『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ニュータウンのヘリテージ・トレイル@シンガポールのクイーンズタウン

千里ニュータウンは2000年代以降、急速に再開発が進められています。3つの地区センターのうち千里中央、南千里の景色は大きく変化しました。府営住宅のほとんども建て替わり、現在、UR団地(かつての公団団地)の建て替えも進められています。

千里グッズの会」の活動に参加し、絵葉書の素材とするため千里ニュータウンの写真を撮り続けてきた経験を通して、再開発には良い面があるとしても、急速に変化する街をどのように記録できるのか、人工的に作られたニュータウンの歴史をどう継承するのかを考えるようになりました。こうした問題意識から、各国のニュータウンを訪れ、街の歴史を継承するためのコミュニティ・ミュージアムが開かれたり、街の歴史を継承するための活動が行われているのを知りました*1)。ただし、欧米のニュータウンや計画住宅地(Planned Community)では建物の建て替えがほとんど行われていないため街の景色は大きく変わっておらず、再開発によって建物の建て替えが進む千里ニュータウンとは状況が異なることも感じました。

建物の建て替えによってニュータウンの景色が大きく変わる中で、どうやってニュータウンの歴史を継承するのか。これを考えるうえで、シンガポールは日本と似た状況にあり、学べることがあると感じています。

クイーンズタウン(Queenstown)

シンガポールでは、国民の約8割がHDB(Housing and Development Board:住宅開発庁)が開発する住宅に住んでいると言われています。ここで紹介するのは、シンガポール最初の「サテライト・タウン」(satellite town)として1950年代にシンガポール・インプルーブメント・トラスト(Singapore Improvement Trust:SIT)による開発が始まり、1960年以降はHDBが開発を引き継いだクイーンズタウン(Queenstown)です*2)。

「クイーンズタウンの物語
1953年9月27日、シンガポール・インプルーブメント・トラスト(Singapore Improvement Trust:SIT)のイギリス人職員が、1年前に行われたエリザベス女王(エリザベス2世)〔在位:1952年2月6日~〕の戴冠式を記念して、この新しい街にエリザベス女王の名をつけたことから、クイーンズタウンの物語は始まります。この植民地の郊外は、SITがチャイナタウンの過密化を解消するために始めた最も野心的なプロジェクトでした。
リドウト通り(Ridout Road)、タングリン通り(Tanglin Road)、アレクサンドラ通り(Alexandra Road)、ホランド通り(Holland Road)、マレー鉄道に囲まれたこの自己完結型の土地には、7,000人が住む1万1000戸のアパート(apartment flats housing)があり、プロジェクトの費用は約8000万ドルでした。
・・・・・・。1960年2月、住宅開発局(HDB)が、植民地政府のSITを引き継ぐと、5つの計画されていた近隣住区(neighbourhood)のうち、近隣住区1(プリンセス・エステート:Princess Estate)、近隣住区2(ダッチェス・エステート:Duchess Estate)、近隣住区5(クイーンズ・クレセント:Queens’ Crescent)の3つの近隣住区で工事が開始されました。理事会は、さらにメイ・リン(Mei Ling)とブオナ・ヴィスタ(Buona Vista)の2つの近隣住区を追加しました。」
※『MY QUEENSTOWN Heritage Trail』April 2014の記載内容の翻訳。

クイーンズタウンには、シンガポール初の技術学校(1956年)、シンガポール初のポリクリニック(クイーンズタウン・ポリクリニック、1963年)、シンガポール初の国立図書館の分館(クイーンズタウン公立図書館、1970年)、複合スポーツ施設(クイーンズタウン複合スポーツ施設、1970年)のように多くの「社会的施設」(social institutions)が作られたということです。これらのいくつかは現在も運営され続けたり、建物が保存されたりしており、後に紹介するようにヘリテージ(遺産)として指定されています。クイーンズタウンの7つの近隣住区(neighbourhood)にはそれぞれの施設が設置されましたが、図書館(国立図書館の分館)、複合スポーツ施設のような大きな施設はクイーンズタウン全体で共有するように計画されていました*3)。

その後、クイーンズタウンは1990年代から2000年代にかけて再開発が始められています*4)。


千里ニュータウンは、1962年のまち開きで、2000年頃から大規模な再開発が進められてきましたが、クイーンズタウンも同じ時期に開発と再開発が進められています。
クイーンズタウンの面積は20.43km2(居住地の面積は2.10km2)、2020年の人口は95,930人*5)。これに対して、千里ニュータウンの面積は11.6km2、2020年の人口は100,135人。クイーンズタウンが面積が倍ですが、人口はほぼ同じです。

