『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

イギリスのレッチワース・ガーデンシティ(田園都市)(2025年3月)

レッチワース・ガーデンシティ(Letchworth Garden City、以下、レッチワース)は、エベネザー・ハワード(Ebenezer Howard、1850年1月29日〜1928年5月1日)の理念に基づいて建設された最初のガーデンシティ(田園都市)。ガーデンシティとは、都市の過密で劣悪な環境を解決するため、「都市(町)」でも「いなか」でもない第三の選択肢として提案されたもの。

「実際には、選択肢はみんながいつも考えているように、二つ——つまり町の生活といなか生活——しかないわけではない。第三の選択肢があり、そこではきわめてエネルギッシュで活発な町の生活の長所と、いなかの美しさやよろこびのすべてが完全な組み合わせとなって確保されるのだ。そしてこの生活を送れるという確実性が、われわれみんなの追い求める効果を生み出す磁石となる——人々は混雑した町を自発的に出て、優しき母なる大地の腹部に戻るのだ。そこは生命とよろこび、富と力の源となるだろう。だから町といなかは、二つの磁石と考えることができる。どちらも人々を引きつけようと努力している——このライバル関係に、両者の性質を兼ね備えた新しい生活形態が参加しようというわけだ。これは「3つの磁石」の図によって示せる。この図では、町といなかの主な長所が、それぞれ対応する欠点とともに描かれているが、「町・いなか」のメリットは、その双方の欠点から逃れているのである。」

「町といなかは結ばれなくてはならない。そしてこの喜ばしい結合から、新たな希望、新たな暮らし、新たな文明が生まれるだろう。本書の目的は、町・いなか磁石をつくることで、この方向への第一歩をいかにして踏み出せるかを示すことである。そしてわたしは読者に、これがいますぐここで実現可能なものであり、しかもその原理は倫理的にみても経済的にみても、きわめてしっかりしたものだということを納得してもらいたいと思っている。」(エベネザー・ハワード, 2000)

レッチワースは1903年から開発が始められました。1920年には2番目のガーデンシティとしてウェリン・ガーデンシティ(Welwyn Garden City、以下、ウェリン)の開発が始められています。

レッチワース、ウェリンへは2010年5月に訪問し、今回、15年ぶりに再訪する機会がありました。再訪で印象に残ったのは、以前目にした光景とほとんど変わっていないということ。

ここではレッチワースの再訪で見かけた光景をご紹介したいと思います。

レッチワース・ガーデンシティ駅

レッチワースは、ロンドンの北約55kmの位置に開発。ロンドンのキングス・クロス駅(King’s Cross station)から乗車。途中、スティヴネイジ駅(Stevenage Station)で乗り換え、約35分でレッチワース・ガーデンシティ駅(Letchworth Garden City Station)に到着しました。駅舎の店が変わっていましたが、駅舎自体は変わっていません。

タウンセンター

駅の南東にはタウンセンターがあり、スーパーマーケットをはじめとする各種の店舗、カフェ、パブ、レストランなどが並んでいます。タウンセンターの道は歩道が広くとられており、道にはパブ、カフェ、レストランの前には屋外席も出されています。道が細長い公園のようになっていると感じました。

レイズ・アベニュー(Leys Ave)とステーション・ロード(Station Rd)をつなぐように、ザ・アーケード(The Arcade)というモールがあります。レイズ・アベニュー側の出入口脇に、エベネザー・ハワードの理念にちなんだ「3つの磁石」(The Three Magnets)という名前のパブ。16時半頃通りかかった時、店内では多くの人が過ごしていました。

ザ・アーケードのステーション・ロード側の出入口脇には、以前、レッチワース・ガーデンシティ・ヘリテージ財団(Letchworth Garden City Heritage Foundation、以下、ヘリテージ財団)が運営する観光情報センター(Tourist Information Centre:TIC)がありました。
しかし、2019年2月にヘリテージ財団が、ブロードウェイ・ガーデンズ(Broadway Gardens)北西のワン・ガーデン・シティ(One Garden City)という建物に移転したのに伴い、観光情報センターは閉鎖。2019年7月、ワン・ガーデン・シティに、観光情報センターの機能をもつディスカバー・レッチワース(Discover Letchworth)がオープンしました。ディスカバー・レッチワースは、住民、そして、世界中から訪れる観光客に対して、街の特別なヘリテージ、アートや文化に関するイベント、団体やグループによる活動、地域サービスなど、街のあらゆる情報を提供する「ワンストップのショップ」(one stop shop)として運営。財団が、以前の観光情報センターを閉鎖して、新たにディスカバー・レッチワースを開いた背景には、環境情報センターが住民に十分な情報を提供できていなかったという状況をふまえ、コミュニティの要望に応えた場所を実現するという目的もあるということです*1)。
訪れた時、観光情報センターのあった場所は、別の店舗が営業していました。

ブロードウェイ

駅から真っすぐ南に、約1.3kmにわたってブロードウェイ(Broadway)が通っています。

ブロードウェイをしばらく進むと、ブロードウェイ・ガーデンズ(Broadway Gardens)という大きな楕円形の広場に出ます。レッチワースの中心的な広場で、中央には芝生の広場、南には噴水。

