『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

大船渡市末崎町の各地域の世帯数の推移

大船渡市末崎町には、2011年の東日本大震災前には18の集落(部落)がありました。
「末崎の郷土誌」刊行委員会編『末崎の郷土誌』(末崎愛林公益会 2005年)には各集落の世帯数が掲載されていますので、世帯数の推移をみたいと思います。

1949年8月31日時点の戸数

「末崎村勢要覧から」によると、1949年8月31日時点の末崎村の世帯数は909戸。戸数が多い集落を順に見ると神坂(94戸)、内田(72戸)、細浦(69戸)となっており、現在の細浦地区の集落の戸数が多くなっています。

『末崎の郷土誌』によると、当時は18の集落が前方(まえかた)、後方(うしろかた)に分けて呼ばれていたようです。

昭和二十四年頃の末崎村の行政区別は次の通り十八部落に分け、各部落に一名あての連絡員を配置し、各種通達事項、その他村当局の外郭として生産奨励、衛生、道路清掃等に協力を願っている。
現在はあまり呼ばれていないが、村当時末崎村の地形上、村を二つに分けて、船河原、峰岸、内田、細浦、中野、神坂、小細浦、平を後方〔うしろかた〕と呼び、また小田、梅神、小河原、門之浜、中井、西舘、泊里、碁石、三十刈、山根を前方〔まえかた〕と呼んでいた。(p333)
*「末崎の郷土誌」刊行委員会編『末崎の郷土誌』末崎愛林公益会 2005年

1975年4月1日時点の世帯数

住民基本台帳によると、1975年4月1日時点の末崎町の世帯数は1,385世帯。小河原(155世帯)、中野(142世帯)、神坂(126世帯)の順に個数が多くなっています。
小河原の世帯数が急増しているのは、1971年から宅地の分譲が始まった新興住宅地の大田団地が始まったことが大きな要因だと考えられます。

2007年4月1日時点の世帯数

住民基本台帳によると、2007年4月1日時点の末崎町の世帯数は1,612世帯。大田団地のある小河原(262世帯)が最も多く、次いで平(185世帯)、中野(154世帯)が多くなっています。

2017年9月時点の世帯数

「居場所ハウス」では、毎月、末崎町内の全戸に行事一覧表などを配布しています。配布の際に参考にしている館報等配布数によれば、2017年9月時点の末崎町の世帯数は1,391世帯。震災前の2007年からは世帯数が減少し、1975年時点の世帯数に近くなっていることがわかります。
東日本大震災の津波による大きな影響を受けた泊里は解散(2013年)、細浦と内田の合併(2017年)と18あった集落は16になった一方で、55戸の災害公営住宅「平南アパート」が独自の自治会を結成するという動きも見られます。
津波の被害を受けた小河原は人口が減少し、高台移転が多数行われた平が242世帯と最も世帯数が多くなっています。

1949年の戸数に対する2017年の世帯数の割合をみると、小河原が5倍、平と中野が約3.5に増加している一方で、中野以外の細浦地区である峰岸、細浦、神坂では世帯数が減少していることがわかります。