『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

住まいを開く試み@イギリスのガーデンシティ

1つの住戸は、1つの家族が住む閉じた空間である。
当たり前のことだと思われるかもしれませんが、「シェア住居」「シェアハウス」、「住み開き」など、近年ではそうではない住まい方が提案されています。

「シェア住居」「シェアハウス」、「住み開き」などは近年耳にする機会が多くなった言葉ですが、そう遠くない昔、住戸は必ずしも1つの家族だけが生活する閉じた空間ではなく、家族(核家族)以外の人々が共に住んだり、頻繁に出入りしたりするのが当たり前でした。今では書生という言葉を日常生活で使うことはありませんが、例えば、夏目漱石の小説を読んでいるとこの言葉が出てきます。

そこまで昔に遡る必要はなく、自身の経験を振り返っても、実家は決して閉じた空間ではなかった。戦前に建った家で、窓・障子を開け放すと外から部屋の中が見えてしまうという、家の造りとして物理的に閉じていないという意味もあります。加えて、実家にはしょっちゅう親戚の人が来ていました。春と秋のお彼岸、夏のお盆にはお墓参りに来られて、その帰りには座敷にある仏壇を拝んでいかれます。お正月には親戚の集まり。何年かに一度は法事があるので、その時も親戚の人が集まります。昨年は祖父の50回忌がありました(頻繁に親戚の人がやって来るのは煩わしい側面もありますが)。住戸は決して家族(核家族)だけに閉じていなかった。

「講」の集まりを開いているという親戚の家もありましたし、地方ではまだまだこのような暮らしが(細々とであっても)続いているのだと思います。

こんなことを考えると、住戸が、1つの家族が住む閉じた空間が当たり前であったのは、日本においては20世紀半ば以降、色々な条件が偶然積み重なって、ある限られた地域に奇跡のように成立した現象ではないかという気さえしてきます。急には変わらないとしても、「シェア住居」「シェアハウス」「住み開き」などの実践が次々生まれていることを考えると、これから先、住宅がどうなっていくかはわからないと思います。


話はイギリスに飛びます。

日本のニュータウンは、イギリスのガーデンシティ(田園都市)の流れを汲むものだとされていますが、エベネーザー・ハワード(Ebenezer Howard, 1850〜1928)の理念に基づいて作られたレッチワース(Letchworth, 1903〜)、ウェリン・ガーデンシティ(Welwyn Garden City, 1920〜)の2つのガーデンシティに建てられたいくつかの住宅では、食事を協同化するという試みが行われていたようです。

「・・・・・・田園都市は、労働者階級の壊れやすい生活基盤を住宅と居住環境によって支え、さらに伝統的な男女間の分業を見直し、無視されがちな少数の者に光を与えるという社会的実験を目的としていた。当時の労働者階級の生活実態を直視し、生活の貧しさを補う住戸プランと居住環境の創造をめざしていたわけである。
男女間の分業を見直すとは、仕事と家事労働の二重の負担を負っている労働者階級の女性を、家事労働から解放することであった。家事労働を家族内の仕事として個別的なものにするのではなく、近隣単位で共同化しようとした。ハワードの意を受けたアンウィンらは、食事づくりの協同化に取り組み、協同の調理室と共同の食堂がある住戸グループを設計した。さらに個人の住戸内には簡単なキッチンをもうけ、共同で食事することも、自宅で食事をつくることもできるようにした。重要なのは、個人の意思や生活スタイルを尊重することであり、必要な時には助け合う体制もあるという、強制されない共同性の創造であった。食事を協同化する経営形態は居住者が決めることとされ、料理人を女性居住者のなかから応募することも、あるいは専門スタッフを雇用することも可能であった。・・・・・・
このように田園都市は、個人の自立を支援する空間構成を計画的に創りだそうとするものであった。田園都市は、近代産業社会に生じた都市・農村問題や社会的貧困問題を、物的環境の改善を通じて解決する社会実験の場であったといえよう。」
*西山八重子『イギリス田園都市の社会学』ミネルヴァ書房 2002年

メドウェイ・グリーン(Meadow Way Green)

かつて食事を協同化する試みが行なわれた住宅の1つ、レッチワースのメドウェイ・グリーン(Meadow Way Green)。昨年の訪問時に撮影したものです。

ゲッセンス・コート(Guessens Court)

ウェリン・ガーデンシティ(Welwyn Garden City)のゲッセンス・コート(Guessens Court)でも、かつて食事の協同化が試みられていました。
建物で囲まれた中庭(Court)をもつタイプの住宅。ゲートをくぐると芝生の中庭が広がり、中庭から各住戸にアクセスできるようになっています。訪れた日は、雨降りの寒い日だったため、中庭で過ごしている人はいませんでしたが、気候がよければ気持ち良さそうな場所なのだと思います。

ニュータウンに対しては様々な批判がなされています。だからと言って、ハワードの考えも一緒に捨ててしまうのはもったいない。ここで紹介した共同で住まうということだけにとどまらず、ハワードが実験を試みたものの中には、現在に通用するものが色々とありそうです。そういう意味で、ハワードやガーデンシティを見直せる可能性はありそうです。


6月末、ディスカバー千里の活動として、新千里東町の府営住宅集会所で開かれている「3・3ひろば」を訪れました。新千里東町の府営住宅(階段室型の5階建ての建物)の1階にお住まいの方から、次のような話をお聞きしました。

同じ階段室の3階に、うちと同じくらいの年齢の子どもがいる家族が住んでいた。その子どもは、3階の自分の家まで登るのが面倒臭いから、私の家に入ってきて、「お茶ちょうだい」と冷蔵庫を勝手に開けて飲んでいた。そのため、大きいやかんを買って、お茶を沸かした。今はこんなことやってないけど、昔はみんなこんなんやったよ、と。

府営住宅の扉は鉄の扉。住戸の内外を隔離する悪者だと批判されることのある鉄の扉です。けれども、この方の話からは、たとえ鉄の扉だったとしても、それだけで住戸が閉じてしまうわけではなく、子どもたちが入ってくるなど開かれた住まい方が実現されていたことがわかります。建築は人々の暮らしに大きな影響をもたらしますが、建築が閉じていたとしても、人々は住戸を開いて暮らしてきた。人が暮らすというのは何て力強いのだと思わされたエピソードです。

近年の新千里東町は、「3・3ひろば」や、近隣センターの「ひがしまち街角広場」が開かれたり、様々なグループが活発に活動したりしている住区として有名ですが、かつて住戸を開くことによって築かれてきた人々の関係も、近年の活動の基盤を形成するのに寄与しているのではないかと思います。

(更新:2018年11月2日)