ブロードウェイ・ガーデンズを囲むようにレッチワース・ガーデンシティタウンホール(Letchworth Garden City Town Hall)、レッチワース図書館(Letchworth Library)、ヒュー・オブ・リンカーン・カトリック教会(St Hugh of Lincoln Catholic Church)などの建物が建っています。タウンホールは、ロバート・ベネット(Robert Bennett)、ウィルソン・ビドウェル(Wilson Bidwell)の設計で1935年に完成したジョージアン様式の建物。図書館は1938年に完成した建物です*2)。

ブロードウェイ・ガーデンズの北西に、ヘリテージ財団のオフィスがあるワン・ガーデン・シティ(One Garden City)の建物があります。

ワン・ガーデン・シティに、2019年6月、ミュージアム・アット・ワン・ガーデンシティ(Museum at One Garden City)がオープンしました。レッチワースの社会史を展示するミュージアムで、写真、家具、日用品、おもちゃ、テキスタイルなどが展示されています*3)。
訪れた日は、残念ながら展示替え中で臨時休業のため、エントランス部分までしか入ることができませんでしが、絵葉書、タオル、本などのグッズが販売されているのを確認することができました。絵葉書は、1枚50ペンス(約95円)で、5枚で2ポンド(約380円)でした。

ハワード・パーク

タウンセンターの東側、ノートン・ウェイ・サウス(Norton Way South)に沿ってハワード・パーク(Howard Park)という公園があります。

公園には「EBENEZER HOWARD FOUNDED THIS TOWN1903」と書かれた記念碑。近くには、エベネザー・ハワードの理念などを紹介するパネルが設置されていました。

ハワード・パーク内に、ハワード夫人メモリアル・ホール(Mrs Elizabeth Howard Memorial Hall)があります。エベネザー・ハワードの最初の妻で、レッチワースに移転する直前に亡くなったエリザベス・アン・ビルズ(Elizabeth Ann Bills、〜1904年)を記念して、住民の募金と募金で建設された建物。設計は、レッチワースをデザインしたバリー・パーカー(Barry Parker、1867年11月18日〜1947年2月21日)、レイモンド・アンウィン(Raymond Unwin、1863年11月2日〜1940年6月29日)で、1906年、レッチワース最初の公共施設として完成しました。レッチワースにおける文学、音楽、政治の中心としての役割を担ってきたこの建物は、2007年に改築され、現在はレッチワース・ガーデンシティ・コミュニティ・グループ(Letchworth Garden City Community Group)の拠点として利用されています*4)。

インターナショナル・ガーデンシティ・エキシビション

ハワード・パークの南には、ヘリテージ財団が運営するインターナショナル・ガーデンシティ・エキシビション(The International Garden Cities Exhibition)があります。ガーデンシティの理念や歴史、世界へ与えた影響などを展示するミュージアムです。以前は、ファースト・ガーデンシティ・ヘリテージ・ミュージアム(First Garden City Heritage Museum)という名称で、2013年、現在の名称に変更されました*5)。
建物はレッチワースをデザインしたバリー・パーカー(Barry Parker)が、自身とレイモンド・アンウィン(Raymond Unwin)のための設計事務所として設計したもので、1907年に完成。バリー・パーカーが亡くなった後、ヘリテージ財団の前身であるレッチワース田園都市公社(Letchworth Garden City Corporation)に寄付され、ファースト・ガーデンシティ・ヘリテージ・ミュージアムとして開かれることになりました。2020年の新型コロナウイルス感染症によるパンデミックによって休館になったようで、現時点でも再開されていないようでした*6)。

レッチワースの住宅

ブロードウェイ・ガーデンズ(Broadway Gardens)からは、放射状に道路が通されています。この日は、ブロードウェイ・ガーデンズから伸びるピクモア・ウェイ(Pixmore Way)、メドー・ウェイ(Meadow Way)、サウス・ビュー(South View)と、レッチワースを南北に走るノートン・ウェイ・サウス(Norton Way South)付近を歩いただけですが、住宅地の光景は以前と変わっておらず、今回も、どの住宅も綺麗に住まわれているという印象を抱きました。


現在、レッチワースの周辺では開発の計画が進められています*7)。けれども、今回歩いた中心部の光景は、15年前と変わっていませんでした。ファースト・ガーデンシティ・ヘリテージ・ミュージアムがインターナショナル・ガーデンシティ・エキシビションに名称変更し、新型コロナウイルス感染症により休館となっていたり、レッチワース観光情報センターが閉鎖していたり、店舗が変化していたりという小さな変化はあるものの、100年以上前に建設された建物点在する光景は変わっていない。
千里ニュータウンでは、再開発によって町の光景が急速に変化していく状況で、どのように町の歴史を記録し、共有していくかという問題意識からディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)という活動を行ってきました。ほとんど変化していないレッチワースの光景を目にすると、どのようにして急速に変化していく町の歴史を記録し、共有していくかという課題は、もしかすると特殊な状況かもしれないとも考えさせられました。


■注

■参考文献

  • エベネザー・ハワード(山形浩生訳)(2000)『明日の田園都市』プロジェクト杉田玄白