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グリーンベルト:まち開きから80年を迎えたアメリカの計画住宅地

ワシントンDCの北東約20Kmにグリーンベルト(Greenbelt)という街があります。F.D.ルーズベルト大統領によるニューディール政策により開発された3つの計画住宅地「グリーン・タウン(Green Town)」の1つ。
グリーン・タウンは大恐慌時代、再定住局(RA=Resettlement Administration)による良好な住宅地の実現、雇用創出のためのプロジェクトとして開発が行われたもので、メリーランド州のグリーンベルトの他に、オハイオ州のグリーンヒルズ(Greenhills)、ウィスコンシン州のグリーンデイル(Greendale)があります。

グリーンベルトでは、1937年に第1期の住宅(第1期は885戸のBlock House、Brick House)への入居が始まり、今年、まち開きから80周年を迎えます。
1941年には第2期の住宅(第2期は1,000戸のFlame House)への入居が始まりました。第2期の住宅は第二次世界大戦への従事者に対する住宅確保という目的も加わり「ディフェンス・ホームズ」(Defence Homes)と呼ばれました。

現在では第1期、第2期にまち開きが行われたエリア周辺にも住宅が開発され、新たに開発された地域も含めてグリーンベルト市を構成していますが、第1期、第2期にまち開きが行われたエリアはオールド・グリーンベルト(Old Greenbelt)と呼ばれており、1997年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物(National Historic Landmark)に指定されています。
大阪府の千里ニュータウンのまち開きは1962年で、グリーンベルトより25年後輩ということになります。初めてグリーンベルトを訪問したのは2008年。それ以来、何度かグリーンベルトを訪問しましたが、計画住宅地の先輩であるグリーンベルトからは多くのことを教えられ、気づかされました。

協同での住宅/住宅地の管理とそれを支える専門家集団

現在、第1期、第2期に開発された住宅の大半を占める1,600戸の住宅、及び、その住宅のある土地はグリーンベルト・ホームズ(GHI=Greenbelt Homes Inc.)という協同組合によって管理されており、グリーンベルトの価値を継承する努力がされています。ここでいう価値とは、住宅/住宅地という物理的なものの側面に加えて、「自分たちが必要とするものは、自分たちが出資して実現する」というグリーンベルトの精神も含まれています。加えて興味深いのは、グリーンベルト・ホームズには財務、メンテナンス、コミュニティなど約40人もの専門家が働いていること。わずか1,600戸の住宅/住宅地にこれほど多くの専属の専門家(ある方の表現によれば、「グリーンベルトのことだけを考えてくれる専門家」)がいることには驚かされます。

1,600戸に対して約40人の専属の専門家というのは、次のようなイメージになります。千里ニュータウン12住区の世帯数は45,883世帯(2017年3月31日現在)、1住区の平均にすると約3,824世帯なので、各住区に80人ほどの専属の専門家がいるというイメージ。あるいは、大船渡市末崎町は1,517世帯(2017年6月30日現在)とほぼグリーンベルト・ホームズと同じ世帯数なので、末崎町のことだけを考えてくれる専門家40人が、「ふるさとセンター」で働いているというイメージになります。

住民自らが様々な団体・活動を立ちあげていること

グリーンベルトには住宅/住宅地を管理するグリーンベルト・ホームズ以外に、現在でも保育園、スーパーマーケット、信用金庫、グリーンベルト・ニューズレビュー(Greenbelt News Review)という地域新聞、ニューディール・カフェ(New Deal Café)というコミュニティ・カフェが協同組合によって運営されています。これは「自分たちが必要とするものは、自分たちが出資して実現する」という精神の表れだと言われています。

協同組合の中で、ニューディール・カフェのオープンは1995年と比較的最近であり、住民自らが団体・活動を立ち上げるのは今でも継承されていることも興味深い点です(ニューディール・カフェは千里ニュータウン新千里東町のコミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」と似ていることも興味深い)。また、協同組合ではありませんが、2008年には非営利法人によりファーマーズ・マーケット(Greenbelt Farmers Market)もスタートしています。

