クイーンズタウン(Queenstown)は、シンガポール・インプルーブメント・トラスト(Singapore Improvement Trust:SIT)によって、1950年代にシンガポールで最初のサテライト・タウンとして開発が始まり、1960年以降はHDB(住宅開発庁)が開発を引き継いだ街。HDBが1992〜2024年まで用いていた分類では「成熟した団地」(Mature estate)に分類されています。
「クイーンズタウンの物語
1953年9月27日、シンガポール・インプルーブメント・トラスト(Singapore Improvement Trust:SIT)のイギリス人職員が、1年前に行われたエリザベス女王(エリザベス2世)〔在位:1952年2月6日〜〕の戴冠式を記念して、この新しい街にエリザベス女王の名をつけたことから、クイーンズタウンの物語は始まります。この植民地の郊外は、SITがチャイナタウンの過密化を解消するために始めた最も野心的なプロジェクトでした。
リドウト通り(Ridout Road)、タングリン通り(Tanglin Road)、アレクサンドラ通り(Alexandra Road)、ホランド通り(Holland Road)、マレー鉄道に囲まれたこの自己完結型の土地には、7,000人が住む1万1000戸のアパート(apartment flats housing)があり、プロジェクトの費用は約8000万ドルでした。
・・・・・・。1960年2月、住宅開発局(HDB)が、植民地政府のSITを引き継ぐと、5つの計画されていた近隣住区(neighbourhood)のうち、近隣住区1(プリンセス・エステート:Princess Estate)、近隣住区2(ダッチェス・エステート:Duchess Estate)、近隣住区5(クイーンズ・クレセント:Queens’ Crescent)の3つの近隣住区で工事が開始されました。理事会は、さらにメイ・リン(Mei Ling)とブオナ・ヴィスタ(Buona Vista)の2つの近隣住区を追加しました。」
※『MY QUEENSTOWN Heritage Trail』April 2014の記載内容の翻訳。
千里ニュータウンは、日本で最初に開発されたニュータウンで、まちびらきは1962年。千里ニュータウンとクイーンズタウンは、同じような時期に「最初に」開発された郊外住宅地という共通点があります。
MRTのクイーンズタウン駅の北側のドーソン(Dawson)と呼ばれるエリアは、大規模な再開発が行われるとのことです。
クイーンズタウン駅の南側は長屋形式の住宅や、HDBが最初に建設した7階建ての住棟、そして、スポーツ施設やコミュニティ・センターがあります。
案内してくださった方から、興味深い話を伺いました。
クイーンズタウンには「My Queenstown」という街の歴史や情報を収集・発信しているグループがある、と。2人がクイーンズタウンの人々から聞き取りをしていたところ、クイーンズタウンでの生活を思い出にする人々が多いことに気づき、本格的な活動を始めたようで、2009年にウェブサイトを立ち上げ、その後、Facebook、Twitterなどのメディアを使いながら情報発信したり、現在は月に1度、まち歩きツアーも開催されているとのことです。
この日訪れたコミュニティ・センターには街の年表が展示されていたり、昔の写真や新聞記事が展示されていたり、街歩きのためのパンフレットが配布されたりしていました。
ウェブサイトには「My Queenstown」の目的として、次のような3項目があげられています。
- ①コミュニティの文化、ヘリテージ(遺産)、伝統の保存、教育を行う
- ②人種、言語、宗教に関わらず、住民を結びつける
- ③住民がコミュニティへの帰属意識とプライドを持てるようにする
「My Queenstown」の活動は、これまで千里ニュータウンで行ってきた「千里グッズの会」や「ディスカバー千里」の活動と通じるところがあるなと思います。同じような時期に「最初に」開発されたニュータウンで、同じような時期に、町の歴史に注目する活動が生まれていること。
団地に住まうという経験と、半世紀ほどが経過しそれが歴史とみなされていくプロセスには共通点がありそうです。その意味でも、千里ニュータウンは世界に繋がっていると言えるかもしれません。
「My Queenstown」のウェブサイトを見ると、色々な活動をされていることがわかります。千里ニュータウンでの活動の参考にさせていただきたいと思います。
(更新:2024年2月14日)