たず、単に飲食の目的のためだけに訪問しても、まちの居場所は地域の人が集まる場所であるから、そこで居合わせた地域の人同士が顔見知りになる可能性もある。
無料で飲み物や食べ物が提供されるのでもなく、会員制のサークルやクラブでもなく、まちの居場所がカフェ(お店)として運営されているからこそ、「ゆるやかなつながり」を生み出し得るという点は注目されてよいことです。岡檀氏が「サロン機能」を有する場所に注目しているように、多様な人々が出入りする「まちの居場所」は「ゆるやかなつながり」を生み出し得るといえます。
岡檀氏がいう「ゆるやかなつながり」に関連して、これまで、親密ではないが全くの他人でもない関係という観点から注目してきました。その中で、しばしば、そのような関係にはどのような意味があるのかという質問を受けてきました。
この質問に対して、岡檀氏のこの本は「ゆるやかなつながり」には自殺防止という意味があると答えてくれます。
ただ、この本には明確に書かれているわけではありませんが、「ゆるやかなつながり」は自殺を防止するための手段として捉えるのではなく、「ゆるやかなつながり」の結果として、自殺を防止するという効果がもたらされていると捉えるべきではないかと考えています。命を守ることが重要なのはいうまでもありませんが、「ゆるやかなつながり」を自殺防止(これは生活支援、介護予防にも当てはまる)という単一の目的を実現する手段として捉えてはならないと思います。自殺防止などの目的を実現するための手段としての関係は、もはや「ゆるやかなつながり」ではなくなってしまう。
暮らしにおいてコミュニティは重要ですが、コミュニティが重要だと主張される場合に往々にして思い描かれるのは濃密な人間関係、強い絆。しかし濃密な人間関係は、異なる価値観を許容しない閉鎖的、抑圧的なものになる恐れもあることは忘れてはなりません。だからこそ、「ゆるやかなつながり」が、「ゆるやかなつながり」なままで続いていることに価値があるのだと考えています。
(更新:2022年12月22日)