阪神大震災後、仮設住宅での孤独死が大きな問題となりました。孤独死を防ぐために重要なのがコミュニティ。この考えは広く共有されたものになっています。今回の東日本大震災でもこの知見が活かされていますが、次のような次のような記事を見かけました。
東日本大震災の被災者のための仮設住宅や市営住宅などへの応募を、仙台市が「10世帯以上の団体申し込み」に限定したため、「そんなに集められない」と被災者に戸惑いが広がっている。被災者の孤独死が相次いだ阪神大震災を教訓にした策だったが、締め切りまであと3日の時点で応募はわずか3件。市は早くも見直しを迫られている。
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「必ずグループ単位で。単独では仮設や市営住宅に入れません」。今月9日夜、仙台市若林区の若林体育館。市の担当者が約300人の被災者に説明すると、「仲良しグループだけが集まればいいのか」「グループに入らない人はどう生きていけばいいの」と批判の声があがった。市は11日から市民を対象に入居希望者の受け付けを始めたが、371戸の募集に対し、申し込みは15日までで3件計35戸分にとどまる。締め切りは18日だ。
市がグループにこだわるのはなぜか。担当職員は「神戸では高齢者を優先的に仮設住宅に入れた結果、地域コミュニティーが崩れ、孤独死を防げなかった」と話す。仙台市役所へ応援に来た神戸市職員からも苦労話を聞かされた。お互いに助け合えるグループが、まとまって入居するのが最善と判断したという。
*「「団体限定」避難住宅に困惑」・『朝日新聞』2011年4月17日
この記事を取り上げたのは、仙台市の職員の方々を非難するためではありません。建築計画学ではコミュニティをどのようなものとして描いてきただろうかと考えさせられることの多い記事だったからです。
コミュニティという言葉を使えば、暖かな人間関係が既にそこにあるかのように錯覚してしまう状況。コミュニティという言葉が指し示ものが、昔ながらの地域の人間関係、お互いに気心が知れた者同士の集まり(もちろんこれはコミュニティの1つの側面ですが)というような画一的なものになっている状況があるのかもしれない。
こうした状況に対して、哲学者・鷲田清一氏の次の言葉が浮かびます。
「コミュニティの崩壊」ということがしきりにいわれるが、失われたコミュニティというのは、そういうたがいにそれとはなしに気を配りあう関係、つまりは期待しすぎもしなさすぎもしない、破裂する前に可能なかぎりのフレクシブルな形をとりつつ身を持してゆくクッションのような関係のことではなかったのか。
見て見ぬふりをするのではなく、見ないふりをしてちゃんと見ているようなまなざし。かつての職住一致の生活空間には、そのようなまなざしが、まなざしとして刺さないよう気づかわれつつ、そこここに充満していた。家庭の事情で子どもが泣きじゃくりながら通りを駆け抜けるのを見、すぐにでも声をかけてやりたいところだが、その場しのぎの解決にしかならないことを知っていて、だからだれそれとなく、無茶をしないかと黙って遠目に見ているような光景が、あたりまえのこことしてあった。「育てる」などといわずとも、そこにいれば子どもが「見ぬふりして見る」大人たちに囲まれて「勝手に育つ」、そのような場が。
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とんだ夢想かもしれないが、わたしは大都市にあっても郊外のベッドタウンにあっても、シャッターの下りた地方都市にあっても、「限界集落」と呼ばれるような過疎地にあっても、職住一致というポリシーでまちを再構築することを本気で考えなければならない時代がきているようにおもう。
*鷲田清一「「期待」の中点」・鷲田清一 内田樹 釈徹宗 平松郁夫『おせっかい教育論』140B 2010年
コミュニティを巡る問題は大きなものであり、それを一気に解決することはできませんが、鷲田氏が「見て見ぬふりをするのではなく、見ないふりをしてちゃんと見ているようなまなざし」と表現されているように、コミュニティを豊かな意味をもつ言葉として鍛え上げていくこと、そのための言葉を生み出すこと。
現在起きている問題を考えると、悠長なことを言ってる場合ではないというのは事実かもしれません。しかし、こうしたことを少しずつ積み重ねていくことでしか大きな問題を解決することはできないことも、頭の隅に置いておきたいと思います。
その後、岩手県大船渡市に移り住み、山岸仮設、大田仮設に住まわせていただき、また、「居場所ハウス」の運営のお手伝いをさせていただきましたが、コミュニティについてここで書いたこと、つまり、「コミュニティを豊かな意味をもつ言葉として鍛え上げていくこと」が必要だという考えには変わりありません。
(更新:2019年2月15日)