昨年末、地域に対して外部の存在という立場で関わっておられる方の話を伺う機会がありました。外部の存在が地域に関わることで、地域内で固定化しがちな関係を溶かすことができる。また、特に大学が近くにない地方にとっては、外部から大学生が関わることで活気も出てくるし、大学生にとっても貴重な学びの場所になると。
固定化しがちな関係を溶かすことについては、鷲田清一氏が「〈はぐれ〉というスタンス」として指摘していることに通じています。そして、鷲田清一氏によればこれがアートなのだと。
「人びとが固まりはじめたら、人びとをつなぐシステムが凝固しはじめたら、すぐに溶剤をかける。固まるものからたえずすり抜ける。糾合しようという動きにたえず 抗う。そのようにいつもシステムの外部に片足を掛けていようとする人は、システムから外されてきた人たちの輪にもたやすく入ってゆける。」
「そして、わたし(たち)の存在を塞ぐもの、囲い込むもの、凝り固まらせるものへの抗いとしてこそ、アートはある。他者との関係、ひいては自己自身との関係をたえず開いておくために、そこにすきまをこじ開ける動性として、アートはある。とすれば、生を丸くまとめることへの抗いとして、アートはいつも世界への違和の感覚によって駆動されているはずである。そしてそれがまた、システムにぶら下がらなくても生きてゆける、そんな力の育成につながるはずである。そう、《生存の技法》に、である。」(鷲田清一, 2016)
実は、自身にとっても外部の存在と地域との関わりは考え続けてきたテーマでもあります(例えば、こちらの記事を参照)。考えるきっかけになったのは、大学院の頃の千里ニュータウン、特に、新千里東町の「ひがしまち街角広場」との関わりです。
大学院の時、新千里東町での灯りプロジェクトに関わりました。この関わりを通して、外部の存在が地域にアクセスする上では、「その場所に(いつも)居て、その場所を大切に思い、その場所において何らかの役割を担っている」存在としての場所の主(あるじ)が大きな役割を担っているのではないかと考察しました。
その後、「居場所ハウス」との関わりを通して、大船渡市末崎町で生活することになりました。末崎町では仮設住宅(山岸仮設・大田仮設)と、仮設住宅閉鎖後は空き家を借りて生活しましたが、仮設住宅に入居したきっかけは仮設住宅支援員の方が声をかけてくださったことです。その後、空き家を借りる際には、「居場所ハウス」の館長かつ地域の元公民館長が持ち主に連絡を取ってくださいました。場所の主(あるじ)抜きには、外部の存在がこれらの住宅を借りることは不可能だったと改めて思います。
外部の存在が地域にアクセスできることを地域が開かれた状態だとするならば、地域が開かれるためには場所の主(あるじ)の存在が重要ということになる。
重要なのは、場所の主(あるじ)はその場所において特別な役割を担っているということ。例えば、新千里東町の灯りイベントで協力していただいた場所の主(あるじ)は、「ひがしまち街角広場」の代表、「千里竹の会」の代表である。一方、末崎町で生活を始めるにあたってサポートしていただいた場所の主(あるじ)は仮設住宅の支援員、「居場所ハウス」の館長かつ地域の元公民館長です。ある場所において特別な役割を担っている人がいるということは、言い換えれば、その場所への関わり方は皆が均一というわけではないということです。しかしだからこそ、「自らの責任」で外部の存在と関わることが可能になる。
逆に外部の存在にとっては、あくまでもその場所の主(あるじ)との個人的な関係を介して地域へのアクセスが可能になっているため、個人的な関係のあり方によってはアクセスできない可能性がある。つまり、誰にとっても均一なかたちではアクセスできないということです。
もしも、皆のある場所に対する関わり方が均一であり(主(あるじ)が存在せず)、それゆえ、誰もが「自らの責任」をもつことができなければ、会議で議論したり、多数決を取ったりという形式を通して皆の意見をまとめる必要がある。あるいは、どのような外部の存在のアクセスを受け入れるかという客観的な基準を作るという話になるかもしれない。そうなると、外部の存在がアクセスできなくなる可能性があり、何よりも時間がかかってしまう。
もちろん、会議で議論することや、多数決を取ったり、客観的な基準を作ったりすることが意味がないと言ってではありませんが、地域は外部の存在に対してそのようなかたちでは開かれない場合もあるということです。そのようなかたちは公共的ではないという指摘があるかもしれませんが、山本哲士氏が次のように指摘しているように、「公共性」と「公/パブリック」とは違うのだということです。