再開発が進むクイーンズタウンでは、街の歴史がどのように継承しようとされているのか。この点で、マイ・クイーンズタウン・ヘリテージ・トレイル(My Queenstown Heritage Trail)という興味深い取り組みがあります。

マイ・クイーンズタウン(My Queenstown)

マイ・クイーンズタウン(My Queenstown)は、2010年に設立されたマイ・コミュニティ(My Community)という団体の下部組織。元々、マイ・クイーンズタウン(My Queenstown)は、Kwek Li YongとJasper Tanの2人によって、①コミュニティの文化、ヘリテージ(遺産)、伝統の保存、教育を行うこと、②人種、言語、宗教に関わらず、住民を結びつけること、③住民がコミュニティへの帰属意識とプライドを持てるようにすることを目的として、2009年12月にオンラインコミュニティのポータルとして立ち上げられました。2人は、地域のガイドツアーを企画したり、ブログで地域の情報を発信するなどの活動を行い、その後、Facebook(2010年2月)、Twitter(2010年4月)、YouTube(2010年5月)というプラットフォームも活用用になりました。
2010年、Kwek Li YongとJasper Tanの2人によってマイ・コミュニティ(My Community)が設立。その後、マイ・コミュニティ(My Community)は、2015年12月12日に慈善事業法(Charities Act)に基づくチャリティ団体に登録、2016年12月13日にInstitution of a Public Character(IPC)*6)に登録されています。
マイ・コミュニティ(My Community)は2018年12月にミュージアム@マイ・クイーンズタウン(Museum @ My Queenstown)というコミュニティ・ミュージアムを開いています。また、500人のボランティアとともにガイドツアー、展示会、フェスティバルをはじめ、アートやヘリテージ(遺産)、プレイスメイキングのプログラムを行なっています*7)。

マイ・クイーンズタウン・ヘリテージ・トレイル(My Queenstown Heritage Trail)

マイ・クイーンズタウン(My Queenstown)が取り組んでいる活動の1つが、マイ・クイーンズタウン・ヘリテージ・トレイル(My Queenstown Heritage Trail)で、クイーンズタウン内の40ヶ所をヘリテージ(遺産)に指定し、それぞれの場所にまつわる歴史を紹介するガイドツアーが行われたり、冊子が発行されたりしています。

ヘリテージ(遺産)に指定されたそれぞれの場所には、写真のような掲示パネルが設置。その場所の歴史を紹介する文章と、40のヘリテージ(遺産)を掲載したマップが記載されています。

ヘリテージ(遺産)に指定されている40の場所は以下の通りです。

  • ①Former Queenstown Driving Centre(各種施設)●
  • ②Church of the Good Shepherd(宗教に関わる場所)
  • ③Former Forfar House(住宅:SIT)●
  • ④Princess House(オフィス・工場)
  • ⑤Queenstown Secondary School(学校)
  • ⑥Former Thy Hong Biscuit & Confectionary Factory(オフィス・工場)●
  • ⑦Jame Queenstown Mosque(宗教に関わる場所)
  • ⑧Lee Kong Chian Gardens School(学校)
  • ⑨Queenstown Baptist Church(宗教に関わる場所)
  • ⑩Queenstown Public Library(各種施設)
  • ⑪Former Queenstown Polyclinic(病院)●
  • ⑫Former Commonwealth Avenue Wet Market(店舗・マーケット)●
  • ⑬Former Venus & Golden City Theatres(各種施設)●
  • ⑭Mujahidin Mosque(宗教に関わる場所)
  • ⑮Former Baharuddin Vocational Institute(学校)●
  • ⑯The First HDB Flats(住宅:HDB)
  • ⑰Queenstown Sports Complex(各種施設)
  • ⑱True Way Presbyterian Church(宗教に関わる場所)
  • ⑲Tong Ghee Temple(宗教に関わる場所)
  • ⑳First Point Blocks(住宅:HDB)
  • ㉑The “Butterfly” Block & Stirling View Estate(住宅:HDB)
  • ㉒Former Archipelago Brewery Company(オフィス・工場)●
  • ㉓Queensway Shopping Centre(店舗・マーケット)
  • ㉔Alexandra Hospital(病院)
  • ㉕Alexandra Fire Station & Queenstown Neighbourhood Police Centre(各種施設)
  • ㉖Hang Jebat Mosque(宗教に関わる場所)
  • ㉗Colonial Terraces at Jalan Hang Jebat(住宅)
  • ㉘Black and White Buildings(住宅)
  • ㉙Former Malayan Railways(鉄道)●
  • ㉚Flats designed by the Singapore Improvement Trust(住宅:SIT)
  • ㉛Church of the Blessed Sacrament and Sri Muneeswaran Temple(宗教に関わる場所)
  • ㉜Tanglin Halt Neighbourhood Centre(店舗・マーケット)
  • ㉝Former Tanglin Halt Industrial Estate(オフィス・工場)●
  • ㉞Faith Methodist Church(オフィス・工場)
  • ㉟Shuang Long Shan Wu Shu Memorial Hall(宗教に関わる場所)
  • ㊱The First Flatted Factory(オフィス・工場)
  • ㊲The VIP Block(住宅:HDB)
  • ㊳Ridout Tea Garden(庭園)
  • ㊴Commonwealth Neighborhood Centre(店舗・マーケット)
  • ㊵Queenstown Lutheran Church(宗教に関わる場所)