オリジナルの建物がメンテナンスされ使われ続けていること

千里ニュータウンでは建替えによりまち開き当初の風景がどんどんと変わっていくのに比べて、グリーンベルトでは住宅の建替は行われておらず、増築や設備の更新により、現在の暮らしに適合するようにされていることも目を引きます。
タウンセンターは一時寂れていた時期もあったようですが、現在、外観はほぼオリジナルな状態に戻されています。そして、大統領の生誕100周年を記念して、1982年にタウンセンターはルーズベルト・センター(Roosevelt Center)と名付けられました。また、かつて小学校だった建物は、現在はコミュニティ・センター(Community Center)として利用されています。

歴史が大切にされていること

計画住宅地(ニュータウン)には歴史がないと思われがちですが、グリーンベルトには、まち開き50周年の一環として、1987年に街の歴史に関わるミュージアム(Greenbelt Museum)が開かれました。第1期の住宅(Block House)の1住戸分を市が買い取ることで開かれたミュージアムでは、まち開き当初の暮らしが再現されており、また、住民ボランティアから当時の暮らしを紹介してもらうこともできます。2016年にはミュージアムに隣接していた住戸も市が買い取り、現在、ミュージアムの拡張として訪問者や教育のための場所(Visitor and Education Center)にする作業が進められています。

コミュニティ・センター内にもギャラリーがあり、特定のテーマの展示がされています。また、図書館内にはタグウェル・ルーム(Tugwell Room)という資料室があり、グリーンベルト開発にまつわる資料、地域新聞の80年間分のバックナンバーなど豊富な資料が揃えられているなど、街の歴史へのアクセスが多様に存在しています。もちろん、上に書いた通りグリーンベルトでは住宅の建替が行われていないため、住宅/住宅地の存在自体が歴史的であるということも重要です。

アートが身近なものとしてあること

グリーンベルトの暮らしにはアートが密接に関わっています。
ニューディール政策では、公共事業促進局(WPA=Works Progress Administration、後に Work Projects Administrationと改称)により、アーティストに職を提供するための事業も行われました。レノア・トーマス(Lenore Thomas)によるアメリカ合衆国憲法の前文(Preamble)の理念を表現したコミュニティ・センターの彫刻、ルーズベルト・センターの母と子の像(Mother and Child Statue)もこの事業の一環として制作されたものです。WPAによる事業は、後にパブリックアートを生み出すにつながったとも言われています。

歴史的なアートに加えて、現在、コミュニティ・センターにアーティスト・イン・レジデンス(artist-in-residence)のためのスタジオがあったり、ニューディール・カフェがメリーランド州から唯一「The 35 Best Folk Music Venues in the U.S.」に選ばれたなどの近年の動きもあります。

歴史とアートの重なりという点では、グリーンベルトまち開き75周年として行われたまちびらき当時の女性(主婦)の生活を表現する「ホームタウン・ヒーローズ(故郷の英雄たち/Hometown Heroes: 75 Years of Extraordinary Greenbelt Women)」というダンス・インスタレーションも興味深かったです。

歩車分離のための計画手法

グリーンベルトではスーパーブロック方式が採用されています。スーパーブロック方式とは住区を取り囲むように幹線道路を配置することで、住宅の周りから通過交通が排除するというもの。また、車道と歩道の立体交差もあり、幹線道路の下を通る歩行者用のトンネルが3箇所あります。これら歩車分離の手法は、グリーンベルトに先行して開発されたアメリカ・ニュージャージー州の計画住宅地、ラドバーン(Radburn、1929年以降に開発)で用いられた手法を継承したものであり、さらに、これらの手法は千里ニュータウンなど日本のニュータウン開発にも取り入れられました。

住宅の配置も次のような工夫がされています。住宅は駐車場のあるコート(Court)を囲むようにまとまりを持って配置されています。このコートがコミュニティのまとまりの単位となっており、各コートにはコート・リエゾン(Court Liaison)という役割の人がいて、人々のまとめ役になっています。
さらに各住戸はコート側のサービス・サイドと、庭のあるガーデン・サイドの両側からアクセスできるように配置されています。ガーデン・サイド側には各住戸ごとの庭。入居開始から80年の間に木々も大きく育っており、まるで森の中に住んでいるような印象を受けます。

まち開きの時点ではまっさらだった計画住宅地(ニュータウン)が、暮らしの歴史を重ねることで、成熟した街になっていくとはどういうことかを考える上で、グリーンベルトからは色々なことを教えられ、気づかされます。