「「プライベートなもの=わたし」を生かすのがパブリックな場であり、それは「私=自己」を捨てるのではない。私を捨てさせるものは「ソーシャルなもの」「社会」であって、「公/パブリックなもの」は、本来は《わたし》を生かす原理である。この「公」を社会へ一致させてしまうのが「公共性」であり、それが国家へリンクされる。この、連鎖を、もうひとつの教育は断ち切らねばならない。
プライベートなものの存在原理は「場所」である。「わたし」は場所に於いて生きているのである。」(山本哲士, 2007)
ここで場所の主(あるじ)という表現を用いていましたが、主を意味する「host」と客を意味する「guest」の語源は同じであるとされています。
「主=客〔hôte〕。それはフランス語では、同時に、迎える者であり迎えられる者である。迎える主であり、迎えられる客である。ただひとつの言葉がこうした意味の反転可能性を支えている。コンテクストだけがその方向=意味を決定する。主〔hôte〕は客〔hôte〕を迎え、客〔hôte〕は主〔hôte〕によってもてなされる。言語の肉そのものが測り知れない反省性=反照性をもっている。」
「歓待の本質は、客をもてなす主の側には求められない。歓待の本質はあくまでも、やってくる客をめぐって規定される。歓待が普遍的な尊敬の対象となり、侵すべからざる命令となるのは、この客をめぐる規定としてにほかならない。そしてこの歓待の掟は、人間的なるものから由来するのではなく、むしろ歓待の掟こそが人間的なるものの定礎をなすのである。」(シェレール、ルネ, 1996)
なお、この日伺った話では外部の存在が地域にアクセスする上では所有原理ではないものに言及されていました。「無縁の場――だれにも所有されていない場所」について、鷲田清一氏が次のように指摘しています。
「しかし、とおもう。無縁はかならずしもつねに個人の遺棄や孤立をのみ意味するわけではないからだ。いまは亡き中世史家、網野善彦は、人類は人びとを管理し、領有する国家的な原理とは別に、それとは異なる社会的原理を育んできた。それが「無縁」、より正確にいえば「自覚化された」無縁の原理だという。そして、芸能や宗教などひとの魂を深く揺るがすような文化は、無縁の場――だれにも所有されていない場所であり、アジール(避難所)ともいえる場所である――に生まれ、無縁のひとたちによって担われてきたという。」(鷲田清一, 2011)
ここで言及されている網野善彦氏は、「有主・有縁と無主と無縁」の関係における矛盾について指摘しています。
「ただ、結局のところ、問題はこうした背理そのもの——「無縁」「無主」の原理によって、「有主」、私的所有の世界がはじめて成り立ち、それを媒介として発展するという矛盾そのものにある。もとより、私的所有の発展、「有主」の世界の拡大にのみ、人間の「進歩」の歴史を見出し、「おくれた」無主・無縁の原理は、それとともにたやすく克服されるという見方に立つ人々にとって、このような背理・矛盾を階級社会にまでもちこむということは、多分、考えてみたくもない問題にちがいない。しかし、事実はあくまでも事実である。」
「有主・有縁と無主と無縁とは、「不入」の場合にも背中合せに現われるのである。有主・有縁−私的所有が、無主・無縁の原理−無所有に支えられ、それを媒介としてはじめて可能になるという事実は、きわめて本質的な問題を提示している、と私は考えるが、この「矛盾」が最も本源的な姿をとって現われるのは、さきにもふれた「イエ」、家、屋敷であろう。」(網野善彦, 1966)
主と客との入れ替わりという「歓待の掟」、そして、「有主・有縁と無主と無縁」の関係における矛盾。これらの観点から、場所の主(あるじ)が存在するからこそ外部の存在がアクセスできることについて考察する必要があると考えています。
参考文献
- 網野善彦(1996)『増補 無縁・公界・楽』平凡社ライブラリー
- ルネ・シェレール(安川慶治訳)(1996)『歓待のユートピア』現代企画室 1996年
- 山本哲士(2007)『教育の政治 子どもの国家』文化科学高等研究院出版局
- 鷲田清一(2011)『だれのための仕事:労働vs余暇を超えて』講談社学術文庫
- 鷲田清一(2016)『素手のふるまい アートがさぐる〈未知の社会性〉』朝日新聞出版