※My Queenstown Heritage Trailの展示パネルより。順番は展示パネルに掲載されている順番。( )内は補足した情報。●は「Former」(旧)と表記されているものを表す。

ヘリテージ(遺産)に指定されている40の場所のリストを見て、特に千里ニュータウンと比較すると次のようなことに気づかされます。

1つ目は、指定されている場所の種類が多様で、宗教に関わる場所も多いこと。40の場所を大きく分類すると、宗教に関わる場所が10ヶ所、住宅が8ヶ所、オフィス・工場が6ヶ所、店舗・マーケットが4ヶ所、学校が3ヶ所などとなっています。ヘリテージ(遺産)に指定されているのはリスト教の教会、イスラム教のモスク、ヒンドゥー教の寺院、道教の寺院というように多様な宗教に関わる場所で、クイーンズタウンにはヘリテージ(遺産)に指定されている以外にも宗教に関わる場所があります。

手前がヒンドゥー教の寺院、奥がキリスト教の教会(㉛Church of the Blessed Sacrament and Sri Muneeswaran Temple)。異なる宗教の場所が隣り合っていることは、シンガポールが多宗教国家であることが伺えます。

1964年12月に開かれたイスラム教のモスク(⑦Jame Queenstown Mosque)。

クイーンズタウンで最も古い道教の寺院(⑲Tiong Ghee Temple)

大阪府企業局によって開発された千里ニュータウンでは、政教分離の考え方から宗教に関わる場所は計画されませんでした。そのため、街を歩いていても宗教に関わる場所をほとんど見かけません*8)。これが、千里ニュータウンとクイーンズタウンの大きな違いの1つです。

2つ目は、既に撤去・廃止されたり、用途が変更された場所も遺産(ヘリテージ)に指定されており、名称に旧(Former)と付けられている場所だけでも10ヶ所あります。この中には撤去により現存していない場所もあります。

1953年に開かれたシンガポール初のポリクリニックは、建物が残されています(⑪Former Queenstown Polyclinic)。

遊歩道として整備されているマレー鉄道の線路跡(㉙マレー鉄道の線路跡は)。

千里ニュータウンでは、再開発によって風景が大きく変化することで、かつてそこにどのような建物があったかを知るのが難しくなっていると感じます。例えば、有名建築家が設計したセンタービル(千里中央南千里)、プラネタリウム(南千里)、ホール(千里中央)、テラスハウス(南千里)、マーケット(新千里西町など)をはじめ様々な建物がありましたが、今現地を訪れてもかつてこのような建物があったことを知ることはできません。クイーンズタウンでは現存しないいくつかの場所が、ヘリテージ(遺産)に指定され、現地に行けばパネルが設置されていることで、かつての場所について知る手がかりが提供されていることに気づかされました。

3つ目は、住宅もヘリテージ(遺産)に指定されていること。40ヶ所のうち、8ヶ所が住宅となっています。住宅の中には、HDBの前身であるシンガポール・インプルーブメント・トラスト(SIT)が建設した住宅を含め、独立前に建設された住宅もありますが、HDBが建設した集合住宅も指定されています。

HDBが最初に建設した7階建ての3棟の住棟(45・48・49号棟:⑯The First HDB Flats)。完成は1960年10月。3棟の住棟は外壁が塗り替えられています
HDBの住棟にはヴォイド・デッキ(Void Deck)と呼ばれる壁のないオープンな空間がもうけられ、住民が日常的に過ごしたり、結婚式や葬儀が行われたりするコミュニティの場所になっていますが、HDBが初期に開発した住棟にはヴォイド・デッキがないこともわかります*9)。

3棟の住棟の近くにあるテラスハウス(HDB Terrace)はシンガポール・インプルーブメント・トラスト(SIT)が設計したもので、13棟のテラスハウスが1959年から1963年にかけて完成。これらのテラスハウスもマイ・クイーンズタウン・ヘリテージ・トレイル(My Queenstown Heritage Trail)の展示パネルで紹介されています。

HDBが建設した最初のポイント型住棟である20階建ての2棟(160・161号棟:⑳First Point Blocks)もヘリテージ(遺産)に指定されています。いずれの住棟も、3つの正方形をずらして並べたような平面になっています。

「バタフライ住棟」と呼ばれる2つの円弧をつなげた特徴的な平面をもつ高層の住棟(168A号棟:㉑The “Butterfly” Block & Stirling View Estate)。

「VIP住棟」と呼ばれる「国民のための住宅所有権」(Home Ownership for the People)という制度に基づく4番目の住棟として、1964年6月に完成した16階建ての3棟の住棟(81・82・83号棟:㊲The VIP Block)もヘリテージ(遺産)に指定されています。16階建てと高層ですが、住棟間も広く、植栽もあるため開放的な印象を受けます。この住棟にも、ヴォイド・デッキがありません。

このようにHDBが建設した、当時の新たな考え方で建設された住棟がヘリテージ(遺産)に指定されており、これらの住棟はいずれも残されています。

千里ニュータウンでも、囲み型配置を採用した府営千里佐竹台住宅府営新千里東住宅、ラドバーン方式を採用した府営新千里南住宅、高層のスターハウスのあるUR千里竹見台団地、緩やかな囲み型配置で大阪万博の時には外国人従業員の宿舎にもなったUR新千里東町団地、北入りの住棟と南入りの住棟をペア配置(NSペア配置)にしたUR団地など特徴的な団地が多数ありますが、府営住宅はほとんど建て替えられてしまいました。クイーンズタウンと同様、当時の新たな考え方で建設された住棟はヘリテージ(遺産)に指定できなかったのだろうかと思ってしまいます。


■注

  • 1)例えば、アメリカのグリーンベルトレヴィットタウンのミュージアム、イギリスのレッチワースのミュージアム、ミルトン・キーンズのアーカイブに関わる活動など。
  • 2)「サテライト・タウン」(satellite town)の表記はHDBの「Queenstown」のページで用いられている。
  • 3)『MY QUEENSTOWN Heritage Trail』April 2014より。
  • 4)大規模な再開発が行われたエリアの1つが、MRTクイーンズタウン駅北側のドーソン(Dawson)である。ドーソンは、2007年に始められたHDBのROH(Remaking Our Heartland:リメイキング・アワ・ハートランド)というプログラムにより再開発が進められている。
  • 5)クイーンズタウンの面積、人口はWikipedia「Queenstown, Singapore」のページより。
  • 6)IPCは、コミュニティに利益をもたらす活動をすることが求められ、IPCに指定されると所得税、固定資産税が優遇されるのに加えて、寄付金に対して税額控除の領収書を発行する権限が与えられる。Charity Portalの「About IPCs」のページより。
  • 7)マイ・クイーンズタウン(My Queenstown)、マイ・コミュニティ(My Community)の概要はMy Queenstownの「About MyQueenstown!」のページ、My CommunityのOur Beginnings」のページより。
  • 8)大阪府企業局によって開発されることはなかったが、千里ニュータウンにもいくつか宗教に関わる場所がある。詳細はこちらの記事を参照。
  • 9)ヴォイド・デッキがもうけられるようになったのは1969年以降である。ただし、HDBの年次報告書においては、1977/1978年までヴォイド・デッキの名前が使われることはなかったと言われている。mothership「The story behind when the “void deck” was introduced and how it was invented」December 27, 2016より。

(更新:2024年8月13日)